第19話 誘う火の玉 後編
慌てて自分の口を塞ぎ、声を殺す。
廊下には、青白い炎が浮かんでいた。
ゆらゆらと、手招くように蠢いていて気持ちが悪い。
「…っ」
落ち着け、落ち着け。
あれは見間違えかなんかだ、きっと。
もしくは幻覚か。
しかし、何度瞼が眼の上を通過しても、そこから炎は消えなかった。
思わず後退りした僕に、凪さんが叫んだ。
「伏せろ!」
一瞬、火の玉が揺らいだ。
それは僕らの方に一直線にやってくる。
彼は刀を抜き、軽く一振りした。
夢術:
旋風が廊下を駆け抜け、火の玉が掻き消える。
「凄い…」
僕の喉から声が漏れた。
軽く夢術を使っただけで、炎を全て消してしまえるなんて。
しかし、振り返った凪さんの目は涼しかった。
…否、冷たかった。
「“あれ”が夢喰いの気配を帯びてるか分かるかって訊いたんだが?」
彼が言った“分かるか”とは、“夢喰いの夢術かどうか分かるか”という意味だったのだ。
「こんなホラーな状況で冷静に判断できる凪さんが凄いんですよ…」
「…まさかだが、お化け屋敷入れないか?」
僕は彼の冷たい問いかけに、激しく頷く。
だって、お化け屋敷って滅茶苦茶驚かしてくるじゃん。
怖いじゃん。
彼は頭をかいた。
小さな呟きが耳に入る。
「連れてくる人選ミスったか…?」
しょうがないじゃないか。
こんなホラー映画もどきの調査だっただなんて知らなかったんだから。
僕は彼に言った。
「…こんなところさっさと出ましょう。
紅さんどこですか?
早く合流したいです」
そう言った後、自分の頭蓋骨に何かが響くのを感じた。
「そうだな。
合流は早いほうがいい」
彼の返答がどこか遠く感じる。
…なんだ、何が起こった?
「おい、大丈夫か?
腰でも抜けたのか?」
凪さんの呆れたような心配。
思わず僕は呟いていた。
「…ち、がう」
怖いんじゃない。
この感覚は、夢喰いの気配を強く感じている時に似ている。
だけど、違う。
夢喰いじゃない。
夢喰いはこんなに複雑な気配はしない。
もっと良くない…知ってはいけないものがこの病院にはいる。
本能がそう警鐘をならしていた。
その時だった、窓の外が一瞬暗くなったのは。
「…え」
思わずその方向にむけてしまった目が、見てはいけないものを捉える。
…逆さまになった一人の少年。
やけに時間が遅く感じた。
虚ろなその目が段々と赫に染まっていくのが目に焼きつかれる。
逆向きの少年と、目があった。
彼は少しだけ揶揄うように笑うと、
「 桜坂 風磨 」
と言った。
…なんで、僕の名前を?
窓越しだから、音は届かない。
だけど、彼の唇ははっきりとそう言っていた。
しかし、次の瞬間には、人影は窓の下に消える。
____ドスッ
鈍く、重い音が地面から響いた。
数秒後、正気に戻った僕は慌てて窓に縋り付く。
「今…ひ、人、が…っ!」
固定されていて開かない窓に手をつき、精一杯下を覗く。
しかし、そこには赫い色も、倒れている人影もなかった。
静寂な病院の玄関があるだけ。
僕の横に凪さんがやってくる。
「確かに…今…」
今、人が飛び降りたはずだ。
僕の脳裏に、少年の赫く染まる目が反芻される。
少年の目に一瞬映った、“心”の文字。
あれは見間違えか、それとも______________
* * *
____ザザザッ
『_____一瞬映った______』
『早く紅と会わないと_______』
『______夢喰いの蟋区忰縺ッ縺ゥ________』
『見間違えか________』
『荳?__________嚴縺ォ繧ゅ>縺______三階なのか___」
脳内に流れ込む大量の「言葉達」。
ノイズが混じっているが、ある程度判別は可能だ。
少年__________“ジャック”の足は病院内に踏み入っていた。
そこに彼の意思はない。
ただ、身体が勝手に歩いていく。
彼の意思自体も、「言葉達」に塗りつぶされそうだった。
気を抜けば、意思が闇に呑み込まれる。
彼自身、そう悟っている。
…とはいえ、そうなることは既に織り込み済みだった。
いや、むしろ“この状態”を作るために飛び降りたのだ。
こうでもしないと、“心”という“夢術ならざるもの”は現れないから。
彼は朦朧とする頭で思考する。
どうするのが最適解か?
読んだ“心”の声を紐解き、
自らの夢術と「言葉達」に呑み込まれる寸前、彼は夢喰いに伝えた。
「…女性の夢喰い狩りの方を地下に誘い込め。夢喰い達を合流させるな」
自らの命の危険と引き換えに、夢術ですらない禁忌を使用する。
それが、彼が “人を捨てた” 理由だった。
* * *
背中を冷や汗が伝う。
私____鬼ヶ崎紅は前方を睨んだ。
そこには、廊下の両端を彩るかのように青い炎が浮かんでいる。
今、私がいるのが三階の病棟。
その火の玉は、階下へと続く階段の方に連なっていた。
等間隔に浮かんでいるため、青い提灯のようにも見えなくもない。
それはゆらゆらと絶えずゆらめいている。
____あたかも、手招きしてるように。
「…」
ふと浮かんでしまった比喩に、自分でゾッとする。
かぶりをふって、それを振り払う。
…相手は夢喰いだ。
実体が存在する。
“核”という、明確な急所も存在する。
それならば倒せば問題ない。
私は懐から扇を取り出した。
夢術:
扇を開き、炎を吹かせた。
それは辺りを照らし出し、廊下の奥まで視界を明瞭にする。
その炎で、手近にあった一つの火の玉を包んでみた。
「…なるほどね」
火の玉を包んだ炎が、火の玉と同じ青白い色になる。
なんとなくだが、敵の夢術の見当はついた。
火の玉が現れたとき、私の“炎”に似たものかと思ったが、大きく違うようだ。
…それだけで、夢喰いとの戦い方は変わる。
私は炎の勢いを弱め、火の玉を解放してやる。
火の玉は怯むように一揺れすると、階下に逃げていった。
私はその火を追って、地下に続く階段へと踏み込んだ。
20話に続く。
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