第47話 人形の糸 前編

第47話


「___誰か、いるんですか」


私、神奈月玲衣は警戒を解けずにいた。


……社の裏側。


そこに入った途端、ただならぬ雰囲気を感じたからだ。


異様な空気の中心は、小さなお堂____その中の、


は、暗いお堂の中で生き物のように蠢いている。


這いずり回るような、微かな音がする。


私は口を開いた。


「……いるんですね」


私の声に反応したのか否か___は、ゆっくりと進行方向を変えた。


ずずず……と低い音が響く。


それの正体を悟った私は、そっと目を見開いた。


___


黒く長い髪で、幼い和服の子供を模ったような____いわゆる、市松人形だった。


その人形は、流れるような髪を地面に這わすようにして蠢いている。


そしてその生気のない目に宿っていたものは、私への明確な殺意。


___意志、だ。


私は静かに思う。


これには、意志があるんだ。


生きているとか生きていないとかじゃなくて____ただ真っ黒な“意志”が……殺意が、悪意が……私に向けられている。


その目は、痛々しいほどにそれを表していた。


私は背中のリュックから、弓を取り出す。


……今、目を離したらいけない。

離したら、多分殺される。


私の本能は、そう警鐘を鳴らしていた。


目を背けないまま、矢をつがえる。


____この人形の“意志”は、野放しにしちゃ駄目だ。


こんな尋常じゃない____悪意は。


一瞬の間の後、私は矢を放った。


その途端、人形が起き上がる。


まるで生き物のように髪を伸ばすと、矢を絡め取った。


そして、咀嚼するかのように___矢をへし折る。


「……っ」


気持ち悪い。


その動きの気持ち悪さに、思わず私は唇を噛んだ。


だけれど、そんなことで止まってはいられない。


間髪入れず、次の矢を構える。


___だが。


照準を合わせ切る前に___髪が、広がった。


海の中の海藻のように広がったそれは、私の方に伸びてくる。


まずい。


私は地面を蹴って後ろに跳んだ。


空中で放った矢は、人形の髪を切断していく。

しかし、伸びるスピードの方が圧倒的に速かった。


それは見る間に、弓を持つ左手を絡めとった。


抵抗する間も無く、人形の方に身体が引き寄せられる。


首に髪が絡みついて、私の喉を締め上げた。


「っ____」


息ができない。


ギリギリと締めつけるそれは、作り物の髪とは思えないほど固く、強い。


髪がまとわりつくせいで、まともに視界すら保てない。


苦しい____動か、なきゃ____


そう思うが、酸素不足で身体が動かなかった。

どんどん意識が遠のいていくのが分かる。


ああ、違う。


私はぼうっとした思考で考えた。


違うんだ____息をしようとするから、動けないんだ。


チャンスはたった、数秒間。


それでもやらなければ、待っているのは死だろう。


私は、唇を噛んで息を止めた。


音もなく、覚悟を決める。


そして___私は脚を振り上げた。


目の前に絡みついていた髪の毛を素早く払う。

首や腕に纏わるそれを、自分の脚に絡み取らせた。


脚を上げた勢いで、天地が逆転する。


___これで、私は動けない。

脚を使って移動することができない……だから。


一瞬で、決める。


視界から髪が離れて、人形の姿が現れた___その刹那。


私は、矢を数本同時に放った。


脚で引きつき損ねた人形の髪の毛が___矢を絡め取っていく。

いくつかの束となって、確実に矢を掴んだ。


___かかった。


人形の髪束は、もう既に矢か私の脚かを掴み取るのに使われている。

だったら……



___人形の頭上から落ちる矢。


数本の矢を一斉に放った直後、私はに矢を放ったのだ。


放物線を描いたその矢は____人形の頭上から降りかかる。


私は、大きく息を吸った。

肺いっぱいに広がる、空気。


___矢は、人形を打ち砕いていた。



* * *



