第26話 夢見草が咲く 前編

第26話


風磨さんが、逆さまにゆっくりと落下していく。


私_____神奈月玲衣は、弓矢を放り出して彼の元に駆け出した。


駄目…っ、届かない!


______夢術:いやす


私は夢術のエネルギーを風磨さんに向かって放出した。


遠隔だから効果なんて無に等しいこと。


そんなこと、知っている。


それでも、気休めにもならなくても…放たずにはいられなかった。


「風磨さん…!」


彼はぼうっとした表情で落下していく。


自分が落下していることを理解できていないようだ。


このままじゃ______頭から着地してしまう。


彼の目がゆっくりと閉じる。


髪の先が地面に着くか着かないか__________

その時に、“それ”は起こった。



「_______さくら



彼が唇で低く呟く。


それと同時に、彼は握りしめた刀で地面を薙いだ。


体を半回転させ、地面に軽く着地する。


刀から、淡い花びらが舞い散った。


…花びら…?


もう桜の季節は過ぎ去っている。


しかし、辺りには桜の花びらが美しく舞っていた。


風磨さんは地面に膝をつけたまま、その瞼を上げる。


______赫。


赫い色が、左眼まで広がっていた。


そして、元から赫い右眼には“桜”の文字が浮かんでいる。


夢喰いは一瞬驚いたようだったが、触手を風磨さんに向かって放った。


触手の先が彼に迫る。


しかし、彼は無表情に地面を軽く蹴って飛んだ。


土埃が激しく巻き起こる。


直後、数メートル後ろの地面に、彼は着地した。


…今の距離を、ひとっ飛びで…!?


風磨さんが着地した地面のすぐ横に、触手が突き刺さる。


もう一度彼は飛ぶと、背後の民家の壁を蹴った。


2階の屋根ほどの高さまで一気に飛び上がる。


私は、その様子をただ茫然と眺めるしかなかった。


…おかしい。


風磨さんは、どちらかと言うと小柄な体躯を生かして相手の間合いに入るタイプだ。


大きく動くあんな戦法は、あまり得意じゃないはず。


それに…あんなに身体能力は高くないし、彼の夢術は“やいば”だ。


…あれは…。


「あれは…風磨、さん…なんです…か…?」


まるで、別人のようだ。


風磨さんの中の“誰か”が_____風磨さんを使って戦っているよう。


彼は空中で刀を横に振りかぶった。


その唇がかすかに動く。


「_____花筏はないかだ


彼は吸い込まれるかのように、夢喰いの本体に落ちていく。


尚も左右から襲いくる触手を駆け抜け、踏み切る。


そして、全く無駄のない動きで刀を滑らせた。


彼は夢喰いのすぐ横を通り過ぎ、地面に着地する。


彼が何事もなかったかのように立ちあがった瞬間、夢喰いが灰になり、桜とともに散った。


その様子を見届けた彼の体が傾ぐ。


赫い目を閉じて、彼はその場に倒れた。


あたかも糸の切れた人形のように。


「風磨さん…!」


我に帰った私は彼の元に駆け寄った。


その体を抱き起こす。


やけに冷えた体には、まだ少しだけ温かさが残っていた。


「…ん…ぅう…」


小さな唸り声が上げて、彼が体をよじった。


その目がうっすらと開く。


左眼は元の色に戻っており、右眼にはもう何の字も浮かんでいなかった。


彼が私を見上げ、不思議そうに首を傾げる。


「…あ、れ…?玲衣さん…」


彼が目を瞬く。


「…僕、今何してました…?

さっきの夢喰いは…」


まだ意識が朦朧としているのか、彼の話し方が辿々しい。


そんな彼の様子を見て、私は安堵した。


…よかった。

いつも通りの…いつもの、優しい風磨さんだ。


帰ってきてくれた。


風磨さんが突然目を見開く。


慌てたように私の頬に手を当てた。


「れ、れれれれ玲衣さんっ!?

どうしたんですかっ!?

な…泣かないでください…っ」


彼に指摘されて初めて、自分が泣いていたことに気づく。


「なんでもないんです……ただ、風磨君が風磨君なのが、嬉しいんです…」


…そう、当たり前なことが、本当に嬉しい。


しかし、彼はキョトンとして聞き返した。


「…風磨、?」


「………んぁ」


私は固まった。


や…っちゃ…っ、た…。


顔が真っ赤になるのを感じる。


…風磨“君”。


なぜ今この状況で呼んじゃうんだ、私…!?


「ちちちちちちちちち違うんです!!」


私は叫んだ。


「違うんです…い、いまのは…!

あ、あの…そ、想像内で呼んでたとかじゃないんです!一人でそう呼ぶ想像してたとかじゃ、全然!ないんです!

わわわわ忘れてください、今の!本当にごめんなさいごめんなさい…」


無様だとは分かっていても、そう弁解するしかなかった。


脳内で、「風磨君」と呼ぶ練習を密かにしてたとか言えるわけがない!


すると、風磨さんがふんわりとした笑みを浮かべた。


「…いいですよ」


「ほ…え…?」


照れたように私の腕から抜け出した彼が、私に言う。


「風磨君……で、いいですよ。

いや…そっちが…むしろ…いい」


彼が俯き、語尾が消えかかる。


_____そっちが、むしろいい。


脳内で何度もその言葉が反芻される。


彼がまたギョッとした。


「…玲衣さん!?泣かないでください…っ!

い…嫌でした…!?」


「そんなこと無いです!」


私が叫んだ時、突然背中に悪寒が走った。


「…茶番はそれくらいにしておけ」


せせら笑うような、冷たい声。


それが、背後から聞こえた。

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