第4章 華は散るから美しい

第43話 祭囃子と提灯 前編

第43話



「あ、もうこんな時期なんですね」


玲衣さんが、ふとつぶやいた。


「一年が経つのって…早いですねぇ」


彼女はポストに入っていたチラシを見て、独り言を言っている。


俺___竹花優希は、彼女の背後からそのチラシを覗き込んだ。


「ふぅん…。

桜庭夏祭り、か。

そういえば、この時期だったよな」


盛大な花火が咲くチラシには、その字が踊っていた。


_____そう、桜庭夏祭り。


ここ、桜庭町では、お盆よりも前に夏祭りが行われるのだ。


桜庭夏祭りでは、出店が並び……更には、花火も上がる。


「あぁ、そっか……花火の時期なんすね」


シオンが、誰に言うでもなく呟く。


あまりに小さく、か細い呟きを。


「あぁ……いちご飴…それにかき氷も捨てがたい…」


だが、それは玲衣さんのうっとりとした声にかき消された。


そういえば、去年、彼女は屋台でイチゴ関連のものを食い倒れていたっけ。


その様子を思い出したのか、シオンが吹き出す。


「ほんっと玲衣さんはイチゴ大好きっすよねぇ。

このままだと玲衣さんにイチゴが生えてきちゃいそうじゃないっすか」


「そしたらイチゴ取り放題ですね!」


玲衣さんが目をキラキラさせたのと、凪さんがため息をついたのは同時だった。


「お前ら忘れてないか?

