第37話 果たせない逃避行
第37話
俺、仁科凪は刀を握り直す。
そして、唇を結んだ。
_______目の前には沢山の夢喰い。
おまけに今俺は刀を持っていない。
状況は、最悪だった。
この前までだったら、諦めていただろう________だけど。
夢術:
「______諦めてられないんだよな」
俺は、沢山の命を紡がれてきたのだ。
……なら、それを継がなくてどうする。諦めたとして、その先はどうする。
俺は自らの手の上に細い旋風を出現させた。
……風は、空気の流れのことだ。
空気を集めれば、それは強力な圧となる。力となる。
俺は旋風を掌に握り込む。
堅く、そして強く。
かつて、“
かつて、“
それは、空気を切り裂く風刃。
俺は風の刀を握りしめた。
夢喰い達を睨んで、告ぐ。
「来るなら来ればいい」
______覚悟は、出来ている。
俺の一言に、何体もの夢喰いが踊りかかってきた。
その凶刃は一点に俺の胸に向けられている。
……要するに、俺の心臓に。
どうやら、狙われているのは詩一人ではないらしい。
おそらく、標的は桜庭見廻隊……その保持する夢術だ。
俺は後ろに飛んだ。
無論、背後にも夢喰いがいることくらい分かっている。
だからこそ。
俺は掴んでいた一本の竹を放った。
半円状にしなったそれは揺らぎ、辺りの竹に連鎖する。
不規則に揺らぐ竹笹は、夢喰いの動きを制する。
さらに、それは
…さながら自然の防御壁といったところだろうか。
俺は刀を回し、その風刃を夢喰いに叩き込んだ。
音を立てて砕けた核とともに、夢喰いが灰と消える。
その直後…頭上に他の夢食いの刃が襲い掛かった。
しゃがみこみ、風を地面に突き刺す。
俺は地面に夢術を送り込んだ。
「_____
地面から突き上がる竜巻。
それは轟音と共に、地表すら抉り取って飲み込んだ。
一瞬にして、夢喰いの視界を奪い去る。
俺は地面を蹴った。
巻き上がる上昇気流に身を預け、一気に飛び上がる。
そして、もう一度風刃を出現させた。
「
風の刃が、地面に向かって落ちていく。
それは爆風と共に夢喰いの核を砕いた。
* * *
閉じた瞼に映る、無数の線。
……あぁ、これ…敵の軌道だ。
数が思ったよりも少ないのは、おそらく夢術のリミッターを外せていないからだろう。
……だけど、それでいいんだ。
ぼく_____シオンは、瞼を上げる。
そして、右手の竹を回した。
「…先輩たちは下がっててください。
ちょっくら暴れてくるっすから」
そう言ってから、ぼくは飛び出した。
_____向かうは、予知した軌道が集まる先。
守る人がいる以上、一気に引き寄せて叩いた方が都合がいい。
夢喰いは、予想通りにぼくに踊りかかってくる。
……怖くはない。
だって、ぼくはここで死なないんだから。
しゃがみ、地面を蹴り上げ、跳躍して、そして下がる。
踊るように夢喰いの攻撃を避けながら、ぼくは竹を回した。
しなりを帯びた竹は丸い軌道を描いて夢喰い達に襲い掛かる。
……ここまでは順調……だけど。
「…っ!」
ぼくはしゃがみ込んだ。
その頭スレスレを、夢喰いの刃が駆け抜ける。
今の、予えてない…!
戦闘開始から時間が経っているからだろうか……予知の密度が低くなっている。
竹の柄で攻撃を弾き、背後に飛び退く。
…まずいな、この数。
凪さんが半分引きつけているとして_____それでも30は超えてるぞ、この数。
多分増援が来たのだろう。
完全にぼくらは囲い込まれている。
……もう一度、予るか?
