第31話 罪悪の記憶 後編



僕は夢喰いの気配を頼りに走った。


よりにもよって、気配の出どころは入り組んだ路地の先。

…つまり、自分の感覚を頼りに迷路を辿るしかないのだ。


細い路地を右へ左へと駆ける。


建物の角を曲がると、少し広い空き地に出た。


…おそらく、開発途中で放棄された空き地に。


空き地の真ん中に、黒いローブが幾つか蠢いている。


そして、その黒の中心に、彼女はいた。


「離して…っ」


パーカーを着た少女が叫ぶ。


“救済の暁”に掴まれた腕を振り解こうと、身を捩っていた。


「…詩ちゃん!」


僕は彼女を“知らない”。


…だけど、そんなことを考えている暇なんてなかった。


気づかぬうちに、僕は叫んでいた。


名前を呼ばれた少女が顔を上げる。


その顔を見て、僕は目を見開いた。


「君…さっきの…」


……さっきの、病院に行く前に僕を睨んだ少女だ。


彼女は一瞬目を見開いたが、すぐに僕から目を逸らす。


その瞬間、夢喰いの腕が強く彼女を引っ張った。


黒の山の向こうに、彼女がかき消えそうになる。



_____夢術:やいば



「一応訊くけど、詩ちゃんで合ってるよね!」


僕は迷いなく夢喰い達の中心に飛び込んだ。


刀を回し、核を貫いていく。


「_______なんで助けるの?」


彼女が、静かに呟く声が鼓膜を揺らした。


それでも、僕は手を止めない。


「アンタの記憶を消したのに……なんで、私に…構おうとするの…?

救われる権利なんて、もう私にはないのに」


…啜り泣きすらしない、絶望に満ちた彼女の声。


夢喰いの刃が僕の身を掠った。


赫く血が頬を伝う。


……かまわないよ。


彼女が、僕の記憶を消してしまったとしても。


「救われちゃいけない人なんて、いないよ…!」


僕は辺りを薙ぎ払った。


強く、ただ力強く。


しかし、彼女は振り払うように首を振って叫んだ。


「もうやめて…!

救われようだなんて思えない、思わない!

……もう放っておいてよ…っ!」



______夢術:おと



彼女の声が、音が、衝撃波へと姿を変える。


それは辺りを巻き込んで、爆ぜた。


爆風で土埃が舞い上がり、僕の身を浮かせる。


視界が回転し、僕は地面に叩きつけられた。


「っう…」


打ち付けた箇所が、ひどく痛む。


痛みの中で辺りを伺い見ると、辺りに幾多もの夢喰いが転がっている。


僕自身、初めにいた場所から離れたところに飛ばされていた。


丸く円を描くような衝撃の跡。


その真ん中で、詩ちゃんが立ちすくんでいた。


「もう……嫌、だよ…」


絞り出すような声が、彼女から漏れる。


「……ち、が……う」


違う、と彼女に言いたかった。


ただ責めるのを止めたかった。


……だが、体が言うことを聞かない。


背中と脚が激しく痛み、起き上がれないのだ。

地面に打ち付けた時に怪我をしてしまったのだろう。


なんて声をかけるべきかも分からず、僕はただ彼女の慟哭を聞くことしかできない。


そんな中、一体の夢喰いが立ち上がった。

爆破の衝撃を上手く避けれたのだろう。


ふらつく足取りで、夢喰いは詩ちゃんに歩み寄る。

その手の短刀が、彼女に伸ばされる。


…その時。


ひとひらの蝶が、空を舞った。

淡い緑色の美しいそれを、僕は知っていた。


力を振り絞り、痛む身を起こす。


残りの夢術を、蝶に放った。


蝶が、僕に呼応するように身を翻し、光を放つ。

次の瞬間に、そこに蝶はいなかった。


一人の少年が宙を舞った。


_____夢術:えんじる


「後は任せろ」


隊服姿の優希は、僕の出現させた鎖鎌を掴むと、夢喰いに向かって落下していく。


左手で鎖の根元を抑えながら、その切っ先を夢喰いに振るう。


夢喰いはかろうじて避けたが、先ほどのダメージが残っているのか、かなりふらついていた。


優希は軽々と着地し、詩ちゃんを背中に庇う。


そのまま夢喰いの刃を踊るように避けていく。


そして彼は、踊りながら鎖を確実に放った。


鎖の先が、貫くのは夢喰いの核。


夢喰いは灰に帰り、優希の鎖が地面に落ちた。


彼の体をもう一度光が包み、パーカー姿に戻る。


立ちすくんでる詩ちゃんが、糸が切れるようにその場に崩れ落ちた。


「…大丈夫?怪我は?」


優希が差し伸べた手を、彼女が見上げる。


「…」


「怖かったな、でももう安心しろ。

夢喰いはもういねぇから」


“安心しろ”


