第25話 空に舞う炎の華

第25話


俺____仁科凪は、頭が真っ白になった。


紅の隊服がじわじわと赫く染まっていく。


背中に刺さった蔦の先が、彼女の腹部から覗いていた。


「紅…っ、紅…!」


俺の呼びかけに、彼女が顔を上げる。


痛みに唇が歪んでいるが、それでも無理やり彼女は笑った。


「よか…った…凪に…当たら、なくて…」


「お前…」


そんなこと、どうでもいい。


俺が怪我したって、構わない。

今更、死ぬことに恐怖なんて覚えない。


…なのに、なんで。


「なんで…庇ったんだよ…」


彼女は、俺を押し倒した。


の俺を。


「…ごめん…凪、は守りたかっ…た、から」


必死に笑う彼女の口から、赫い血が溢れる。


「…っ」


…馬鹿だ。

大馬鹿だ。


庇った紅も、庇われた俺も。


夢喰いが紅を貫く蔦を退いた。


傷口が開き、地面が赫く染まる。

俺が嫌いな…しかし何度も見た、色。


俺はそっと彼女を押し退け、彼女と夢喰いの間に立った。


夢喰いとて、重傷を負っている。


さっきの一打が限界だったのか、蔦が消え去っていた。


…時間稼ぎくらいなら、俺1人でも出来るだろうか。


「紅、逃げろ」


「…?」


「逃げろ、一旦退け。

街に玲衣がいるはずだ。まだ間に合う、怪我の回復をしてもらえ。

大丈夫だ…それくらいの時間ぐらい、稼いでやるから」


まだ、まだ大丈夫だ。


そのはずだ。


狂信かもしれないけれど、今はそう信じるしかなかった。


「で、も…」


紅が、当惑したように声を上げた。


だが、俺はその言葉を遮る。


「これは、だ。断ることはできない」


後ろを振り向かないまま、俺はそう言い切る。


それくらいしないと、泣き出してしまいそうだったから。


「…だ、め…だよ…凪は…凪は死なせ、ない…」


彼女が俺の裾を掴んで、ふらふらと立ち上がる。


「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!?

分かってくれ…お願いだから…」


「凪が怪我するのを見たくないの!

苦しむとこ、もう、見たくない…!

我儘だってわかってるけど…それだけは、絶対譲れない…っ!」


彼女が叫ぶ。


その目には、涙が浮かんでいた。


「紅…お前…」


「私、は…凪に居場所を…もらった…から…。

今度は…みんなを守るって…決めた、の…。

大切なものを奪われる辛さは…誰よりも知ってる、だから。

誰も、死なせない…死なせてたまるもんですか…」


…違う。


居場所をもらったのは、俺の方だった。


群れないことが正しいと思っていたかつての俺に、誰かといることは楽しいことなんだって教えてくれたのは、彼女だった。


______だから、お願いだよ、なぁ…紅。


「ねぇ…凪、私は…」


彼女の声が遠く響く。


______お願いだから…俺の前から居なくなんないで…。


そんな身勝手な願いを、ずっと口に出せないままだった。


…ずっと俺は逃げ続けていた。


彼女がいつか居なくなるかもしれないという今日から。


「…もう、逃げないから」


そう言い放った彼女は、俺の前に回り込んだ。


その腕が俺を抱きしめる。


強く、確かに彼女が触れた。


「だから…」


彼女の体温が、血と共に確かに消えていく。


そして彼女は笑って_________


「…ごめんね、凪」








________俺を崖から突き落とした。





体が落下していく。


ゆっくりと紅の姿が、上に遠ざかっていく。



紅が最期に見せてくれたのは、とても悲しい笑みだった。





「さよなら、______凪」







* * *




…大丈夫。


このくらいの高さなら、凪は死なない。


ちょっと怪我くらいはするだろうけど、玲衣ちゃんがなんなく治せるレベルだろう。


_________夢術:ほむら



大丈夫…、大丈夫。

もう、迷うことはないのだ。


貫かれた時、自分が死ぬってことはもう悟っていた。


エゴだけど…凪に悲しい思いをさせてしまうけど…それでも、私は最期まで「私」で居たい。

だから。


だから、私は彼に嘘をついた。


「愛してた」んじゃない。

今も、「」んだ。

それは恋って意味だけじゃなくて…人として、仲間として。

仁科凪という人間は、私の大切な人だった。


これは、凪が傷つかないための…エゴな私の悪あがき。




私は空を仰いだ。

炎でできた羽。私の命を糧に、燃え尽きるための羽。

「大丈夫」

私は笑う。空が滲んでしまうけど…それでも、大丈夫。



私は君と居れて、幸せでした。












鳳凰演舞ほうおうえんぶ













* * *



________ドォォォォォン…


地面を揺すぶる様な衝撃と共に、山の方から激しく煙が上がった。


僕は、思わずそちらの方を見遣る。


「紅…さん…?」


彼女の夢術の気配がした。


暖かい、“ほむら”の気配が。


そして、それは_______


「…っ」


_____唐突に消えた。


本当に唐突だった。


まるで、かのように。


嫌な想像に、自分でも背筋が凍った。


…だが、こんなに唐突に気配が消えるなんて、夢喰いの核が壊れた時以外に感じたことがない。


要するに、夢術の主が消え去った時に気配が消えるのだ。


それなら、紅さんは_______


「風磨さん…あの爆発って…紅さんのなんですか…?」


玲衣さんが振り返る。


その顔には、不安が浮かんでいた。


「…うん」


僕は静かに頷く。


…玲衣さんに言えるわけがなかった。


紅さんの夢術が消え去ってしまったことを言うことなんて、できない。


思わず刀を握りしめる。


…気のせいであってくれ、どうか。


その途端、触手が目の前に現れた。


「っ!」


避けきれず、刀で弾く。


…そう、今は戦闘中。


忘れかけていた。

僕らはいつ死んでもおかしくないということを。


…それでも、最期まで自らの意思を突き通す。


それが、“夢喰い狩り”の生き方じゃないのか?