見廻人員必要なんだぞ?」


「そうでした……えへへ」


玲衣さんが照れたように返す。


……そう、夏祭りの夜。


その日は街に人が溢れる。

夢喰いからみれば、餌場に餌が大量に集まってくるのと同じだ。


当然、俺たちも出動する必要があるのだ。


「あぁ、じゃあ…」


俺は手を上げようとした。


当然見廻に参加する者は、夏祭りに行くことはできない。


だけど、俺元々祭りなんて興味ねえし。

去年見廻をしてたのは紅さんだったから、今年くらいは見廻をしておいた方が良い。

そう思ったのだった。


……だが。


「ぼくが行くっすよ!」


俺より早く……かつ勢いよく手を上げたのは、シオンだった。


「だから、みんなはぼくの分まで美味しいの買ってきてほしいっす!」


さっきの呟きが嘘のような、五月蝿いテンション。


「……シオン、良いのか?」


凪さんが驚いたように聞き返した。


「ぜーんぜん良いっすよぉ。

逆に、ぼくじゃ頼りないっすか?」


俺はシオンの言葉にすかさず返す。


「俺はも行くわ。

お前だけじゃサボりかねねぇし」


ええええ、とシオンが喚く。


「ユーキ酷いっすよぉ。

ぼくのことなんだと思ってるんすか!?」


「あーはいはい、どおどお」


俺はシオンの頭をポンポンと叩いた。


……嘘だった。


シオンが見廻をサボったことなど、一度もない。


口では散々言えども、彼は人一倍夢喰い狩りに対して誠実だった。


……それでも、夏祭りの日は……その日だけは、彼を一人になんてさせられない理由がある。


夏祭りには花火が上がる。

それが、その理由だ。


3年前……シオンが惨劇を始めてたあの夜。


あの夜の花火は、夏祭りの花火だ。


当然今でもその花火は彼の心を抉り続ける。


その花火を否が応でも見なくてはいけない日が近いと言うのに_____


シオンの喚く声が、まだ響く。


「ユーキの馬鹿〜〜っ!!」


____だというのに、一層明るく振る舞う彼を……一人にだなんてさせられないじゃねえか。




* * *




そして、夏祭りの夜。


僕____桜坂風磨はなんとなく浮かれ気分だった。


祭囃子の軽快な太鼓と笛。

そのリズムに乗せられているのもあるのだろう。


いつもの夜じゃあ有り得ない灯り、人の喧騒。

その賑やかさに充てられているのもあるのだろう。


久しぶりに着る、浴衣。

あまり色んな服を着る機会がない僕にとって、珍しい経験に心躍っているのもあるのだろう。


………だけど、それだけが理由じゃない。


そもそも僕は物心ついてから、ずっとこの桜庭町に住んでいる。


この夏祭りだって何回も見てきたんだ。

夏祭りの騒がしさだって、流石に慣れた_____そのはずだった。


僕は横目で玲衣さんを盗み見る。


彼女は結い上げた髪を揺らしながら、楽しそうに歩いていた。


「うわぁ…キラキラですね…」


玲衣さんはうっとりとあちこちに目移りさせている。


陶器のような白い肌が覗くのは、淡い桜色の地に大きな紅い花の咲く浴衣。

彼女に良く似合うそれは、紅さんのお下がりだということだ。


……かわいいっ!


僕は思わず目を逸らす。


危ない危ない。

思わずニヤケそうだった。


これは危険だ……。


直視したら僕の顔から火が出そう。


心中が全く穏やかじゃない僕を、彼女は不思議そうな目で見る。


「どうしたんですか、風磨くん_______あっ、向こうにいちご飴の屋台が出てますよ!

早く行きましょう!」


いつもよりもはしゃいでる彼女は、人混みの中を屋台に駆け出そうとした。


「ま___っ、待って_____!」


僕は思わず彼女の手を掴んだ。


……それは、あまりにも反射的だった。


危ないから、見失いたくないから______ただ、彼女の手を握ってしまった。


「…え?」


振り返った彼女の驚いた顔が、間近に迫る。


祭囃子に混じって聞こえたのは、自分の鼓動が一つ大きく鳴った音だ。


僕は早くなった心拍数を抑えるようにしながら、彼女に言う。


「…えっと……その、あんまり速く歩くと…凪さんと詩ちゃんとはぐれちゃいます」


「あっ…ご…ごめんなさい……」


彼女の顔が、真っ赤になったように見えたのは、きっと僕だけだろう…うん。


「ちょっと二人とも、はぐれないようにしてくださいよ〜」


背後から、詩ちゃんの走ってくる足音がした。


彼女が着ているのは、薄藤色の着物。


彼女の後ろでは、凪さんが屋台に視線を巡らせては無言でワクワクしている。


「なるほど……屋台も結構変わったんだな…」


……最近わかってきたのだが、凪さんは無表情に見えて実は表情が凄く顔に出る人だ。


「隊長も着ればよかったのに……なんで着なかったんですか?」


見たかったですよ〜と口を尖らせる玲衣さん。


「いや、俺は別に祭りだ着物だではしゃぐ柄じゃないから___」


「さっきから仁科さんが屋台に目移りしてはしゃぎまくってるから、はぐれちゃったんですからね」


すかさず、詩ちゃんがツッコミを入れた。


「はしゃいでないっ」


そう反論した凪さんの顔は真っ赤になってる。


……はしゃいでましたね。


僕は心の中で一人、納得する。


なんやかんや、凪さんが楽しんでいるようで……良かった良かった。


うんうん、と頷く僕の側に、詩ちゃんが歩みした。


「チャンスは私が作りますから、あとは……はい」


「……へ?」


聞き返そうとした僕に、彼女がして見せたのはウインク。


そして、わざとらしい咳払いだった。


「あーー、私ちょっと用事思い出しちゃいましたーー。

さ、仁科さん。行きましょうか」


「え?

俺もなのか___というか、何なんだ用事って……」


「良いから良いから。

とりあえずあっち行きましょう。

はい、邪魔者はたいさーん」


彼女は凪さんの腕をがしっと掴むと、あっという間に彼をどこかに連れて行ってしまう。


その姿は、人混みの向こうに飲まれていってしまった。


「え……ええ……?」


状況が理解できずに目を白黒させる僕の袖を、玲衣さんが引っ張る。


振り向くと、彼女ははにかむように笑った。


「あの……風磨くん、一緒に……いちご飴食べませんか……?」


その笑顔のあまりの純粋さに。


「……う、うん」


ちょっとそれは反則だって……。


僕は思わず赤くなった顔を袖で隠したのだった。

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