ぼたぼたと、血が垂れる。


私____北条詩は、唇を噛んだ。


地面に広がる赫い色に起こる目眩を抑える。


___動脈をやられたらしい。

服に赫い染みが広がっていく。


私は傷口を強く掴むと、銃口を少女に向けた。


少女は刃に付着した血液を一瞥もせず、それを構える。


土埃を上げて踏み切った彼女が、剣を振るった。


私は跳びながら、それを避けていく。


「……っ」


押されているのは確実だ。


神奈月さんのところに行くのは難しいみたい。

それよりも手っ取り早いのは___この銃で、少女を撃ち抜いてしまうこと。


___それは、分かっていた。


だけど、その目が視界に入るたびに、引き金を引けなくなる。


彼女は、人間だ。


……私には殺せない。

殺しちゃいけない。


夢術:おと


勢いを調節しながら、銃を連射した。


頭に直撃したら、軽く脳震盪を起こすくらいだろうか。

少なくとも、三半規管を狂わせるくらいの威力はあるだろう。


彼女は剣を振り、それを弾いていく。


____だけど。


「……バン」


私は静かに呟いた。


その声を衝撃波に変え___僅かに、弾道を変える。


弾道が、歪んだ。


そしてその弾は_______少女の後頭部を撃った。


がくん、と頭が揺れる。


勢いも方向も十分。

たしかにそれは彼女の意識を奪った___



___そのはずだった。


やった……と思って一瞬気が抜けた。

その刹那のうちに、少女との距離が詰まる。


目の前に迫る、刃。


私は寸前で彼女の横に滑り込み、すれすれで剣を避けた。


「……な、んで……」


確かに少女の頭は揺れた。


ありえない。

血こそ出てないにしろ___あの弾を受けてふらつきもせずに立っているなんて。


だが実際として、彼女は立っている。

剣を携え___



___その瞳をに。


「え………?」


唐突に気づいた、その違和感。


彼女の瞳は、微動だにしていなかった。

それは、何も映していない_______ 対象さえも。


「そうか……」


簡単なことだった。


意識を奪えなかったのも当然だ。

だって……彼女に、そもそも意識がなかったのだから。


彼女はあくまでも“人形”。

人形師は___他にいる。


たとえ彼女を殺したとて、きっと屍人となった彼女が戦うだけ。


彼女を倒すことに、意味はない。


最初から、勝ち目なんてなかったんだ。

私に待っているのは、残酷な死だけ。


___やだな、死ぬのは。


そう無意識に考えていた自分が、いた。

いつの間にか、死にたくないと考えている自分が。


……おかしいな。


私はそっと嘲笑わらった。


今まで屋上から身を投げたのは、何回だ?

死にたいと思ったのは、何回だ?


実際、飛び降りた回数だけ____言葉通りの“死にそうなほどの痛み”を味わってきた。


もう苦しみを味わいたくないから死にたいとすら思ったこともあった。


そう何度も願ってきたはずだったのに。


……それなのに、今更死ぬのが怖いだなんて。


自分が死ぬのも、他人が死ぬのも怖い。


怖くて……引き金も引きたくない。


「どうにかしないと、私自身で」


それは分かってる。

なら、どうすればいい?


どうしたら彼女の“操り糸”は切れる?


おそらくその糸は物理的ではない。

銃弾を乱射しても戦闘に支障が出ないことからして、多分それは精神的な洗脳だ。


そうだとして……私に何ができる?


少女の斬撃を避けながら、私は思考する。


私の夢術は、“音”。

空気の波を操って、音エネルギーを操作すること。


だけど、洗脳を解くには脳波____つまり電波を操らないといけない。


言わずもがな、専門外だ。


脳波を断つだけならまだしも、洗脳部だけを操るだなんて___そんな器用なことを出来ると思うほど、私は自惚れてなんかいなかった。


少女の剣が私の頬を掠った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る