紅さんのことは、今は信じるしかない。


僕らは、今を_______僕ら自身で 戦う生きるのが最善策だ。


弾いた側から、次の触手が降ってきた。


横に転がって、それを避ける。


握った刀を回して、触手を弾き続ける。


横目で玲衣さんを省みると、彼女にも触手が迫っていた。


…そのことに、彼女は気づいていない。


僕は耐えきれず、彼女の方に駆け出した。


______夢術:やいば


クナイを出現させ、玲衣さんに近づいた触手を叩き斬った。


玲衣さんは僕を______その向こうを見て、目を見開く。


その瞬間、横から強い衝撃に見舞われた。


回る視界。


僕の体は弾き飛ばされ、地面を無様に転がる。


立ちあがろうと手をついた時、目の前に影が落ちた。


「…ぁ」


絡みつく触手。


足が地面から浮いた。


「風磨さん…っ!」


玲衣さんの泣き叫ぶ声が鼓膜を揺らす。


触手は僕の首を締め上げるように巻きつくと、そのまま上空まで僕の体を持っていく。


「…くっ…は…ぁっ…」


息が…出来ない…苦しい…。


僕はもがくが、弾力性の強い触手に絡まれ、上手く動けない。


自分の体から酸素が消えていくのが、やけに鮮やかに感じられた。


視界がだんだんと暗くなっていくのを感じる。


…あぁ、これで終わりなのか。


暗い視界の端、玲衣さんが矢を放つ。


「風磨さんを……風磨さんを離してください…っ!」


彼女が苦悶の表情で放ったそれは、触手に突き刺さった。


衝撃で、触手の力が緩む。


僕の体は放たれ、ゆっくりと落下を始めた。


上下逆さまになった世界を登っていくにつれ、意識が遠のいていく。


地面が頭上から降ってくるのが見えた。


ぼんやりとした頭の中で、響く小さな歌。


…走馬灯みたいなもの、なのかな?


それはかつて玲衣さんが歌っていた歌だ。


…だけど、歌っているのは玲衣さんじゃない。


誰かの、優しい声。


懐かしくて、あったかい。



_____これは…誰の…声だ…?







桜の咲き誇る、どこかの家の縁側。



そこに、一人の女性の夢喰いが腰掛けていた。


…あぁ、僕は。

夢を見てるんだな。


その夢喰いの眼は他の夢喰いと同様、赤い色をしている。

だけれども、それは血のような赫ではなかった。


夕焼ける空のような、優しい色。


彼女は歌を歌っている。


その腕には、小さな赤ちゃんが抱かれていた。


眠っているのだろう。

その赤ちゃんは、気持ちよさそうに彼女の腕の中に揺られていた。


ふと、歌っていた夢喰いが顔を上げる。


そして、どこまでも優しい笑みを浮かべた。


『_____おかえりなさい、あなた』


彼女の視線の先には、一人の青年がいた。


彼の目は深い黒。


…彼は、人間だった。


青年は夢喰いに微笑み返すと、彼女の名を呼んだ。


『ただいま、


それは、夢喰いの始祖の片割れの名。


青年の足元から、小さな人影がアサギに向かって走り出る。


『お、かあさん、ただいま…っ!』


まだ喋り方も辿々しいような、幼い子供。


やけに見覚えのあるような、少年だった。


彼はアサギに抱きつくと、彼女に頭を撫でてもらう。


アサギは、コロコロと楽しそうに笑った。


『ふふふっ…、今日も“________”は元気ね』


_____え?


僕は耳を疑った。


今、アサギは…なんて…。


彼女に名前を呼ばれた少年は、両目を開いた。


その右の眼の色はだった。


彼は、満面の笑みで母親に言う。



『うん!、げんきだよ!』



だ。


それは、幼い僕自身だった。


その“僕”は、アサギの腕の中の赤ちゃんに向かって語りかける。


『ただいまぁ、澪』


未だ赤子である澪は、キョトンとした表情で僕を見上げた。


幼い僕は彼女ににっこり笑って、それからアサギにおねだりする。


『おかあさん、あれ、やって!』


『あれね…いいわよ』


彼女は宙空に向かって白い右腕を伸ばした。

幼い僕の顔が輝く。


澪も、彼女の腕の中から見上げた。


そして、彼女の右手の甲に、文字が浮かび上がった。



________夢術:桜


辺りに季節外れの桜が舞い上がる。


ひらりひらりと、僕らの幸せを表すかのように。




26話に続く。



_______次回、「香を知る華」編、完結。

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