第34話 いなくならないで 前編

第34話



屋根に飛び乗った瞬間、僕の目を大きな月の光が射抜いた。


低く、そして丸く光る大きな月。


それをバックにして、一人の少年が立っていた。


気配から、彼こそが僕らを襲ってきた“それ”の正体だと悟る。


彼は唇の端を引き上げると、声を発した。


「…こんばんは。

今夜は君にお会いできて嬉しいです、“赫い眼”の______桜坂風磨さん」


僕の記憶と、目の前の彼の姿が合致する。


……そうか、あの時の。


凪さんと紅さんと、廃病院へ調査に行った日。


あの日見た、「飛び降りた少年」。


見た時は幽霊か見間違えかと思ったが______今、目の前にその彼がいる。


玲衣さんが少年に向かって何かを言おうとする。


しかし、僕はそれを制して一歩出た。


「……お前は、“救済の暁”なのか…?

どう見たって夢喰いじゃないけど」


僕の言葉に、彼は目を細める。


その顔に浮かぶのは、嘲笑ともつかない笑み。


「そうです……ある意味では、わたくしは君と同じ“怪物人間”ですよ?

人間の身を持ちながら、夢喰いの力も持つ。

そんな限られた存在、とでも比喩するのが適当でしょうか」


「…なるほど」


廃病院で彼が落ちて行った時……彼の眼は赫く染まった。


それは、まさしく僕が“白昼夢”なる力を使った時と同じだ。


死にかけていたという状況ですら、合致する。


僕は背後の玲衣さんに向かって呟いた。


「……この人、白昼夢を使うと思います」


「……っ!?」


玲衣さんが目を見開く。


それと対照的に、少年は満足気に笑った。


「お見事、大正解です。

流石は“さくら”を使う者ですね。

……初めまして、というべきでしょうか。わたくしはジャック。

救済の暁の幹部、というのが適切な表現ですね」


彼は帽子を取って恭しく礼をする。


その様子はやけに洗練されていて……どこか作り物めいていた。


帽子を被り直す時、彼の視線が僕を射抜いた。


「さて、与太話もこのくらいにしておきまして_____」


彼の燕尾服から、ナイフが数本取り出される。

それを、彼は掌の中で弄んだ。


「_____早速、お楽しみの時間といきましょう」


彼が、それを一気に放った。


ナイフは、様々な軌道を描いて_____だが、確実に僕らの方に飛んでくる。


……ナイフが手から離れる直前、指先で軌道を変えたのか。


僕は背後に飛びすさり、刀の斬撃でそれを振り払う。


数振りで、全て落とし切った………が。


「っ!?」


刹那の後、左腕に走った激痛。


反射的に左腕を抑えた右手の指の間から流れ出るのは、気持ち悪いほど赫い、血だった。


何故……?


ナイフは落とし切った、そのはずだ。


動脈を切ったらしく、出血が止まらない。


僕はその場に膝をついた。


直後、玲衣さんがしゃがみ込む。


そのすぐ横で、屋根に小さな穴が空いた。


______そうか。


僕はその穴の直ぐ上に素早く手を伸ばす。


確かに、“何か”がある感触。


______シオンが第二の大災害で対峙した、白昼夢を持つ、“すける”の夢術者。

それは、この少年のことで間違いなさそうだ。


そうすると、彼は、先程ナイフを投げた時に、夢術で透明にしたナイフと、そうでないナイフをことになる。


手の中でナイフを弄んでいたのは、夢術をかけたのを誤魔化す為。


夢術の気配を察知できるとはいえ、無機物に微量にかけられた夢術までは察知するのは難しい。

…“見える”ナイフが他にあれば、それはなおさらだ。


_____だが、もう同じ失敗はしない。


分かりづらいとはいえ、相手の策が解って仕舞えば、こちらのものだ。


投げる時の手の動きで大体のナイフの位置を把握し、そこから“見えない”ものを感じながら対処する。

…そうすれば、避けられるはずだ。


玲衣さんがしゃがんだまま、僕の腕に手を当てる。


_____夢術:いやす


「…風磨くん、大丈夫ですか?」


見る間に傷が治っていく。


僕は彼女に笑い返した。


「もちろんです」


そして、僕は立ち上がる。

刀を構え、少年を睨んだ。


玲衣さんが避けきれているとは言え、敵のナイフを“見える”は、僕だけ。


____僕が…この僕が…やらなくちゃいけないんだ。


僕は彼に向かって駆け出した。


走りながら、少年の手元を注視する。


彼がナイフを______透明なナイフを、ほとんど手を動かさずに投げた。


だが、そのほんの少しの指先の動きまでは誤魔化せない。


…左だ。


右側に飛びすさり、屋根の淵ぎりぎりを走る。


僕の通り過ぎたすぐ背後の屋根を、ナイフが次々と抉っていく。


僕は空中にクナイを出現させ、それを放った。


彼はナイフを指先で動かし、クナイを落としていく。


踊る様に、舞う様に。


だが、彼がクナイを落とし終えた頃には_________その眼前に、僕は居た。


斜めに振りかぶった刀を、彼の肩元に振り下ろす。


彼は間一髪で飛び退く。


しかし、その直後、彼の手元から赫い血が垂れた。


玲衣さんが矢を放ったのだ。


「あぁ…」


自らの白い手袋を赫く染めるそれを見て、少年は微かに笑った。


「お二人とも、見事な腕前ですね。

それに、急所を狙わないだなんて……あらせるようで」


その笑みには、あからさまに皮肉が混じっていた。


彼は「人間だから」。


僕らに彼は殺せないことを、分かっているのだ。


そして彼は、透明なナイフを取り出す。


「…ですが残念でしたね。

わたくしは本気で殺すつもりなので」


僕は放たれたナイフを薙ぎ払った。


…だが。


「夢術にばかり気を取られすぎですよ」


彼の顔が間近に迫った。


……放たれたナイフだけが、武器じゃない。


彼は、そのナイフを手に持って僕に_____僕の首に、突き刺したのだ。


「……っ……ぁ…」


生温い血液が溢れ出る。


大量の、赫。


僕の体が背後に傾いだ。


「風磨くん…!」


玲衣さんの叫び声がひどく遠くなっていく。


代わりに、脳内で声が響いた。




『痛い?

死ぬのが怖い?

辛いでしょ?

殺したいほど、憎いでしょ?

大丈夫だよ』


_____やけに聴き慣れた、その声は。


その手が、僕の目を覆い尽くす。


やけに赫い視界。


『大丈夫だよ_____』


僕の声が、嘲笑った。


白昼夢本能に、任せてよ』




そして、僕は沈んだ。




* * *


「風磨くん…風磨くん…っ」


私____神奈月玲衣は叫びながら、彼の首に手を当てた。


ナイフを持った少年は、帰ろうとしているのか、こちらに背を向けている。


…どうしよう。


私がパニックになってるせいなのか、はたまた傷が深すぎるせいなのか、私の“癒”でも中々傷が埋まらない。


ダメだ、もしこのまま時間が経ったら。

出血多量で死んでしまうには十分な出血量だ。


「風磨くん……!」


涙目で叫んだ私の叫びが届いたのか否か_____風磨くんが、微かに身を震わせた。


首筋の私の手を、退かす。


「……え?」


困惑した私を尻目に、彼がおもむろに立ち上がった。


伏せられたその眼が開く。


その眼の色を確認せずとも、雰囲気だけでわかった。


______“さくら”だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る