第15話 鏡越しの秘密 前編


第15話


「東桜庭大学附属高等学校 合格通知

竹花心呂様」



こんな封筒が届いたのは今から3年前のことだ。


家から手を回してもらうことも可能だったが、自分の学力だけで十分だった。


…とはいえ、少し安堵したのも本当だけど。


親が提示してきた幾つかの候補高校の中で、一番家から遠いこの高校を選んだのは、弟に関係する。


私の3歳下の弟である楽都は、候補高校一覧を見るや否や、私にこう言ったのだ。


「オレ、姉ちゃんには此処に行ってほしい」


「え…?」


私は首を傾げた。


「別に私はどの高校も良いと思うけど…そりゃまたなんで」


彼はそっと一冊の本を掲げた。


私はその題字を読み上げる。


「…夢術の分類、核の関係性について」


民俗学系の本だろう。


しかしそれにしても直接すぎるネーミング。


彼はその本の著者名のところを撫でながら言った。


「オレ、夢術の研究に興味あってさ。

仁科海にしな かい教授を結構尊敬してるんだよ」


「へぇ…仁科海教授ね」


その名前は私も聞いたことがあった。


仁科海、それは著名な民俗学の教授。


夢術や夢喰いといったものをデータ化して、具体的に調べてる人だったっけ。


…確か、数年前に亡くなるまでは夢喰い研究の第一人者だったとか。


私は彼に尋ねる。


「東桜庭大学附属高等学校って、その仁科教授の母校なの?」


彼は縦に首を振った。


「そう…それに、あそこなら夢喰い研究のエキスパートが集まってる」


彼は静かに…しかし目を輝かせて言う。


私はため息をつき、彼に言った。


「残念だけど、私は民俗学系に進む気はありません」


「…分かってるよ。別に民俗学に進まなくていい」


「じゃあ、楽都が入れば…」


「オレには無理だよ。オレは姉ちゃんみたいに頭良くない」


彼はピシャリと言った。


「そ、そんなことは…」


「それに、竹花家ここは、次男坊を良い高校に入れる為にそんな高い学費を払うような場所じゃない。

だから、オレの代わりに姉ちゃんに行ってほしい」


そう彼が言った後、数秒の沈黙が降りた。


…そっか。

楽都も竹花家ここがどんな場所かもう分かっちゃってるんだ。

諦めたんだ。


私は息を吸った。


「…この高校、雰囲気もいいし…楽都がそこまで言うならいいわよ」


せめて、弟の我儘くらい聞いてやろう。


それが竹花家に既に染まってしまった彼へのせめてもの救いなのだから。


そう思って選んだ高校。

しかし、ひとつだけどうにも難しい問題にぶち当たってしまった。



____物件探し。



「う〜ん…中々物件って難しいもんなのね…」


入学高校を決めた数日後。


私は桜庭町にて物件探しをしていた。


私の実家から桜庭町までは二時間ほどかかる。


それよりかは桜庭町にて「一人暮らし」という名の社会勉強をした方がいい。


それが家の方針だった。


しかし、それにしても物件探しと言うのは大変だ。


安全性、騒音、広さ。


無論金銭的な問題はないのだが、だからといって良い物件が直ぐに見つかると言うわけでもない。


自然も豊かで適度に栄えていて、良い町ではある。


だけど、物件埋まりすぎでしょ…いや、それは良い町だからこそなのだろうけど…。


探しているうちに日が暮れかけてしまった。


「早く帰らないと…」


こんな時のために、とホテルは借りている。


しかし、そこは山の中だった。


草木深し、という言葉の似合いそうな山道を進んでいく。


…暗いのは好きじゃない。


それが、一人っきりなら尚更だ。


だって否が応でも、“心呂”のことを考えてしまうから。

それを止めてくれる人がいないから。


そんな時だった。


赫い目が脳裏を掠めたのは。


_______見間違い?


きっとそうだ、と…そうであってくれと願った。


鼓動がどんどん早まっていくのを感じる。


「…っ」


しかし、何度願っても、そこにいるのは夢喰い以外の何者でもなかった。


「い…や、だ」


私の呟きは、何にもならずに空気に溶けただけだ。


夢喰いがニタァ…と、薄気味悪い笑みを浮かべる。


「ナカナカ良イ所ニ居ッタノォ…大丈夫ジャ、直グ苦シク無クナル」


私は背後に退いた。


此処は人気のない山道。

助けを呼んでも誰も来るはずが無かった。


夢喰いに出会うのが二回目だったからだろうか?


