第32話 夢の御話 前編

第32話 


ぼく______シオンは、ずっとあの予知について考えていた。


…いや、正確には染み付いて離れなかった。


あまりに鮮やかな、僕の最期。


キッチンで皿を洗いながら、虚空を見つめる。


流れ続ける水が、手を伝って落ちていくのを感じながら。


……そういえば、あの時。

予知の中で、ぼくの側に少女がいたな。


彼女の服装は、見慣れた隊服だった。


…だけど、あんな少女は隊員にはいない。

を着けてる子なんて、うちの隊員にはいなかった。


「……あれ、は…誰なんだ…?」


名前も知らない、謎の少女。


…だというのに、何故こんなにも…。

こんなにも、彼女のことを知っているように思えるのだろう?


彼女が着ていたのは、見廻隊の隊服だ。


なぜ隊服を?


もしかしたら________これから、入隊する…のか…?


「_____ンさん…シオンさん!」


「えっ」


名前を呼ばれ、思わず振り返る。

…その途端。


頬に、指を突き立てられた。


そのままツンツンとつつかれる。


なにひへふんふはへひはんなにしてるんすか玲衣さん


「だってシオンさん全く話聞いてくれないんですもんっ」


ぷくっと頬を膨らませた玲衣さんが、ぼくの顔を覗き込んだ。


「ちょっと立ったまま寝てただけっすよぉ。

いつものことっす」


あはは、と笑顔を作りながら、蛇口を閉める。


彼女は少しホッとしたように笑うと、ぼくに尋ねた。


「どこまで聞いてました?」


「どこも?」


ぼくはケロっとして返答する。


「シオンさん…」


彼女が苦笑した。


「ええっと、この前の“第二の大災害”で“白昼夢”を使うって人に会ったんですよね?」


“白昼夢”。


その言葉に、ぼくの頬が引き攣る。


“心”を読む「白昼夢」なる力を使う少年。


_______『怖いんですか、また人が死ぬ予知をするのが…?』


彼の言葉がフラッシュバックし、一瞬だけ肚の底から吐き気が上ってきた。


……だめだ、抑えろ。


動揺しちゃダメだ。

笑わなきゃ。


…笑わなきゃ。


「____そうっすよ?

それがどうしたんすかぁ?」


ぼくはおどけて返答する。


上手く笑えただろうか。

誤魔化せただろうか。


玲衣さんは一瞬だけ怪訝そうに眉を顰めたが、すぐに笑って話を続ける。


「…それで、風磨くんやその人以外にも、“白昼夢”らしき力を持つ人が見つかったんです」


いつのまにか、玲衣さんが風磨のことを「風磨くん」と呼ぶようになっていた。


「他にもいるんすね」


「そうみたい、です。

…その女の子、“救済の暁”に追われてしまったらしくて、見廻隊で匿うことになったんですよ〜…っていう話だったんですよ」


_____女の子?


ふと、予知の少女が脳裏を掠める。


自分でも気づかぬうちに、自分の服の裾を握りしめていた。


「だ、だから…シオンさんも挨拶された方がいいかなぁ…って思いまして」


彼女がそう言うのが、酷く遠く聞こえる。


____もし、その子が…その子が予知の子だったら…ぼくは…ぼくはどうする…?


それでも、今のぼくに出来るのは、その子に「笑って挨拶すること」だけだった。


「そうっすね…感謝するっす、玲衣さん」


ぼくは玲衣さんに笑いかけると、キッチンから玄関の方に歩き出す。


…まるで自分の身体じゃないようだ。


やけに遠い視界が、玄関あたりに立っている「その子」を捉えて________


「……え?」


一気に思考の霧が晴れる。


……否、正しくは、思考が“止まった”というべきか。


「な………ななな、なんで…」


____その子は、“予知に出てきた少女かもしれない”。


そんな思考は、全くの杞憂だった。


…杞憂だったけれども、だ。


「なんで、ここにいるんすかぁ!?

っっっっ!!!??」


突然叫び声を上げたぼくに、優希が冷ややかな視線を向ける。


彼の背中には、眠りこけてる風磨が背負われていた。


しかし、ぼくの叫び声で振り返った少女は____北条詩先輩は、目を見開いた。


「シオンくん!?

な……なんでここに…!?」


優希が、彼女に振り返る。


「……詩ちゃん、 シオンアイツと知り合い?」


「知り合いも何も……バイトの先輩っすよ!

…あと、アイツ呼ばわりは許さないっすからね、ユーキ」


惜しげもなく人を指さした彼に、ぼくはぼそっと苦言を呈しながら答えた。


彼女は、罰が悪そうに目を逸らす。


「えっと…」


優希が、目を瞬いた。


「____ん?

詩ちゃん、まだじゃ…?」


彼の呟きに、ぼくもポカン、と口を開く。


「……中学生?

え…高校生の間違いじゃないっすか…?」


「えっと、その…あの…」


北条先輩の目が思いっきり宙を彷徨う。

その顔には、引き攣りまくった笑みが浮かんでいた。


「ご…ごめんなさいっっ!」


彼女が頭を思いっきり下げた。


「わ…私、本当はまだ中学生なんです!

そ、その……年齢は……」


彼女が頭を下げたまま微かに震えている。


……怖がってるの、かな?