その言葉で、彼女が一瞬だけ微笑った気がした。

しかし、すぐに彼女はうつむく。


「…なんで助けるの」


先ほど僕にした質問と同じ問いを、彼女は優希に投げかけた。


彼は、少し苛立ったように答える。


「なんでって……そんなのに理由、いるか?」


「……なんで」


彼女は繰り返した。


「なんで、助けるの?

私のせいで、お兄ちゃんは不幸になった。

私のせいで、風磨さんを傷つけた。

……私が死んだら、みんな幸せになれるのに…っ」


呪いのような、その言葉。


詩ちゃんの言葉を聞いた彼は、少し顔を顰めて立ち上がった。


それから、僕の方に迷いなく歩いてくる。


「…風磨、ちょっと来てくれねえか?」


優希が僕の身体を支える。


「え…と…」


困惑した僕に、微かに彼が笑いかけた。


「俺よりお前の方が得意だろ、こういうの」


半ば抱き起こされるように、身を起こす。


詩ちゃんの方に連れて行かれた僕は、そっと彼女を伺い見た。


彼女の眼窩に嵌るのは、深い絶望と後悔。


……正直、僕だってどうすればいいかなんて分からない。


だけど、ただ一つ分かるのは。


僕は詩ちゃんに声をかけた。


「詩ちゃん」


彼女に、ただ告げる。


「……無事で、よかった」


良かった、本当に。


詩ちゃんを「助けて」と言った晶くんは、本当に苦しそうだったから…。

そんな彼のを、守れて良かった。


「……よくないよ」


彼女が静かに吐き出す。


「よくない、何も。

…私は、救われちゃいけないの」


彼女はギュッと唇を噛む。


強く噛みすぎて血が滲んでいた。


…だから、僕は彼女の手を握る。


「あのね、詩ちゃん」


僕は目を伏せた。


「僕もつい最近まで、いつ死んでも良いって思ってた。

かまわないで欲しいって…僕を救おうとした人に言ったこともあったんだよ」



『お願いだから…僕に構わないでくれよ…!優しくなんて、しないでくれっ…!』



その言葉が脳裏に鮮やかに浮かぶ。


それは…僕自身が吐いた言葉達。


「…それでも、晶くんは、君が救われることを願ってる」


「お兄ちゃんは優しすぎるの。こんな私ですら、大切に思ってくれる。

でも、それじゃ…このままじゃ…」


彼女の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

それは次々と地面に落ちていく。


「…今度は誰を傷つけちゃうのか、分からないじゃない…!」


僕の視界の端で、一瞬だけ優希が顔を顰めた。

何か苦いものを飲み込んだような、苦悶の表情。


___だからこそ。


僕は、静かに言う。


「だから、僕が救うよ」


澪を、“あの日”救えなかった…その分まで。


僕は彼女の背に腕を回した。


「…詩ちゃんが、誰かを傷つけることがないように、僕が手伝う。

君が自分を責めることがなくなるまで、一緒にいるよ」


「…っ」


彼女が僕に身を預ける。


その背中を、僕は優しくさすり続けた。


「詩ちゃん」


優希が彼女のそばにしゃがみ込む。


「…よかったら、本部うちに来ねえか?

こんな所じゃ、落ち着けねえだろ。

それに、詩ちゃんもまたアイツらに襲われたかねぇだろうし」


彼女は僕の胸で泣きじゃくりながら、緩く頷く。


「なら、決まりだな」


ほら行くぞ、と言わんばかりに、優希が軽く僕の背中を叩く。


____しかし。


「ぐぇっ」


背中に激痛が走り、僕は地面に転がった。

……そう、忘れかけてたけど。


「優希……僕、怪我人…」


「悪りぃ、風磨…」



結局、僕は優希におんぶされて帰る羽目となったのだった。



32話に続く。

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