第38話 決意の詩を 前編

第38話 



目の前に飛び散ったのは、赫い_____どこまでも赫い、血の色だった。


「…っ…ぉ…」


シオンくんが膝をつく。

その赫い色は、彼の身体から流れ出た色だった。


「…し……」


彼の名前を呼びたかった。

駆け寄って、止血したかった。


……だけど…その赫い色を見てしまったら、体が動かなくなってしまったのだ。


彼が、それでも尚笑う。


「逃げて……ぼくは、大丈夫っすから」


歪んだようなその笑みは、あたかも彼の苦しさを表しているようで、あまりに痛々しかった。


……大丈夫なわけ、ないじゃない。


あんなに血を出して、深い傷を負って。


それでも大丈夫?

そんな、わけないじゃない。


「っ……」


自分のやるべきことは分かっていた。


私は地面を踏み締める。


………戦わなくちゃ、私が。


この場でみんなを守れるのは、私だ。


_____でも、どうやって?


私はエアガンを握りしめる。


もちろん、私は誰かと戦ったことなんてない。

守ったことも、無論。


考えろ……何か、答えはあるはずだ。


仁科さんは“お前なら、大丈夫だ”と言った。

私なら______?


……いや、“私だから”出来ることなのか?


シオンくんに切り掛かった夢喰いが、私の方に駆けてくる。


……もう、戸惑う時間はなかった。

確信はない、だけども。


エアガンを構え、その照準を夢喰いの核に向ける。


私だからこそ出来ること……それは、これだ…!


「……喰らえっ!」


私は、引き金を引く。


_____夢術:おと


パアァァァァァアアン__________


…そう、銃声。


エアガンの発砲音を増幅させ、発弾スピードを倍増させる。


それこそ、仁科さんが私にエアガンを託した理由なんだった。


……これは、“音”の夢術者だからこそできる、戦闘法なんだ。


弾頭が、夢喰いの核で爆ぜる。


それが灰に帰すのを見届けた後、私は銃口を残った夢喰いに向けた。


引き金を何度も引く。


_____生きるのなんて、どうでもいいと思っていた。


未だ生き延びる自分の命さえ、呪っていた。


……だけど、その命でなけりゃ救えないものが、守れないものが……あったんだ。


生きる理由が、ここにあったんだ。

生きていい理由が、あったんだ。


「二人には______」


私は撃ちながら叫んだ。


「______指一本触れさせない!」


狙いを細かく定める時間なんてない。


撃って撃って……撃ちまくれ。


「____先輩、10時の方向!」


シオンくんの声が背後に響いた。


……夢術だ。


深手を負った状態で夢術を使用するだなんて、並大抵の苦痛じゃ無い。

それでも、彼は私の為に予知をしてくれている。


そう分かったからこそ、すぐさま私は10時方向に発砲する。

走っていた夢喰いが灰に消えた。


「3時に2発、11時に3発、それから9時に2発____」


シオンくんの指示予知はまだ続く。


夢喰いを撃ち抜くべき弾丸は、残り少なくなっていた。


残り5発______3発、そして_____


________そして、エアガンが乾いた音を響かせる。


「…っ」


弾切れ。


まだ夢喰いは残っているというのに……。


不安でシオンくんを振り返った私は、彼の笑みを見た。


その次の瞬間。



「良く耐えた」



低い声と共に、あたりに土埃が巻き上がる。


視界が晴れ渡った時、そこには一人の青年だけが立っていた。


夢喰いは、もういない。


「にし、なさん……」


仁科さんはこちらに歩み寄ってくると、お兄ちゃんからシオンくんを抱え起こす。


そして、彼が振り返る。


「詩、北条さん。二人とも、大丈夫か?」


「ぼくはだいじょーぶっすよぉ」


溶鉱炉に沈むサイボーグよろしく、シオンくんが親指を突き立てる。


「お前は大丈夫じゃないって分かってるから黙ってろ」


そんな会話を聞きながら、私はその場にへたり込む。


……あぁ、もう。


もう大丈夫なんだ。


視界が滲んだ。


気付かぬうちに、涙がこぼれ落ちていく。


緊張が切れて、もう感情を止めることは出来なくなってしまっていた。


そんな私の頭に、お兄ちゃんの手が乗る。


その手は、白くて細くて……でも、暖かくて。


「…ありがとう、詩…守ってくれて」


「怖かった……本当に、怖かった…」


尚も涙が止まらない私に、シオンくんが優しく微笑んだ。


「……そうっすね。

怖いっすよ、ぼくも…今でも怖い。

でも、怖いからこそ戦えるってこともあるんじゃないすか?