ぼくは唇を噛んだ。
ダメだ、それじゃあ…相手に攻撃される隙を与えることになる。
…それじゃ、先輩と晶さんを守れない。
ぼくは二人を振り向いて_____そして、目を見開いた。
北条先輩の後ろから、夢喰いが襲い掛かるのが見えたのだ。
彼女は____気づいていない。
「……詩っ!」
それは、無意識だった。
気がついた時には、もうぼくは彼女の前に立ち塞がっていて_______赫い血が舞っていた。
「いやぁぁぁああ…!」
先輩の声が、どこか遠くで響いた気がした。
* * *
「あの時は幸せだった」
そんな言葉を軽率に使うのは、嫌いだった。
………だけど、その言葉は
そして、その幸せを壊したのは……誰でもない、私だった。
数年前のその日、私は屋上に立っていた。
家から持ち出してきた、小さなカッター。
それを、私は屋上の床に振り下ろす。
………一度だけじゃ、傷はつかない。
何度も、何度も、何度も何度も何度も。
手が赤くなるまで振り下ろし続けてやっと、一つの傷が出来上がった。
「……これで、いっか」
これで、いいんだ。
私の生きた証なんて、こんなもんなんだよ。
こんな汚い傷ひとつ……それで、十分なはずなんだ。
「…もう、いいんだ」
全部、どうでも良い。
私は独り言を呟きながら、フェンスに足をかける。
冷たい鉄の温度を染み込ませながら、それを乗り越えた。
「……」
屋上から地面まで、10メートルちょっとくらいだ。
……なのに、目が眩む。
私の足元のすぐ先には、空中が広がっていた。
あとは、私が一歩______たった一歩だけ、それを踏み出すだけだ。
そうすれば________
「詩!」
______聞き覚えのある声に振り返った私は、ドア付近に立ちすくむ少年を見た。
私はフェンスごしに呟く。
「……ごめんね」
気を抜いて仕舞えば、そこで泣きだしそうだったから。
だから、そんな冷たい一言を放った。
「悪いのは、私なんだよ。
私だけが、悪いんだよ。
全部全部________楓くんが死んだのだって、全部」
「違うよ……詩は_____」
彼が、迷いなくこちらに駆け寄ってくる。
……言わないで。
“詩は悪くない”。
そんな言葉を聞きたくて、
もしそう言われてしまったら、飛び降りることを悔やんでしまう。
生きたいと思ってしまう。
生きていたいって思ってしまう。
……だから。
「さよなら」
次の言葉が彼の口から出る前に、私は背後に身を投げ出した。
足元にあった床が、消える。
……これで、終われる。
そのはず、だったのに。
「……詩!」
彼が、躊躇なくフェンスを飛び越えた。
宙に身を投げ、私の手を掴む。
「なん、で……」
なんで、そこまでして私を救おうとするの?
このままじゃ……
このままじゃ、お兄ちゃんが死んじゃうじゃない。
私のせいで、お兄ちゃんが。
私のせいだ。
「…私のことなんて、もういいよ……」
涙が溢れるよりも早く、世界が上昇していく。
「忘れていいよ、私のことなんて」
目の前が、赫く光る。
________“その願い、叶えてあげるよ。だって……怖いんでしょ?”
白昼夢:
幼い時のことは、私自身あまり覚えていない。
思い出したくないから、覚えていない_____というのが正しい表現かもしれないけれど。
だけどそんな薄い記憶の中で、
彼は、私とお兄ちゃんの幼馴染だった。
数少ない、私たちの友達。
「……にげよう、三人で」
だから、楓くんが海外に引っ越すのだと聞いた時に、私は迷わずそう言った。
______なんで、今思い出しちゃうんだろう。
私は、もうあの頃みたいに純真無垢じゃない。
あの頃には____幸せだったあの頃には戻れない。
屋上から落下する中、私は思う。
だけど、昼中の夢のような走馬灯は、無慈悲に思い出を辿った。
……本当は、お兄ちゃん達も分かってた。
引越しから本当に逃げるなんて、できっこない。
だけど、「三人で逃げる」ことは、私達にとっての最後の“遊び”だった。
お兄ちゃんがまだ幼い私の手を引いて、三人で海岸沿いを歩く。
気がすむまで、無機質な夜の海岸線を。
……そうだ、あの日は風のない夜だったっけ。
こんなこと、思い出しても遅いのに……今更、よく思い出せる。
大人達のいない、
そう、確か遠くまで行きすぎて、迷子になって___________
________そのあと、何があったんだっけ?
思い出せ、ない。
確かに覚えてるのは、楓くんが夢喰いに殺された……その事実だけ。
少なくとも、私が「逃げよう」だなんて駄々を捏ねたから、楓くんが死んだ事。
それだけは確かだった。
それだけは、忘れちゃいない。
忘れようにも忘れられなかった。
だから、私は屋上から飛び降りた_____そのはずだった。
屋上から飛び降りた直後、私が目を覚ましたのは飛び降りたはずの屋上だった。
「……なん、で」
なんで、私は屋上にいるの?
フェンス越しに遠い地面を見下ろすが、そこにいるはずの私の死体も、お兄ちゃんの姿も。
地面以外、何もなかった。
……夢だったのか?
否、飛び降りた時の体が浮く感覚を夢だったというには……あまりにリアルだった。
「……さん、北条さん!」
看護師さんの叫び声が、背後から聞こえた。
「……え……と…」
あまりに気のない返事をした私に、看護師さんは悲しそうに告げる。
「……お兄さんは一命を取り留めましたが……」
その話が、耳を通り抜けていく。
「え……?」
そんなの、嘘だ。
私は一歩後ずさった。
「…事故によるショックが原因で______」
だが、看護師さんの話はまだ続く。
“忘れていいよ”
飛び降りる中、私自身が放った言葉が脳を掠める。
その言葉の響きは、あまりに冷たかった。
「_______
私の願いは、おかしな矛盾として_______あまりに残酷な形として現実となってしまったのだった。
第38話に続く。
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