第28話 風と炎と水と 後編




それは、家族と夕食を取ろうとしていた時だった。


   ウゥゥゥゥゥゥゥゥ……


何処かから、危険を知らせるサイレンが鳴り響いてきた。


父親、つまり仁科海が立ち上がり、窓から外を見遣る。そして、その目を丸くした。


「…逃げろ」


そう言うのと、玄関のドアがバリッと音を立てて破られるのが同時だった。


俺は音の方を見て、そして立ちすくむ。


_______赫い目。


そこにいたのは、夢喰いだった。


今まで幾度もその生態について文献で読んできた生き物。

……だが、一度も実際に見たことのなかった存在。


父は迷わず夢喰いの方に歩み寄っていく。

確かな足取りで、恐れなど見せずに。


……止めて。


無茶だ、夢喰いに立ち向かうだなんて。


だから、行かないでくれ…。


思わず彼の後を追って歩き出そうとした俺の手が、後ろから引っ張られる。


「何やってるの!?逃げるわよ!」


振り返ると、俺の腕を掴んでいたのは姉である翠奈すいなだった。


その背後には、母親も。


「…で、でも…父さんが…っ」


俺は叫んだが、母親は首を静かに横に振る。そのまま俺と翠奈をクローゼットに押し込めた。


「な……」


何のつもりなのか分からない。


「父さん……母さん……っ」


なんで?


早く逃げなきゃ。じゃなければ死んでしまう、父さんが、母さんが。


「おねがい……静かにして…」


クローゼットから飛び出そうとした俺を背後から翠奈が抱き押さえる。


僅かに_____本当に僅かに開いたクローゼットの隙間から、赫い目の怪物が両親に襲い掛かるのが見えた。


「 生 き て 」


そう母親の唇が動いた気がした。





両親を失った“大災害”の後、俺は紅の安否も確認する間も無く桜庭町から離れることになった。


翠奈が就職したのだ。


その就職先は、桜庭町から離れた街だった。その街にある社宅に俺たちは住まわせてもらえることになった。


両親と暮らしていた町から離れ、姉との日々を暮らすうち、少しずつ両親を亡くした痛みも薄れていく。

消えはしないが、夜中に赫い目を思い出して泣くことはなくなった。


…だが、傷が癒えたのは束の間だけだった。


5年前のある日を境に、翠奈が家に帰らなくなったのだ。

家だけじゃない。

会社にも顔を出さなくなった。


…つまり、彼女は行方不明になったのだ。

その消息は今も分からない。




「_______っ」


それから約1ヶ月後……寒い冬の日、俺は夢喰いと戦っていた。


姉がいなくなって身寄りがなくなった為、俺自身で生計を立てる必要に迫られた。


…無論、孤児院に世話になる選択もあったのだが、“大災害”で発現した夢術を生かして夢喰い狩りの傭兵になった。


…しかし。


正直夢喰い狩りを舐めていた自分がいるのも確かだった。


それで生計を立てていく為には、護衛や討伐をする必要がある。

つまり、夢喰いを狩る必要があるのだ。


だが、夢喰いの強さにもバラツキがある。


俺の実力で十分倒せる夢喰いも多かったが、中には俺では太刀打ちできない夢喰いもいるのだ。


…俺が今こうして対峙している夢喰いもその中の一体だった。


今まで倒してきた奴よりも段違いに強い。


速さ、力強さ、機知。


どれをとっても俺が劣っているのは明白だった。


それでも今までどうにか致命傷は受けずに済んでいたが、既に俺はかなりの重傷を負っていた。

…いつまで、保つだろうか。


寒さで膝から力が抜ける。


…寒い。寂しい。


もう立っているのも限界だった。

その場に崩れ落ちる。


…俺は、ここで死ぬのか?


段々と思考が遠ざかっていく。


その中で、俺は家族に詫びていた。


…ごめん、折角生き延びさせてもらったのに、こんな事に命を無駄にするなんて。


ごめんなさい。


ちゃんと生きれなくて。


「ご、め…ん______」


その時だった。


微かに温かみを帯びる何かが、頬に触れた。


じんわりと温度が広がっていく。


目を薄く開くと、その視界を水飛沫が横切った。


……水?


疑問に思った直後、夢喰いが灰になって消えた。


目の前に、少年の顔が現れる。


長い前髪が彼の両目を隠してはいたが、彼はその時確かに笑っていた。


「…君、生きてる?」


_____いや、目開けたんだから生きてるって分かるだろ…。


内心突っ込みながらも、俺は静かに頷く。


冷えた体に、彼の体温が心地よい。


少年がギュッと手を握ってくれているお陰で、寒さで固まっていた体が、少し動くようになってきた。


彼はゆっくりと俺の身を起こす。


俺は彼に訊いた。


「…えぇと、助けてくれた…のか?」


すると彼は少し悪戯っぽく笑った。


「名乗る程の者ではございません、ただの通りすがりです」


「……いや、ただの通りすがりは夢喰いを颯爽と倒さないだろ」


俺が指摘すると、彼は耐えきれずに吹き出す。


「冗談です。僕も夢喰い狩りですよ。

…はじめまして、瀬川潮せがわ うしおです」


それが、彼_______瀬川潮との出会いだった。




29話に続く。

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