さっきの先輩、かっこよかったすよ」


私はその言葉で、涙を拭う。


「仁科さん」


振り向いた彼に、私は告げる。


「私、強くなりたいです。

誰も傷ついてほしくないから……大切な人に、傷ついてほしくないから…!

私のせいで傷つけたこともあるし、そんなことで埋め合わせになるだなんて思えないです。

だけど……だけど、私は守りたいんです。

……だから、私に戦わせてください!

守る術を教えてください!」


ちゃんと守れるように。


傷つけること以外を出来るようになるために。


言葉を吐いた私に、仁科さんがつぶやいた。


「……あぁ、お前なら出来るだろうな。

傷つけることじゃなくて、守ることが」


その顔には、物寂しい笑みが浮かんでいた。


威厳すら感じる彼の言葉が響く。


「北条詩。

桜庭見廻隊隊長として、お前の入隊を認める」



* * *



「シオンくん……け、怪我は…!?」


玲衣さんの治療を終えた彼が部屋から出てくるや否や、詩ちゃんが駆け寄った。


その勢いに、彼も思わずのけぞる。


「あはは、先輩心配しすぎっすよぉ。

このとーり元気っす」


ほらほら、と言いながら彼が腕を上げて見せる。


先程まで怪我だらけだった彼は、すでに全回復していた。


それを見ていた僕_____風磨も、内心ため息をつく。


……かなり深手で帰ってきたから……いくら玲衣さんの治療といえども、少し心配だったのだ。

まあ、当人は終始あっけらかんとしていたが。


「よかった______」


背後の彼を振り返りつつ言った僕の笑みが、苦々しくなる。


「____って何してんの、優希」


彼は椅子の背もたれ側に向かって座りつつ、頬を膨らませていた。


彼が不機嫌そうに眉を顰める。


「なんでもねぇよ…別に仲良いなぁとか…思ってねぇから」


「言ってるじゃん、全部」


一応、突っ込んでおこう。


それを聞いたシオンが、笑いを堪えつつ言う。


「なんすか、ユーキ…もしかして、妬いちゃってるんすかぁ?」


「ちげーし」


「心配しなくてもだーいじょーぶっすよぉ、ぼくの相棒はユーキだけっすからね」


ついに彼が堪え切れず吹き出すのと、凪さんが大量の新聞を抱えて来たのが同時だった。


状況を掴めてないのか、無表情に凪さんが言う。


「…シオン、大丈夫なのか?」


「ぜーんぜん平気っすよ、ぼくは。

でもユーキのおもちが妬けに妬けちゃってぇ…」


「だから!妬いてねぇっつってんだろ…!」


「…おもち!?」


不機嫌そうな優希の怒号と、嬉しそうな声が被る。


玲衣さんが、キラキラとした目で立っていた。


彼女はその表情で続ける。


「おもち、焼くと美味しいですよね!

私はあんこ餅が特に好きで_______」


……あ、これ。


僕は頭を抱えた。


……玲衣さん、これ食べ物の話だと勘違いしてる。


コホン、と凪さんが咳払いをした。


「玲衣」


「…はい?」


キョトン、として彼女が首を傾げる。


凪さんが酷く言いづらそうに言った。


「……今のは、“嫉妬”の言い回しだ」


「え……」


彼女が目を見開く。


「おも、ち……食べたかった…」


食べたかったのか…。


凪さんはショックを受けた彼女の表情を見ないように、新聞をテーブルに置いた。


「さて、話が変な方向に飛んだが_____」


彼は目を細めて新聞を繰る。


「_____玲衣、風磨、シオン。

こいつに見覚えはないか?」


5年前、朝刊の1ページ。


そこにあったのは、「心中」という物騒に踊る文字。


「…えーと…?」


シオンが眉を顰めるように記事を読み上げる。


「……全国公演中であった人気親子マジシャンの心中か?

父親は自殺とみられ、子供は行方不明に_____なにこれ、物騒なんすけど」


「まぁな。

それより、見てほしいのは写真だ」


凪さんが頷いて、記事の写真を指差す。


______嗚呼、彼は。


ステージ上、眩いスポットライトを浴びる親子のマジシャン。


……厳密に言うと、その子供の方______といっても15歳くらいか_____。


「この子って…!」


_______初めまして、というべきでしょうか。わたくしは_______


彼の声が脳裏にフラッシュバックする。


……5年前のその写真に写るのは、今のそれとは違った翳りのない笑顔。

だけど、間違えなく彼は。


「……ジャック」

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