第28話 風と炎と水と 前編

第28話



_____物心ついた時には、既に俺はこの世を諦観していた。


周りから見れば、やけに大人びていて可愛くない子供だったろうな。


俺がそんな風になった理由は、やはり、“仁科海にしな かい”の存在があったからだろうか。


仁科海______要するところ俺の父親は、かなり業界外でも有名な民俗学者だった。

「夢術研究」の第一人者といっても過言じゃない。…そんな存在。


子守唄がわりに夢術の話。

絵本がわりに夢喰いの本。


そんな環境で育ったからだろうか、息子である俺も夢喰いや夢術についてを知りたいと思っていた。


12年前、俺が“魔物を祀る神社”に足を運んだのも、そういう理由だった。


伝承上の“魔物”の存在を知り、その正体について父の論文で読んだ。

…だから、実際にその伝承が伝わる神社に赴き、自分の目で確かめてみよう。

初めは、そんな思いつきでしかなかった。


目的地には家からすぐに着く。

俺はそこの大樹に身を預けて論文を読んだ。


…その場所からは“ラプラスの魔島”も眺めることができる。

一見静かでなんの変哲もない孤島。しかし、そこに物語があるのだと知って見るのでは、見え方がガラリと変わる。


俺はその変化を見るのが好きだった。


その日から、俺は毎日のように神社に足を運んだ。


深い意味はない。

ただそこが、誰にも邪魔されない場所だったというだけ。


そんな事が続いたある日。


突然何処かからか声が降ってきた。


「ねぇ!そこの君、ひとりなの?」


俺は辺りを見渡す。

しかし、声の主は見当たらなかった。


くすくすという小さな笑い声と共に、声がもう一度鼓膜を揺らす。


「ひとりなら_______」


頭上から、軽く音がした。


…上か。


俺は反射的に上を見上げる。


それは、少女が木の枝から飛び立った瞬間と同時だった。


宙に身を躍らせた彼女は、蝶のようにふわりと着地する。


_______本当は、飛び降りる時間だなんてほんの一瞬だったのだろう。


しかし、俺は彼女がゆっくりと舞い降りてくるような錯覚を覚えた。


彼女は薄く口角を上げ、大人びた笑みを浮かべる。


「_____私とお揃いだね」


俺はあまりのことに暫く口を開けていたが、やがてそれを結んだ。


少女が舞い降りてきた驚きが去り、読書の邪魔をされた苛立ちが現れたからだ。


「…誰か知らないけど、なんか用?本読んでるのがじゃまだったらどくけど」


彼女は大人っぽい表情を崩して笑う。


「えへへ、おどろいた?

急に話しかけてごめんね。

最近ずっとここに来てるからお話ししたいなぁって思ってたんだ。

私は、鬼ヶ崎紅っていうの。君は?」


割と饒舌だ。


「これ読んでるから、話しかけんな。…オレは、仁科凪」


彼女の名前を訊ねたわけじゃなかったが、俺は自己紹介されて名前を返さないような人間じゃない。


すると、彼女は品定めをするかのように俺の顔を覗き込んだ。


「ふぅん……凪くんね。なら君は“なーくん”だ!」

「なんで勝手にあだな付けるんだよ。

しかもなんだ“なーくん”て」


俺のツッコミも虚しく、彼女はニコニコと笑っている。


「なーくん、それ何の本なの?

けっこう分厚いね」


「むしかよ…。これは“論文”だ。

桜庭町につたわる伝承のな」


何の伝承だとは言わなかったが、彼女には大体の察しがついたようだった。


「へえ、ロンブンねぇ。じゃ、“魔物”のことものってるのかなぁ」

「きょうみあるのか?」


もしかしたら、民俗学に興味を持ってもらえるかもしれない。

僅かな希望を持って彼女を見る。


しかし、彼女が次に言った言葉は、予想外のものだった。


「だって、私だから。その魔物」


「…は?」


彼女は眉一つ動かさずに話を続ける。


「私ね、どこで生まれたか分からないんだって。だから魔物なの」


…さも、それが当然の事実であるかのように。


俺は唇を結んだ。


腹立たしい。


何がか?


こんな幼い少女に差別の目を向けて己の劣等感を消費するやからが。


「ばかだな」


俺は吐き捨てた。


その言葉に、少女が目を瞬く。


「……なんて?」


「ばかって言ったんだ。

そもそも“魔物”だなんてそんざいしない、空想のさんぶつなんだよ。

伝承上の魔物は最初のほうの“夢術者”だ。

魔法みたいな力を使うから、魔物あつかいされてはくがいされたんだろうな。

もしも、“魔物”がいたとしても、それが人形をしてオレたちと同じように生活してるんだなんてあまりに都合が良すぎる」


落胆の気持ちをそのままに言葉を吐く。


我に帰ったのは、全てを吐き出してしまってからだった。


…言いすぎた。


案の定、少女には何を言ってるかは伝わらなかったようだ。


キョトン、として口を開けている。


「どういうこと?」


俺は手に持っていた論文の束を閉じた。


「お前は魔物じゃない」


言いすぎてしまったという恥ずかしさからか、我ながらぶっきらぼうに言ってしまう。


その後に降りた一瞬の静寂に、思わず顔を上げる。


そして、目を見開いた。


少女の目からは、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちていたからだ。

次々と彼女の頬を伝って落ちるそれは、地面に丸く染みを作っていく。


「ちょっ、泣くなよ!?

気に障ったなら謝るから!」


同い年くらいの女の子を泣かせると言う経験がなかったため、どうすればいいか分からない。


無様に慌てる俺に対し、彼女は頬を濡らしたまま笑った。


「ううん…ちがう。私のこと“魔物”じゃないって言ってくれたの…家族以外で初めてだったから」


…それは、周りのレッテルから解き放たれた少女の、心からの笑みだった。


「変なやつ…」


変なやつだ。


だけど、対応に困る一方、彼女が笑顔になってくれたことに安堵を覚える自分もいた。


……なんでだろう。


こんなに、人が笑顔になったことに喜びを覚えたのは初めてだった。


その理由を知りたくて、俺は論文を読み終わった後も神社に足を向けることにしたのだ。





しかし、そんな日々も長くは続かなかった。


_______他人を不幸にする“魔物”は俺自身だったからだ。

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