第15話 鏡越しの秘密 後編
___________
私とその少女_____玲衣さんと、近くの“Cherry”と言う名のカフェに入った。
店員さんに二人分の温かい紅茶を頼んだ後、私は彼女に深々と頭を下げた。
「本当に…本当にありがとうございました…」
玲衣さんが居なければ私は絶対に助からなかった。
それは確かだ。
彼女は慌てたように手を振る。
「いっ…いえいえっ!
私だってもっと早く走れれば貴方に怖い思いなんてさせることなかったのに…。
それに、貴方が夢術で時間稼ぎして下さったおかげですから」
「そ、そうですか…?」
あんな子供騙しな行動が褒められるだなんて露とも思わなかった。
「あそこで夢術を使ったのは賢明でしたよ!
夢喰いをびっくりさせようとしたんですね!」
…いや、それだけが理由ではないんだけどね。
私は曖昧に笑って誤魔化す。
彼女は目をキラキラとさせながら言った。
「にしても、あの夢術すごいですね!
変身できるなんて」
「すごくないですよ…役に立たないですから」
「凄いです!
もしよかったら、夢術を持った経緯を伺ってもいいですか…?」
「え…」
私は言葉に詰まった。
…正直、他人に…ましてや、命の恩人とはいえ赤の他人に言えるような話ではなかった。
それは個人の心境的に話しづらいからでもあるし、“竹花グループ”を陥れようとする人間がごまんと居るからでもあった。
しかし、玲衣さんはただ純粋な興味で聞いたらしかった。
その瞳には打算も、相手を侮ろうとする気持ちも見られない。
…それに、赤の他人も赤の他人。
仮に話しても、竹花家に大きな影響が出そうにない。
その上、彼女のキラキラとした目は、私を逃してはくれなさそうだった(無論それも彼女の無意識なのだろうけど)。
私はすっ、と息を吸う。
そして彼女に尋ねた。
「…玲衣さん、“竹花”って知ってますか?」
彼女はキョトン、と首を傾げた。
「竹花って竹のお花のことですか?」
…余計な心配する必要はなさそうだ。
私は重い口を開いた。
「…ここだけの話にしてください。口外は無用です」
私は今まであったことを彼女に語った。
語りながら、自分で自分が抑えられなくなっていく。
話すのをやめられなくなっていく。
「…私、きっと“心呂”を、そして“私”を殺した夢喰いを消したいんだと思います…」
口にしながら、疑問に思う。
そんなこと考えたことないはずなのに、なんで私はこんなこと語れるんだろう?
「…だけど、私は竹花の人間。
そんな命かけることなんて許されてないんです。
こんな理不尽を受け入れるしかないから…」
なんだか他人事みたいだ。
話しているのは自分のことのはずなのに。
…不気味だ。
だけど、今の気持ちはすごく楽だった。
そんな気持ちの理由を知りたくて、気づけば全てを吐き出していた。
その話を聞いた玲衣さんの顔から笑顔がすっと消える。
そのまま、その表情は悲しさに歪められた。
彼女の呟きが小さく聞こえる。
「それは…酷い話ですね…」
「…え?何が酷いんですか?」
私は目を瞬く。
…だって、それが私の普通だったから。
竹花の家に生まれたからには、相応の責任を背負わなければならない。
しかし、竹花に関係のない玲衣さんからしたら、それは許せるような話ではないのだ。
彼女は続けた。
「酷いですよ!
だって、自分でいちゃいけないだなんて…。
優希さんは優希さんなのに、なんでお姉さんの…心呂さんのフリをしていなきゃいけないんですか?
