第32話 夢の御話 後編



目を覚ますと、そこは一面の星空だった。


僕____風磨は、目を擦る。


視界の端で、白い花が風に揺れていた。


……僕、寝ぼけてるのか?


図書館から借りてきたで調べ物をしていて____とにかく、本部で寝落ちしたのは確かだ。


視界で揺れる花をぼぉっと眺めながら、考える。


小さくて白い、マーガレットに似た花。


以前この花の名前はシオンに教わったっけ。


確か________


「ノースポール…」


でも、ノースポールは冬から春に咲く花なはず。


僕は、そっと身を起こした。


満天の星の下、白いノースポールが果てしなく続いている。


「ここ、は…どこだ…?」


夢でも見てるのかな、僕。


それにしては、あまりに意識がはっきりしている気がした。


その時だった。


白い絨毯の下から、誰かが起き上がった。

水飛沫のように花びらを散らしながら、凛と立ち上がる。


僕からは彼女の後ろ姿しか見えなかった。


…だが、その風に揺れる長い髪は。

静かなその佇まいは。


「玲衣さん?」


僕の呟きは、彼女に届いたらしい。


玲衣さんがゆっくりとこちらを振り返る。

そして、柔らかく微笑んだ。


…だけど、その微笑みはいつもの玲衣さんとは違っていた。


いつものそれよりも、ずっと大人びて、洗練されていて……どこか妖艶な美しさすら感じる、笑み。


彼女は緩く髪を払うと、花々の間を歩み寄ってくる。


「やっと会えたね、桜坂風磨君」


彼女は、少し首を傾げるようにして僕に声をかけた。


「玲衣さん、えっと…ここは、どこなんですか…?」


「……貴方の、夢の中だよ」


彼女の細い手が、僕の腕を優しく掴む。


「夢……?」


確かに、眠った記憶はあるけれど…。


彼女が頷く。


「そう、夜に見る夢。

ここは、それ以上でもそれ以下でもないの。

……だから、私は現実には行けない」


僕は彼女をまじまじと見つめた。


どこから見ても、彼女は玲衣さんそのもの。


……でも、玲衣さんは。

玲衣さんは、こんなに大人っぽく笑ったりしない。

もっと子供っぽくて、無邪気で。


目の前の彼女の洗練された美しさが、かえって僕には違和感を感じさせていた。


僕は、勇気を出して彼女に尋ねた。


「玲衣さん、ですよ…ね?」


すると、彼女は自らの指を唇に置いた。


「説明し難いわね…。

そうとも言えるし、違うとも言える」


見た目は玲衣さんそのものなのに、目の前の彼女は……まるで、別の者だった。


「どう言う…ことですか…?」


「私は、玲衣の中の一部…みたいなもの。

そうね、彼女が忘れ去った記憶って考えて良いと思う」


玲衣さんが忘れ去った、記憶。


そう名乗った彼女の話は続く。


「神奈月玲衣は、自分が重いごうを背負ってることを忘れてしまってる。

でも……いつかそれが思い出された時、彼女は恐らく壊れてしまう。

…だから、貴方には一つお願いしたい事があるの」


「何を…ですか?」


息を呑んだ僕に、彼女は手を伸ばす。


僕のシャツが引っ張られ、彼女が身を引き寄せた。


「もし彼女が“壊れた”時、貴方には____」


風が、辺りをゆったりと駆け抜けていく。

その度に、白い花は頭をもたげていた。


彼女の顔が、すぐ眼前に迫る。


その瞳の奥には_________赫い……赫い“何か”が眠っていた。


彼女の言葉が、酷く遠く聞こえた。


「____





「……っ!」


僕は顔を上げた。


しかし、そこに存在したのは、少女でもなく、星空でも、花でもなく。


ただ山積みにされた本だけだった。


「あ、れ……」


夢……だったのか…?


やっぱり本を読みながら寝落ちしたのだろう。


硬いテーブルで寝たせいで、体のあちこちが悲鳴を上げていた。


それでもなお身を起こすと、肩からカーディガンが落ちる。


……ん?


カーディガン…?


しかも、それはまさに玲衣さんのものだった。


そっと横を見遣ると、ソファーに寄りかかった玲衣さんが眠っている。


いい夢でも見てるのだろうか。

その顔はあどけなく、なんなら口の端から少しだけヨダレが出ていた。


____うん、夢の中の“玲衣さん”は、やっぱり別人だな。


あまりにも雰囲気が違いすぎる。

夢の中の彼女は、もっと大人びていた。


…でも。


僕は手を伸ばし、そっと彼女の頭を撫でる。


……でも、こっちの方が僕は良い。


いつも通りの、玲衣さんが。


いつも通りの僕らの日常が、良い。


だから、僕には“彼女”の願いを聞くことなんて、到底出来そうになかった。




「なんで!

なんで一人で寝室に帰っちゃったんですかーっ!!」


朝一番に僕を出迎えたのは、玲衣さんの怒った叫び声だった。


「い、いや…だって、玲衣さん気持ちよさそうに寝てたし、起こせるわけないじゃないですかぁ…。布団持ってきたので精一杯だったんですよ、僕だって」


「朝起きたらひとりぼっちだったんですよ?

ひどいですっ」


彼女は頬をぷくーっと膨らませて、僕に迫る。


「近い近い近い近い」


僕は凪さんに助けを求めて視線を送る。


…が。


「…玲衣はお前のためにカーディガンをかけて横にいてくれたんだろ?

だったら、そのまま一緒に寝てれば良いじゃないか」


何を当然のことを、とでも言いたげな彼のため息。


……いや、それ当然のことじゃないから!


「女の子と一晩中そばで寝れるくらい、僕の神経は図太く出来てませんから!なんなら僕まだ思春期!」


「……お前、玲衣のこと“図太い”って言ったか?」


「違う、そういうことじゃないんです!」


駄目だコレ。


そう、なんやかんや凪さんは親バカ……否、“玲衣”バカなのだ。


とにかく玲衣さんには甘い。


砂糖入れすぎなくらい、甘い。


「はぁああ…」


思わず盛大にため息をつく。


そんな僕に、玲衣さんが指を突きつけた。


「良いですか風磨くん!

今日は、私に付き合ってもらいますからね!!」


「えぇ…」


彼女のニヤリとさた笑みから、“良くない”ことを思いついているのは丸わかりだ。


嫌な予感しかない……!




33話に続く。

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