第35話 夜は短し、演じよ少女 前編

第35話


私、竹花優希の________いや、この場合は竹花心呂と表現した方が適切か。


とにかく、私が学校の中で一番好きなところは、図書館だった。


さすが大学附属高校で……さらにお嬢様お坊ちゃま学校というだけあって、蔵書の数は半端ない。

下手すればそこらへんの公営図書館くらいあるんじゃないかな。


その図書館で、いろんなジャンルを本を読み漁る。

それが、最近の私の昼休みの過ごし方だった。


小さい頃から読書はしてきたけど、別段本が好きなわけではない。


……でも、本を読んでいる間だけは、それに没頭できるから。

何も_____撫子のことも考えなくて済むから。


その名を脳裏で呼ぶだけで、吐き気が腹の底から湧き上がった。

私は文字列を目で追いながら、吐き気を噛み殺す。


_______核を貫く、手の感覚。


目の前で命が散る絶望感、そして手を汚した時の罪悪感。


染み付いたそれらは、私を中から食い殺そうとする。


________違う、撫子は夢喰いになるくらいだったら、殺すべきだった。

私はあの時正しい行動をしたはずなんだ。


そう何度も何度も言い聞かせても、自己満足にもなりやしない。


「……何沈んでるんだろ、私」


折角の昼休みなのだ。

こんな罪悪感に揉まれにきたんじゃないんだ。


それに、昼休みまでこんなことを考えてたら、心がもたないじゃないか。


私はかぶりを振って、本を繰ることに集中する。


その瞬間。


______キーンコーンカーンコーン______


予鈴の鐘が、辺りに鳴り響く。


「…あぁ、もう昼休み終わりか…」


私は本を棚に仕舞うと、教室に戻ろうと踵を返す。


そして、背の高い本棚の角を曲がって_____


「きゃぁっ…!?」

「うわ…っ」


私は尻餅をついた。


どうやら、何かにぶつかったらしい。


「すまなかった、周りを良く見てなかったもので…」


頭上から、やけに聞き慣れた声が降ってきた。


顔を上げた私は、ポカンと口を開く。


……そこには、凪さんが本を抱えて立っていた。


「な…凪さん、なんで高等部ここに…!?」


思わず声を上げた私に、彼が不審そうに眉を顰める。


「大学に顔を出したついでに、少し調べたいことがあってだな……。

……それより、お前はなんで俺の名前を?」


「あっ」


まずい、やっちゃった。


…そう、凪さんと“竹花心呂”とは、初対面のはずなのだ。

その関係は、あくまでも大学の研究員とその附属高校の一生徒。


互いを知るはずもないのだ。


私は慌てた胸中を悟られないよう、ゆっくりと立ち上がる。


「突然名前をお呼びして申し訳ございません…驚かれましたよね。

私の弟が仁科さんのお父様を師と仰いでおりまして、貴方が大学にてご研究なされていることを伝え聞きました。お会いできて光栄です」


慣れた作り笑いで、彼に握手を求める。


……一応、嘘は言っていない。


ボロは出ていない、そのはずだ。


彼は手を差し出されたことに驚いたのか、恐る恐る私の手を握り返す。


「な、なるほ、ど……??

こちらこそ、お会いできて光栄…です」


凪さんはどうやら礼儀作法的なものは苦手らしい。


……言葉遣いが辿々しいし、笑顔もぎこちない。


それに吹き出しそうになったのを必死に堪えて、私は会釈ののちにその場を立ち去った。


「……」


大丈夫な、はずだ。


一時はどうなるかと思ったが、どうにか誤魔化せた。


「……嘘つき」


私は自分自身へ呟いた。


……こんなんじゃ、ずっと騙したままじゃ……。


「仲間」だなんて、名乗る資格ないのに。



* * *



「……何なんだ」


俺、仁科凪は先ほど少女に握られた手を見下ろした。


…無論、そこに下心を持っているわけじゃない。


ただ、違和感に苛まれているだけだ。


________あの少女は、誰なんだ?


俺とぶつかった後、彼女は反射的に“”と言った。


弟から父親のことを聞いた?


たしかに「仁科海」の知名度を考えると、それも十分にありえる……が。


だが、それなら普通“”と呼ぶべきではないか?


なのに、彼女が咄嗟に口にしたのは、俺の下の名前だった。

フルネームですらなく、俺の苗字を呼ばなかった。


_________まるで、俺個人と親しいかのように。


やけに見覚えのあった___________そうだ。

いつかの新聞記事の写真で見た、家の御令嬢、竹花心呂とは……


「何者なんだ……?」



* * *



私は重い鞄を手に街を歩いていく。


…無論、学校からの帰り道だ。


「はぁ……」


思わず口からため息が漏れる。


今日は、散々な1日だった。


昼休みは悶々として休めなかったし、その上まさか凪さんに会うなんて。


気分は最悪だ。


私はもう一度ため息をつくべく、息を吸い込んで________


「はぁ……」


_______今のため息、私じゃないんだけど。


私は首を捻って、ため息が聞こえた方を向く。


そこでは、花壇の縁で一人の少女が項垂れていた。


……無視すべきか、否か。


一瞬の逡巡の後、私は少女に声をかけた。


「…玲衣さん、何やってるんですか…」


「ほぁ……優希、さん……?」


彼女が顔を上げた。

その目は既に涙目だ。


私は彼女の前にしゃがみ込んだ。


「玲衣さん、何かあったんですか?」


「……ぅう……そ、そうなんですぅぅ……っ」


私が尋ねた瞬間、玲衣さんは子供のように泣き出した。


私はポケットの中から取り出したハンカチで、彼女の涙を拭く。


「あぁ、もう…。

何かあったのなら、私が話聞きますよ?

……とりあえず、泣き止んでください」


彼女は涙でぐちょぐちょになった顔で、激しく頷いた。





「……だからって、ここ……?」


場所を変えよう、と涙目で連れられて来た場所。


その看板を見て、私は思わず頬が引き攣るのを感じた。


______カフェ“Cherry”。


「だ……だめですか…?」


玲衣さんが下から私の顔を覗き込む。


泣きすぎたせいか、鼻声だ。


「いえ、だ、ダメってわけじゃぁないんですけど…その…シオンとか詩ちゃんがいないかとか……」


私はボソボソと答える。


そう、 Cherryここは、シオンのバイト先なのだ。


前にシフト外だと思って行ったら、バッタリ出くわしたこともあるし……それに、今は詩ちゃんも知り合いだ。


もし竹花心呂が玲衣さんと一緒にいるところを見られたら______


彼女は、私の言いたいことを汲んだらしい。


目の周りを赤くしたまま、笑顔を作って見せてくれた。


「大丈夫です。

二人とも今日は家にいるって言ってました、から」


「そ、そうなんですね…」


ホッと胸を撫で下ろした後、自分の考えを後悔する。


……私がみんなのこと騙してるとバレたくないだなんて、まるで裏切ってるみたいじゃん。


彼女に手を引かれるまま、私は店へと足を踏み入れた。

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