どんな理由があれど、優希さんの生き方を決めていいのは優希さんだけなのに」
「…」
そんなことを考えたのは初めてだった。否、考えるのを避けていた。
「心呂」であることが私の使命だから、と。
私は笑いかける…私のことを「優希」と呼んでくれた彼女に向かって。
「…ありがとう、玲衣さん。
私も玲衣さんみたいな強い人だったら…」
そうしたら、私は私自身を守れたのかもしれないけれど。
唇を噛んだ私の手を、彼女は自らの手で包みこんだ。
「…私だって、守ってもらってばかりなんです。
実を言っちゃうと、さっき狩った夢喰いが初めて一人で狩れた夢喰いなんですよ?
ずっと仲間に迷惑ばっかりかけ続けちゃって…えへへ」
彼女は恥ずかしそうに笑う。
しかし、その笑顔には微かな誇らしさがあった。
「すてきなお仲間ですね」
私が心からそう言った。
しかし、彼女はその言葉で慌てて口を押さえる。
「あ、言っちゃダメなんでした…でも優希さんにだからお互い様ですね。
私、実は夢喰い狩りの隊に入ってるんです。隊、といってもたった三人なんですけどね。
…あ、そうだ!」
彼女はポン、と手を打った。
「優希さん、もしよかったらなんですけど…入隊、しませんか?」
「…はい?」
ことごとく、彼女の発言は先が読めない。
だけど、その提案がひどく魅力的であることを感じた。
彼女の手をとってしまいたくなるような、そんな提案であることを。
…でも、だめだ。
私は微笑みながら首を振った。
「…お気持ちは嬉しいですが…私には無理です。
夢喰いを狩りたいのは山々ですが、もし“家”にバレたら____私だけじゃなくて皆さんにも迷惑がかかります」
夢を見るな。
叶わないものは…最初から願わなければいい。
私は目を伏せる。
…そうやって、私は生きてきたから。
「そう、ですか…」
彼女は残念そうに呟く。
しかし、思い直したようにその顔を上げた。
「それなら夢術を使うっていうのは…どうでしょうか?」
「夢術…」
私は息を呑んだ。
彼女の言わんとしたことは理解る。
“変身”すれば、きっと夢喰い狩りをしても家にバレることはないのだと、彼女は提案したのだ。
…存在するはずのない「竹花優希」として。
姿形は偽りだけど、それでも「本当の私」として。
自分の居場所を作ってしまうことは、叶ってはいけない願いだった。
…だけれど、心から望んでいたことでもあった。
私は少しの逡巡の末、彼女に問う。
「_____ねえ、玲衣さん。
私は玲衣さんのお役に立てないかもしれないんですよ?
それでも、玲衣さんは私を認めてくれるんですか?」
玲衣さんは、なによりも屈託のない笑みを見せる。
「当然ですよ、だって____」
彼女の答えに、私は初めて自分の未来を自らの手で選択した。
「______私たち、もう友達ですから」
「心呂」と「優希」。
奇妙な二重生活は、そうやって幕を上げた。
当然、このことを知っているのは玲衣さんだけだ。
_____いつかこの生活が終わる時、誰も悲しませないように。
* * *
「風磨くん、ちょっと今いいかな?」
ソファーでぶっ倒れていた僕は、紅さんに手招きされた。
連日行ってる紅さんの「遊び」…という名目の特訓は熾烈を極めていた。
…というか、どんどん過酷になっていく。
彼女から日々与えられる課題を達成するべく特訓をするのだが、そもそも与えられる課題が無茶すぎて一度も達成できたことがないし。
そのため、毎日筋肉が悲鳴を上げ続けている状態だった。
「大丈夫ですが…なんですか?」
僕は体を起こした。
紅さんはひらひらと手を振る。
「忘れる前に言っときたいことがあって、ね」
彼女は世間話をするかのような口振りだが、その目は真剣そのものだった。
…他の人に聞かれちゃいけない、何か凄く真剣な話だ。
僕はそう悟った。
だからこそ、何も言わずについていく。
2階の廊下で、彼女は立ち止まった。
「ごめん、休んでたのに呼んじゃって。
…だけど、風磨くんにはどうしても伝えときたい事があって」
「…伝えてときたい事、ですか?」
「そう。玲衣ちゃんのことなんだけどね…実を言うと、私は玲衣ちゃんのこと警戒してる」
「え…?」
僕は思わず声を上げた。
正直なところ、紅さんが玲衣さんの事を警戒するような素振りは見えなかったからだ。
むしろ、本当の姉妹のような…もしくは親子のような関係に見える。
彼女は慌てたように付け加えた。
「と言っても、玲衣ちゃん自身は信頼してるからね?
