第20話 踊る蒼と紅 前編

第20話


…ここは、すごく不気味だ。


飛んできた鬼火を斬りつけながら、そう思う。


対象は得体の知れない炎だ。


それが、斬ることができるものなのか一抹の不安があったが、柔らかな手応えと共に、鬼火が二つに割れる。


元の大きさよりも一回り小さくなった鬼火は、逃げるように僕の前から去っていった。


…やっぱり、不気味だ。


鬼火があるから、というわけではない。


なんとなく、心が見透かされるような…そんな不安感。


僕は下唇をそっと噛んだ。


鬼火は、絶えず僕らの方に揺らめいて来る。


…紅さんと合流したいのに、中々前に行けない。


かれこれ10分ほど、三階で立ち往生していた。


意のままに行かない苛立ちもあり、僕の中の不安感は膨らみつづけていく。


その時、凪さんが鬼火を軽く払い除けて僕に言った。


「…風磨、退くぞ」


「え…?

凪さん、それじゃ鬼火から離れることになりますよ…?」


僕は目を瞬いた。


思わず彼に口答えする。


…正直いうと、鬼火から離れることが賢明な判断だとは思えない。


鬼火といえど、敵の夢術といえど、それが明かりになっているのは確か。

そこから離れるということは、明かりを失うも同然だ。


火を見たことで、僕らの目は明るい状態に慣れてしまっている。

暗いところで戦うには不利になるのだ。


しかし、凪さんは小さく頷く。


「…そうか、やっぱりそう思うよな。

だけど、このまま鬼火についていくならおそらく_______」


彼は刀を握りなおすと、夢術で辺りの炎をかき消した。


「______紅と合流できない」


そう言い放った彼の声は、微かに寂しさを帯びていた。


自分の周りの鬼火を消し去り、彼は僕の方に向き直る。


「…いいか?

生物の習性的に、明るい方向に向かおうとする性質がある。

俺たちが鬼火のある方に向かうのは、自然なことなんだ。

…その分、その行動は予想されやすい。

未だに紅と合流できていない事実も考慮すると、敵に俺たちの行動は誘導されていると考えれる。

ここは、危険を冒してでも鬼火から遠ざかった方が賢明だ」


僕は頷いた。


鬼火が現れたのは、僕たちを襲うためだけかと思ったが、僕らを誘導する役割もあったのか。


彼は僕の同意を見て取ると、炎から背を向けた。


僕は、その背中に声をかける。


「凪さん」


「…ん?」


ひとつだけ、彼について分かったことがあった。


それを確かめたくて、言葉にする。


「凪さんって、紅さんのことすごく大切にしてるんですね」


彼は、何当たり前を言ってるんだ、と言いたげな顔をした。


「隊員を大切に思うのは、隊長として当たり前だろう?それに___」


凪さんはふっと頬を綻ばせる。


彼がこんなに自然に笑うなんて、珍しいことだった。


「____あいつは、誰よりも苦労してる。

苦しいことも、辛いことも、全部分かってる人間なんだ。

誰にも気づかれないように、ずっとずっと、誰よりも努力してて…それでも、誰にも悟られないように笑ってる。

…多分、紅が本気だしたら俺も勝てないくらい、あいつは強い。

だからこそ、俺は紅のことが______」


彼はハッとしたように言葉を切った。


「___んん…っ。今の忘れてくれ」


小さく咳払いをすると、彼はそっぽを向いてしまう。


しかし、その耳が真っ赤になっていることに、気づかないわけがなかった。


「凪さ_____」

「早く来ないと置いていくぞ、風磨」


ひどくぶっきらぼうに、彼は僕を呼んだ。






暗く、冷ややかな廃病院を僕らは進んでいく。


鬼火の灯りを失い、まさに“一寸先の闇”状態だ。


3階への階段に足をかける。


その時だった。


______ガタンッ


階上から、音がした。


凪さんがほぼ反射的に僕の前に立ち塞がる。


彼の肩越しに向こうを覗き見ると、3階から何かが駆けて下りて来るのが見えた。


小さく、しかし揺らめきながら淡く光るそれは。


「狐…?」


僕はそう呟いた。


それは、青い炎の塊だった。


鬼火と同じように、淡く光る炎。


しかし、その炎の中にうっすらと狐のような白い影が見えた。


僕らの眼前にまでやってきたそれは、階段の手すりに飛び乗る。


すかさず凪さんが刀を振り翳した。


しかし、狐…的なものは彼の刀に飛び乗ると、そのまま彼の手に触れる。


______ジュッ


「っっ…!」


嫌な音とともに、彼が顔を歪めた。


すぐさま彼は手を振り、その狐を振り払う。


…しかし、狐に触れられていたところがただれているのが分かった。


吹き飛ばされた狐は階段にぶつかり、一瞬形が歪む。


だが、その直後には元の形に戻っていた。


なんて復元力…!


そして、それはまた凪さんに飛びつく。


「凪さん…っ」


彼に加勢しようと僕は刀を握った。


しかし。


「先に行け、風磨!」


彼が叫ぶ。


「…え」


思いもよらない言葉に、僕の動きは止まる。


凪さんは何か問題でもあるのか、と言いたげな目をした。


「炎は触れても大丈夫だ、熱くない。

だが中の白いのには触れるな…!

皮膚がやられるぞ」


早口で彼が炎についての説明をする。


…だけど、問題はそこじゃない。


「だ、だけど凪さん…」


彼は、その“皮膚がやられる”ものに今、侵されている。


実際に、痛みで彼の笑顔が歪んでいた。


彼は夢術で狐をもう一度ふき飛ばす。

そして狐が飛びつく。


その繰り返しだ。


「俺は“こいつ”を始末してから行く。

…お前はこいつを“生み出した”やつを倒せ」


彼は静かに言った。


“狐”は凪さんをあからさまに狙っている。


…だから、彼はここで狐を引きつけることで僕を先に進ませるようにするのだ。


苦しくても、痛くても。


それでも。


「…分かり、ました」


本当は彼に苦しい思いをさせたくない。


だけど、それ以上に彼の思いを無下にしたくないから。


僕は階段を駆け上がった。


「すぐ戻りますから!」


大丈夫。


夢喰いには確実に近づいている。


夢喰いに近づいているためか、気配の出どころがはっきりしてきた。


…早く、夢喰いを倒さないと。


いくつも連なる病室のドアを駆け抜ける。

ドアを開き、またドアを開く。


方向感覚を失いかけた時、扉の向こうから声がした。


「_____やぁ、こんばんは」


僕は間髪入れず戸を開ける。


その向こうのベッドの上に、夢喰いが腰掛けていた。


脚を組んで、優雅に座っている。


その顔は女性とも男性ともとれ、腰からは青白い炎でできた尾が九本。


…九尾。


ふと、大昔の伝説上の妖怪の名が浮かんだ。


夢喰いは、余裕のある笑みで言う。


「待ちくたびれちゃったよぉ…夢喰い狩りさん」

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