第48話 私は____じゃない 前編
第48話
気がついた時には、私は___北条詩は、立ちすくんでいた。
夢から覚めた後のように、意識に緩い霧がかかっている。
「___あの___」
視界の下の方から声がした。
声の方向を見ると、少女がひとりしゃがみ込んでいる。
…そうだ、私白昼夢を使って…。
それが引き金で、頭にかかった靄が晴れる。
私は慌てて彼女のそばにしゃがみ込んだ。
「大丈夫!?自分の名前分かる!?」
彼女の目を覗き込みながら
その目には光が戻っていて、彼女から洗脳が消え去ったことを暗示していた。
彼女は、キョトン、として目を瞬く。
「分かりますけど……。ここは…?」
…あぁ。
気づかぬ間に、ため息が洩れた。
「え…な、なんで、泣いてるんですか…!?」
戸惑うような少女の声。
私はそれを無視して彼女に抱きついた。
「よかったぁ…よかったよぉぉ~…!」
少女が引き攣った表情をして、行き場のない手を空中に浮かせている。
…彼女は知らなくていい。
だけど、だけど___
私の白昼夢が…初めて、誰かを救えた。
そのことが、ただ嬉しくて…涙が止まらなかった。
* * *
私___神奈月玲衣は、確かにその時……“誰か”と重なりあっていた。
ゆっくりと、染み込むような重なり。
身体中に、熱がだんだんと広がっていく。
血が巡る感覚が、少しずつではあるが___戻りつつあった。
私は、少しだけ瞼を開く。
光が目を射抜いた。
____相変わらず、私は夢喰いに喉を締められている。
息はできない。
状況が好転だなんて、していない。
___けど。
やっと、私がやるべきことが分かった。
私が本来やるべきことが。
___今度は、私が“光”になればいいということが。
目の前が、ほんの少し赫く染まる。
だけど、そこに恐怖も不安もない。
……いつかこうするべきだったことかのように、私はそれを受け入れていた。
「大丈夫」
私の内側の声に、そっと頷いて。
私は夢喰いの腕を掴んだ。
思ったよりも簡単に、その腕は首から離れる。
そして、私は夢喰いの頬を自分の手で包んだ。
「もう安心して下さい」
そう言った私は今、どんな顔をしているだろう?
真顔?
泣き顔?
_______いや、きっと……笑っている。
それは少し歪んでいて、どこか醜い笑み。
だけど、それが私だ。
私の本来あるべき姿だ。
私の右手には、確かに文字が浮かんでいた。
___
それが私の白昼夢。
そっと頬から離した手に現れたのは、白い光の弓矢だった。
「私は貴方も救いますから」
それを引く手に迷いはない。
もう、迷いなどない。
「さよなら、夢喰いさん」
私は矢を放った。
それは、薄暗くなった辺りを照らし、そして、夢喰いの核を貫いた。
* * *
夢喰いが灰になって消えた瞬間___身体から力が抜けた。
そのまま、私は地面にへたり込む。
当然、光の弓は溶けるように消え去った。
……今のって、白昼夢……?
心臓がバクバクと痛い。
命の危険と、自らの意識を代償とする___白昼夢。
でも、今しがた自分が使ったはずの“光”。
そこに、恐れはなかった。
寧ろ、白昼夢を使っていた時の自分に___安心していた。
「使えた……んですね、私にも……」
穏やかな驚きと、安堵。
もう体はボロボロなのに、そんな暖かさが満たされていた。
____次の瞬間までは。
「そろそろ思い出したらどうなんだ____」
ヨザキがその場に現れるまでは。
* * *
「今日、カレー?」
僕____桜坂風磨は、キッチンにいる優希に声を掛けた。
「おー、まあな」
彼が振り向かずに言う。
「今日の夕飯担当、詩ちゃんだっただろ?
帰ってこねえから、俺が勝手に代わった。
レトルトだけど許せよ」
彼がそう言う通り、7時を回っているのに詩ちゃんの姿はなかった。
……そういえば、玲衣さんも帰ってきていない。
「ユーキのカレーっすか!?」
カレーをおたまでかき回す彼に、シオンが背後から飛びつく。
「ユーキの作るカレー、結構好きなんすよぉ」
「それはレトルトカレー作った会社に言えよ。
あと火ぃ使ってる時は危ねえから、抱きつくの止めろ」
180センチを超えるシオンに抱きつかれてなお、彼は何事もないようにツッコんだ。
……ツッコミどころが違うのは黙っておくけれど。
「手伝うことある?」
「多分ねぇと思う____あ、悪りぃ…一つあったわ」
僕の質問に、彼はゆっくりと目線を上げた。
そして、親指で自分の背後を指す。
「部屋に戻ってて____こいつ連れて」
料理の邪魔だから、という優希の言葉と、シオンのブーイングが重なった。
* * *
「……にしても、遅いよな」
シオンを優希から引っぺがして部屋に連れ帰った後、僕は自室のベッドに腰掛けた。
二人に何かあったのでなければ良いけれど。
……無論、二人の実力を疑っているわけではない。
夢喰い狩りとしての実力は申し分ない。
申し分ないのだが………不安にはなってしまう。
もしも……万が一のことが起きたら……?