私の妹みたいなものだし。
…問題なのは、あの子の過去のことなの。
風磨くんは、玲衣ちゃんの過去のこと知ってるかな?」
「えぇ…ありますけど…」
概要は本人から直接聞いたことがある。
紅さんはちょっと微笑って頷いた。
「よかった、なら話が早い。
玲衣ちゃん曰く、あの子が夢喰いに会ったのが大体冬だったらしいの。
四季の概念が分かってなくても、温度は分かってたらしいから…多分そこは間違いない。
だけど、私たちが玲衣ちゃんに出会ったのが10月」
玲衣さんの苗字である「神奈月」は、10月の別名「神無月」から取られたのだろう。
紅さんはそこには触れずに続けた。
「ってことは、少なくとも一年弱の間、玲衣ちゃんはどこかで匿われてたことになる。
その間の記憶は当人にもないみたいだから確信はないけど_______
多分、玲衣ちゃんにその期間で“何か”があったと思うんだ」
「何か、が」
一年弱の空白があるのは気になることではあるが、そんな何かが起こったという考えに至るほどのことではない。
しかし、彼女はそうは考えていないみたいだ。
「そう…何かが。
ごめんね、あくまでも憶測でしかない話になっちゃって。
…でも、明らかにおかしいの」
「おかしい…って、何がですか?」
「玲衣ちゃんが凪に拾われてきた時、割と普通の受け答えしてたんだよ。
ちょっと喋り方が幼いかなぁって感じることはあったけど、玲衣ちゃんの過去のこと聞くまでただの迷子かと思ったくらい」
「…?
どこもおかしいところないじゃないですか」
彼女は壁にもたれかかる。
「違うの。
おかしいところがないのがおかしいんだよ。
…玲衣ちゃんは、夢喰いに父親を殺されるまで言葉を知らなかった…はずだよね?
たった一年くらいで、普通に受け答えができるくらいちゃんと話せるようになると思う?
どう頑張ったって限度がある」
「…」
言われれば、確かにその通りだ。
語学を習得するのに、一年という時間は短すぎるような気がする。
中学の頃に英語で(…だけではないけど)苦戦しまくっていた僕は、そのことをよく知っていた。
黙りこくってしまった僕に、彼女は優しく笑いかけた。
「…もちろん、どこかで凄い教育を受けただけかもしれないし、玲衣ちゃんが凄く賢いだけかもしれない。
別になんともない確率の方が高いよ。
だけど、玲衣ちゃんは、もしかしたら玲衣ちゃん自身が思ってるよりも、何か背負っているっていう可能性は否定しきれないの。
仮にもしそうだった時、他の誰でもなく、風磨くんに玲衣ちゃんのこと任せたいんだ」
「僕に…?」
「だって玲衣ちゃん、風磨くんのこと気に入ってるみたいだし。
それに君の方だって…ね」
彼女はニヤリと笑い、首を傾げた。
「好き、なんでしょ?
玲衣ちゃんのこと」
_____好き。
今の僕にとって、そのワードはあまりに破壊力が大きすぎた。
耳の先から、身体中が熱くなる。
「ちょっ、そ、そう言うわけじゃ…!」
慌てて弁解する僕に、紅さんはくすくすと笑った。
彼女は笑いながら僕に言い聞かせるように諭す。
「風磨くんなら大丈夫だよ、絶対に」
その言葉は、御守りの言葉のように僕の耳に響いた。
16話に続く。
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