Cherryバイト先に告げ口されて辞めさせられて______とか、考えているのだろうか。


…でも、ぼくは。


ぼくは彼女の元にしゃがみ込んだ。


頭を下げた彼女の目線に合わせて、笑う。


「……んじゃ、二人だけの秘密出来ちゃったっすね!」


ぼくは、自分の人差し指を口元に寄せた。


……彼女にも、彼女なりの理由があるのだろう。


そうじゃなきゃ、あんなに頑張って_____本当に、頑張っては仕事できない。


彼女がどれだけ真摯に仕事に取り組んでいたかは、誰よりもこのぼくが知っていた。


だからこそ、彼女を苦しめる権利だなんて、ぼくにはない。


彼女は、頭を上げた。


「……え…?」


「北条先輩、頑張ってますもん。

…それに、二人だけの秘密ってなんか面白いじゃないっすか!」


彼女は、本当に安堵したように頬を綻ばせた。


…それで、いい。

彼女は、幸せになって欲しい。


ぼくは立ち上がって言った。


「んじゃ、ぼくは残った皿洗いしなきゃっすから」


踵を返して、キッチンの影に隠れる。


……どうしよう。


向こうから、楽しそうに話す声が聞こえる。


どうしよう、染み付いて離れない。


“死の予知”が、死の恐怖が、どう頑張っても頭から離れてくれない。


笑えてたか、不安になる。


あぁ、抑えないと。


ぼくは蛇口をひねる。


冷たい水が、流れていく。


_____今まで、ぼくの“予知”が実現しなかったことはなかった。


大きいことから、小さいことまで全部…100%実現してきた。


だから、きっと本当にぼくは“死ぬ”んだろう。


しかも、ある程度近い将来、戦いで死ぬ。


そしたら…そしたらどうなる?


水が、手を濡らしていく。


思考が白濁していくのを感じながら、それでもなお思考するのを止められなかった。


そしたら____全部無駄になる。


無駄になっちゃうのなら______


「それ、なら……誰かを守る必要なんて、ないのか…?」


口をついて出た、言葉。


ぼくは思わずかぶりを振った。


バカだな、こんなこと考えちゃうなんて…。


ぼくは自分を嘲笑った。


…バカだな、ぼくは。


そんなこと考えたって、どうせ


ぼくは蛇口を閉める。



水が、止まった。




* * *



その夜、私_____神奈月玲衣は、喉が渇いて目が覚めた。


「み、ず…」


眠い目を擦って、起き上がる。


…しまった、ベッド横に水を置いとくの忘れちゃったな。


私の部屋は二階。

水を飲む為には、一階のキッチンに降りる必要がある。


私はふらふらと自室のドアを開け、階段へと近寄った。


「……あれ?」


階下の明るさで、目が覚めた。


…誰か、電気を消し忘れたのだろうか?


寝起きの足取りで、階段をゆっくり降りていく。


ダイニングのテーブルの上に、山積みの本が置いてあるのが目に入った。


「もう、片付けないとダメじゃないですか_____」


私は苦笑しながらテーブルに近づき_____


そして、立ち止まった。


本の山の中に、人影が突っ伏していたからだ。


小さな寝息を立てている風磨くんが、そこにいた。


彼が突っ伏していたページに書かれていた文字は、「夢術の起源」。


そこには…“桜”の夢術に関する記載もあった。


___“左”…遺伝性の夢術の起源である“桜”の夢術。その“桜”とは、夢術のエネルギーである。

夢術のエネルギーを出すという極めて単純な夢術であるため、その凡庸性は高く___


「……難しい、ですね…」


私には、難しすぎてなんのこっちゃ分からない。


…だけど、どうやら風磨くんは自分がかつて使った「桜」について調べようとしているのはわかった。


「……ふふふっ」


思わず、唇から笑みが漏れる。


風磨くんにはあんまり勉強が得意なイメージがない。

本を読んでるところも見たことがないし。


…だけど、今はこうやって頑張ってる。


果てしない量の文献と格闘し、自分のルーツを探ろうとしてる。


たった、一人で。


「___頑張ってください、風磨くん。

でも、こんなところで寝てたら風邪ひいちゃいますよ」


私は独り言を言いながら、羽織っていたカーディガンを脱ぐ。


そして、それを彼の肩に掛ける。


顔を上げると、すぐ間近に風磨くんの顔があった。

心臓が、脈打つ。


……どうしてだろう。


どうして、こんなに風磨くんに惹かれるんだろうな…。


その時、彼の唇が小さく動いた。


「______玲衣」


確かに、彼は私の名を呼んだ。


その言葉を聞いた私は、確実に数メートルは飛び退いただろう。


「え…ぁ…ええ、っと……?」


心臓がバクバク五月蝿い。

顔が紅潮しているのが、自分でも感じる。


______今のが……ほんの寝言だってことくらい、わかっていた。


現に当の風磨くんはスヤスヤと寝息を立てている。


______だけど、寝言だけど。


「初めて、呼ばれました…」


“玲衣さん”じゃなくて、呼び捨てで。


寝言だって分かっていても、それは私を舞い上がらせるくらいには十分だった。


私は恐る恐る、彼に忍び寄る。


そして、そっと彼の横に腰掛けた。


「……」


穏やかな静寂。


良かった、起きなかった。


私はホッとため息をつくと、背もたれに自分の身を預けた。


_____今だけ、そばに居ても良いでしょうか?


ほんの少しだけ……夜が明けて1日が始まる、それまでは。

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