第30話 生かし続けるために 後編
「……腕痛い」
結局あの後、流には山ほどの質問と、山ほどの書類を食らわされた。
…いや、それは「対夢術管理協会」としての職務だ。
むしろ
……が。
流石に見逃すわけがない。絶対に、同じ書類が幾つかあった。
「これ同じ書類だろ」
と問い詰めたが、「何枚か必要なんですよ」と、綺麗にかわされた。
______コピーしろよ…っ!
どうやら、彼が“今も恨んでる”と言ったのは嘘ではなかったらしい。
お陰で次の日には腕が筋肉痛だ。
「……さて」
右腕をもみほぐしながら、俺は独りごつ。
…そろそろ、紅の遺品を整理しないと。
これまでは紅の生きていた時の雰囲気を消したくなくて手付かずにしていたが、「前に進む」と決めたのだ。
その為に、彼女を大切な“思い出”にする必要がある。
棚の引き出しを開けた時、ふと一つの紙袋が目に入った。
「……あ…これって」
俺は、紙袋を手に取る。
それは、廃病院に調査に行った日、紅が持ち帰ってきた紙袋だった。
中には、小さな箱と共に一枚のカードがあった。
「…っ」
カードに書かれた文字を見て、俺は目を見開く。
俺はゆっくりと小箱を取り出すと、それを開いた。
……綺麗な青いフレームの眼鏡が一つ。
丁寧に梱包されたそれが、箱の中に収まっていた。
「……紅…お前は…」
…忘れていた。
俺の誕生日、もうすぐだったな。
『誕生日おめでとう、凪』
カードには、紅の字でそう書かれていた。
* * *
僕は______桜坂風磨は、溜息をついた。
その溜息の理由は、澪の見舞い帰りだからだ。
「…もう、10年か」
澪が眠りについてから、もう10年。
なんなら、目覚めていた期間よりも眠っていた期間の方が長い。
もう慣れたこととはいえ、毎日寝顔しか見れないのは…やっぱり、悲しい。
…いや、こんなこと言ってたってしょうがないよな。
僕は喝を入れるために、自分の頬を軽く挟む。
悲しむより、次の行動を考えた方が良い。
…そうだ、帰りに図書館寄って行こうか。
もしかしたら、“夢喰いの始祖”とか“桜”とか“白昼夢”とかの情報が_______手がかりが、見つかるかもしれない。
まずは情報収集だ!
「よし…っ」
…勉強苦手だけど……やるぞ!
僕が胸中で密かに決意を固めた時、視界の端を何かが動いた。
「…ん?」
僕は顔を上げる。
目線の行く先は、今し方出てきたばかりの病院の______その屋上。
鉄でできた無機質なフェンスの外側、一人の少女が髪を靡かせて立っていた。
「あれって_____詩ちゃんじゃ…」
晶君の妹である詩ちゃん。
彼女が、虚な目をしてフェンスに身を預けている。
そして、彼女は小さく呟いた。
「…692回」
そう呟いて_____足を踏み出した。
…そこに、床はない。
彼女の身は、軽々と宙に放り出された。
「危ない…っ」
僕は叫ぶと、彼女の方に駆け出す。
それは、あまりに反射的だった。
彼女は抵抗すらせず、真っ逆さまに落下してくる。
「詩ちゃん!」
名前を呼ばれた彼女は、ハッとしたように僕を見た。
その唇が震える。
「…なんで……なんで来たの…!?」
落下しながら、彼女の目が色を変えていく。
「……っ!?」
_______“白昼夢”。
彼女の目は夕焼けよりも赫い色に染まっていった。
彼女が泣き叫ぶ声が、耳をつんざく。
「また______“ ”じゃない!」
彼女の体を受け止めた瞬間、視界が暗転した。
「……んぁ」
目を開けると、青空が目を刺した。
「あれ…僕…」
身を起こして、あたりを見渡す。
すると、白い病棟が目に入った。
……ここ、病院の外?
僕、確か澪のお見舞いに来て、その後は______
僕は手を頭にやった。
ズキン、と鈍く重い痛みが頭を走る。
…あれ?
そのあと、何してたんだっけ?
思い…出せ、ない。
「…僕、なんでこんなとこに居るんだっけ……?」
* * *
ちょうどその頃、一人の少女が病院の屋上に仰向けで横たわっていた。
おもむろに、その瞼が上がる。
彼女は床に背を預けたまま、ひとつ溜息をついた。
「……また、だ…」
彼女_____詩は、手で太陽を隠す。
彼女が横たわる床には、無数の傷があった。
ビッシリと、そこかしこに。
…それらは、全て彼女自身がカッターナイフでつけたものだった。
その数、692個。
「…また、死ねなかった」
692回。
それは、彼女がここから飛び降りた回数だった。
そして、それは彼女がこうして屋上で目を覚ました回数でもあった。
______どれもこれも、全部私のせいだ。
私の持つ、「変な力」のせいだ。
彼女は思った。
お兄ちゃんが記憶を失ったのも、私が頭がおかしくなるほど飛び降りても死ねないのも。
それが夢術のせいだったら、まだ良かった。
夢術だったら、練習すればちゃんと扱えるようになる。
…でも、そうじゃない。
だって、私は夢術者だ。
私の夢術に、こんな呪いみたいな力はない。
「そんなの……おかしいよ…」
おかしい。
狂ってるのは、おかしいのは…世界か、私か…?
彼女はふらりと立ち上がると、フェンスに縋りついた。
幾度も越えたそれごしに、地上を見下ろす。
地面では、“風磨”という少年がポカンとして座り込んでいた。
詩は、血が滲むほど強くフェンスを握り込む。
ごめんなさい。
私のせいだ。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい_______
終わりのない彼女の懺悔だけが、“桜坂風磨が彼女を助けた”という事実を憶えていた。
31話に続く。
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