第26話 夢見草が咲く 後編
…誰…?
どこかで聞き覚えのあるようなその声に、私は恐る恐る振り返る。
そこには、一人の少年が影に溶け込むように立っていた。
紺の軍服に、風に靡くマント。
彼は、赫い目をこちらに向けた。
…夢喰い。
その事にいち早く気づいた風磨君(そう呼ばせてもらいます)が、刀を持って立ちあがろうとした。
…しかし。
「…っ」
彼がその場に崩れ落ちる。
私は彼の体を支えた。
「な…っ、む、無理しないでください…!」
「…ごめん…」
弱々しく、風磨君がつぶやいた。
夢喰いはそんな彼を蔑むように一瞥する。
「仕方ない、そいつは初めて“白昼夢”を使ったんだからな」
私は夢喰いを睨み上げた。
「さっきから…なんなんですか、貴方は…」
「…久しぶりだというのに、随分冷たいんだな_____レイ」
戦慄が走る。
…何故、私の名前を知ってるの…?
「久しぶりって…どういうことですか?
私は貴方を知りません。
…知る由もないじゃないですか」
私は腕の中の風磨君を思わず抱き寄せた。
しかし、夢喰いは私の様子を見て薄く笑う。
「…覚えていないなら、特別にもう一度自己紹介してやる。
俺はヨザキ。
“救済の暁”の教祖だ」
_____ヨザキ。
救済の暁の教祖にして、夢喰いの始祖。
どうして、そんな夢喰いがここに?
しかし、その名に一番反応を示したのは、風磨君だった。
「…ヨザキ」
彼の目は真っ直ぐにヨザキを睨んでいた。
「なんだ?桜坂風磨。
訊きたいことでもあるのか」
ヨザキの問いかけに、彼は頷いた。
そして、そっと私の腕から離れる。
立ち上がった彼は、ヨザキの目を見て問いかけた。
「…僕の母さんは…、アサギ…なのか?…お前の姉の…」
「…え?」
私は思わず彼に視線を送った。
アサギは、ヨザキの双子の姉。
彼女も夢喰いの始祖だ。
風磨君が…彼女の息子?
冗談にしてもあんまりだ。
しかし、風磨君の横顔は至極真剣だった。
一瞬の間の後、ヨザキの返答が鼓膜を揺らす。
「…ああ、その通り。アサギはお前の母だ」
風磨君の目が見開かれる。
彼は身を乗り出した。
「なら、アサギは今どこに_______」
「死んだよ。
とうに俺が殺したからな」
「っ…!?殺した…!?」
風磨君が刀を手に一歩踏み出す。
痛みに一瞬その顔が歪められたが、構わず彼は走り出した。
「風磨君…っ」
…駄目、敵うはずがない。
私は叫んだが、その声が彼に届くことはなかった。
ヨザキが眉一つ動かさずに何かを投げる。
その途端、風磨君の動きがぴたりと止まった。
「……え…?」
中途半端な姿勢のまま、時間が止まったかのように彼の動きが止まる。
風磨君が目だけをヨザキに向ける。
______
それが、ヨザキの夢術。
相手のエネルギーを奪う夢術。
「…
なに、心配いらない。
邪魔者は直ぐに消しておく主義だからな」
そして、彼は右手をかざす。
彼の影が蠢き、そこから一つの剣が生まれた。
風磨君は精一杯ヨザキを睨むが、抵抗する術はない。
ヨザキがその剣を放ちかけて______それを止めた。
理由は簡単。
私が風磨君の前に立ち塞がったからだ。
「…消させません」
両手を広げ、私は言う。
…消させるものか、風磨君を。
ヨザキは少し当惑した表情になった。
「…レイ、邪魔だ。そこをどけ」
「どきません。殺すなら、私からにして下さい」
足が震えそうになるのを抑える。
怖いけれど…どくわけにはいかない。
ヨザキは少しの間私を睨んでいたが、はっと息を吐いた。
「いつからお前はそんなに生意気になったんだ?
…しかし、桜坂風磨。命拾いしたな。
心変わりした。
レイ、お前は俺にとって最後の切り札だ。
…それはゆめゆめ忘れるな」
彼は右手を下げると、暮れた町の影に溶けるように消えた。
その途端、背中に風磨君の体重がかかった。
「あ…っわわわわわっ!?」
支えきれず、彼もろとも倒れこんだ。
「す、すみません…っ!」
あたふたした彼が、すぐに私を引き起こす。
「…えへへ…大丈夫ですよ…風磨君こそ、大丈夫ですか?」
私の問いかけに、彼は少し寂しそうに笑った。
「はい、もう動けますから…」
私を起こした彼は、ヨザキの消え去った方向に目を遣る。
「ヨザキ……あいつは……僕は、何者なんだろうな…」
その表情は、ひどく辛そうだった。
* * *
病院の屋上。
一人の少女が、ナイフを床に突き立てていた。
何度も、何度も。
幾度も振り下ろされたナイフは、屋上の床に少しずつ傷をつけていく。
やがて、その傷は一本の線を形作った。
少女は、ナイフを手から離し、立ち上がった。
フェンス側まで歩み寄り、慣れた手つきでそれを越える。
屋上の床には、今しがた削られた傷と同じようなものが、無数にあった。
沢山の傷跡。
その総数を知っているのは、おそらく少女だけだ。
彼女はフェンスの外側で、ひとつ息を吸った。
「_____691回目」
小さな呟き。それが、彼女の傷の数。
そして彼女は空を舞うように_________
_________落下していった。
2章・香を知る華 完結。
27話に続く。
(作者メモ:修正作業が終了いたしました!ご迷惑おかけしました…)
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