私の心の中は比較的落ち着いていた。

落ち着いた、絶望感が胸を満たしていた。


それでも近くの小石を拾ったのは、私なりの勇気だ。


…もし当たったら、少しくらい時間稼ぎにはなる。

その間に逃げれるかもしれない。


仄かな希望で、私は腕を振りかぶった。


「…えぇいっ!」


全身全霊の力で、小石を投げる。


しかしそれは虚しく、夢喰いの手前で地面に落っこちただけだった。


「…」


一瞬その場に静寂が降りた。


…ああ、なんて非力なんだ…私…。


今更ながら自らの非力さを呪う。


いや、身体能力は人並み以上なのだが…いかんせん筋力が無くて。


夢喰いは私の行動に一瞬驚いたようだったが、それが無意義な悪あがきであることを悟ったようだ。


薄い笑みを貼り付けたまま、それは私の方に歩み寄ってきた。


絶体絶命、万事休すだ。


私は一瞬全てを諦めかける。


しかし、そこで自分が既に夢術を開花させていることを思い出した。


…一矢報いること位は出来るかもね。


既に一度死にかけた身だ。

今更恐れることはなかった。


私はもう一度しゃがみ込み、近くの小石を集めた。


夢喰いが高笑いする。


「ハハハハ…サッキト同ジ事ヲシテモ無駄ジャ無駄ジャ」


私は笑って答える。


「それは______」


振りかぶった右手に文字が浮かんだ。


______夢術:えんじる


夢喰いの目が大きく見開かれた。


「______それはどうだろうなっ!」


”は掌の中の小石を放つ。


先程までとは段違いのスピードで、それは夢喰いの身体に届いた。


夢喰いがか細い悲鳴を上げる。


俺はその隙に走り出した。


…やっぱりこの姿の方が力が出る。


この夢術は身体構成を変化させることができる能力。


多少の体力補正くらいだったら易々とできた。


しかし、すぐに夢喰いが追いかけてくるのが見えた。


いくら強い力でとはいえ、小石を投げた程度では気休め程度にしかならなかった。


段々とその距離が縮まっていく。


俺の息は既に上がりきっていた。


俺は唇を噛む。


…ここで、終わりだな…。ごめんね…「心呂」。


そう思った瞬間、背後からの足音が突然止まった。


代わりに、カラン、と小さく高い音が鳴る。


「え…?」


俺が振り返ると同時に、夢喰いが夜に消える。


…今、何が?


地面を見下ろすと、矢が一本落ちていた。


…この矢が夢喰いを殺してくれたのか?


「いや、でも何処から________」


「ま、間に合いましたぁ…!!

良かったですぅぅ…っ」


全ての息を吐き出すかのような勢いの声が聞こえた。


その大音量に、思わず肩が跳ねる。


見ると、山道の横の藪の中に、弓を手にした一人の少女が立っていた。


その体のあちこちには木の葉や枝がくっつき、喉からぜぇぜぇと息が鳴っている。


山の中を全力疾走で走ってきたのは明らかだった。


彼女は藪の中から飛び出すと、俺に近づいてきた。


「お怪我はありませんか?

怖かったですよね…」


彼女は笑顔を見せた。


「でも、もう大丈夫ですよ!

夢喰いはもう居ませんから」


_____もう、大丈夫。


その言葉が脳裏に響き、思わず膝から力が抜ける。


安堵しすぎたのか、その拍子に夢術も解けた。


「…助…かっ、た…ぁ」


私は大きなため息をついた。


生きてる…生きていられる。


そんな単純なことがこんなに嬉しい。


「え…っと…?」


少女が唖然とした顔で私を見下ろす。


「あ、あの…?その、女性…だったん、ですか…?」

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