「駄目だ、不安になっちゃう……」
「___くん、風磨くん」
唐突にかけられた声に、僕は反射的に飛び退いた。
お化け!?
心霊現象!?
一瞬脳を巡ったのは、物騒なワード。
気が付かぬ間に、臨戦体制になってしまっていた。
だが、そこに居たのは___
「玲衣、さん……?」
彼女の姿に、肩の力が抜ける。
ベッドの側でしゃがみ込んでいたのは、玲衣さんだった。
僕は彼女に話しかける。
「なんだ、帰ってきて___」
「___ごめんなさい、違うのよ」
「あ……」
彼女の寂しそうな微笑に、僕は悟る。
____赫いネックレスのない彼女は、“夢の中”の彼女だ。
彼女はそっと立ち上がった。
「……風磨くんと会うのも、これで最後になるわ。
もうすぐ……私は消えてしまう」
部屋の暗がりの中、その姿がほんのりと透けている。
それは僕の幻覚なのか、それとも___
「だから、どうか___この間言った“お願い”を叶えてほしいの」
彼女の笑みは、ひどく悲しくて…辛そうだった。
「つまり…」
彼女の“お願い”って…。
僕は夢の記憶を辿る。
しかし、僕自身で答えが出る前に、彼女は僕の思考を奪った。
彼女は僕の体に腕を回し、僕を抱きしめたのだ。
「え…ちょっ、れれれれれ玲衣さん…?」
思考が止まる。
しかし、彼女は笑った。
「“私”を殺して…君の手で」
止まったはずの思考が、さらに止まる。
…そう。
そうだった。
確かに、彼女は以前“神奈月玲衣を殺す”ように言った。
だけど、どうして…?
彼女は話を続けながら僕から離れた。
「それが貴方の願いにもつながるの、お願い」
「…何言ってるんですか……。
僕に……そんなこと、できるわけ…ないじゃないですか…」
玲衣さんを殺せだなんて___そんなの、無理だ。
耐えられない。
だが、玲衣さんはかぶりを振る。
「……本当に、ごめん___ごめん、なさい。
ずっと謝りたかった。ずっと苦しかった。
“神奈月玲衣”を通して感じてしまった優しさが___辛かった。
それでも最後に風磨くんを苦しめなくちゃいけない」
その言葉に、僕は目を見開いた。
___『ごめん、なさい』
ああ、この言葉は………僕が聞いたことある言葉だ。
そう……これだった。
この声だった。
十年前の“大災害”で、聞いたあの声は____
「……貴方、だったんですか……?」
僕はぐっと拳を握りしめる。
信じたくなど、なかった。
『…許せない』
そう十年前に復讐を誓った相手が___こんなに、近くにいたなんて。
殺したいと何度も願っていた___
澪を奪った夢喰いが。
泣き腫らされた少女の目は、言葉通りの赫。
今僕の目の前にいる少女は大人びていて____だけど、玲衣さんよりも幾分か幼く見えた。
それでも、あの時幼かった僕にとっては彼女は大人に見えたのだろう。
「………殺せません」
僕は少女に言った。
本当は、その首に手をかけてしまいたかった。
十年分の苦しみを____今すぐここで晴らしてしまいたかった。
だけど、そんなことに意味はない。
「殺せませんよ、僕には」
そんなこと___できない。
許せなくても、恨んでても。
どうしても、僕は彼女の首を手にかけることはできなかった。
「……なんで……」
彼女は涙で顔を濡らしながら笑った。
「なんで、殺してくれないの……?」
“もうすぐ消える”と彼女は言った。
それでも彼女が僕の前に現れたのは、きっと僕に、彼女を自分の手で殺す最後のチャンスをくれる為。
「僕は貴方のことを許しません。
……でも、貴方を殺したとして……それで澪が救われるわけじゃない。
それに___」
夜の訪れと共に、少しずつ“彼女”の姿が薄くなっていく。
もう、時間がないんだ。
彼女にとっても___僕と玲衣さんにとっても。
それは、僕にも分かっていた。
それでも____
「貴方が僕達のこと見守ってくれてたのは伝わったんです。
だから……僕には、貴方は殺せません」
「___そう、なのね……」
彼女は、自分の拳で目元を拭った。
そして、少しだけ苦しそうに笑顔を見せる。
「分かったわ。
風磨くん___どうか、玲衣を___あの子を助けてほしい。
“あなただけの方法”で……風磨くん以外じゃ、きっと“神奈月玲衣”は救われないから」
僕は彼女の言葉に頷く。
少し安心したように、彼女は続けた。
「どうか、忘れないで。
私の名前は___」
彼女の姿が、窓から指す月明かりに溶けていく。
___これが、彼女の本当の最期なのだ。
僕が復讐を望んでいたはずの___夢喰いの、最期。
それはあまりに儚くて、美しいとさえ思ってしまったのは間違いなのだろうか。
救いたかったと思ってしまったのは___間違いだったのだろうか。
その少女は、呟くように言った。
「____
そして、一人の少女が夜に溶けるようにして___消えた。
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