第10話 消したい赫色 後編




「あーもう、澪どこだよ…」


20を数え終わってほどなく、潮さんと流は見つかった。


…外の木の上に隠れていた潮さんはさておき、草むらの中に丸まっていて、言葉通りの「頭隠して尻隠さず」だった流はそもそも隠れる気すらあったのかどうか怪しい。


現に、澪探しだってだるそうにしているし。


「はぁ…」


僕はそっと溜息をついた。


今日も、澪が見つかるのが最後のようだ。

もう日が暮れかけている。

夜になる前に探し出さないと、怖がって泣き出すからその前には探し出さないと。


その時だった。


ふっと、鼻先に刺激臭がしたのだ。


焦げ臭い、何かが焼ける匂い。


それと同時に、誰かの悲鳴や激しい足音が耳をつく。

泣き叫び、逃げ回る音が。


慌てて振り返った僕の眼に飛び込んできたのは、鮮やかな赤だった。


「……え…?」


揺らめき、燃え盛る業火。


孤児院が火事になっていることを理解するまでに、長い時間を要した。


既に子供達の大半は逃げ出しているのだろう。

孤児院の外側に人の群れができていた。


火の赤のあまりの鮮やかな残酷さに、僕はその場で立ち尽くす。


僕を正気に引き戻したのは、誰かが腕に触れた感触だった。


痛いほど強く、腕を引っ張られる。


「風磨くん、早くにげなきゃ…!」


見ると、潮さんが僕の腕を掴んでいる。

そして、その反対側の手には流が。

彼は既に涙で顔をぐしゃぐしゃにしている。


僕は潮さんに引っ張られながら、辺りを見渡した。


…澪は?

澪は、無事なのか?


潮さんは僕らを、子供達の群の中に引っ張っていこうとする。


彼の目は長い前髪で隠れて見ることができないが、彼自身も不安に押しつぶされているのだろう。


子供達と職員が一つのところに集まって、燃え盛る業火を不安げに眺めている。


…その中に、澪の姿はない。


僕は、潮さんの手を振り払った。


「風磨くん!なにして_____」


潮さんが僕を制止する声を背中に聞きながら、僕は迷いなく燃え盛る炎の中に突っ込んでいった。


「澪が____澪がまだ中に…!」


僕は背後の潮さんに叫んだ。


これだけ大きな騒ぎになれば、いくらかくれんぼの最中とはいえ、澪が出てくるはずだ。


それでも出てこないってことは、彼女はまだ建物の中にいる。


僕にはその確信があった。


火の燃え盛っている玄関に突っ込む。

既に火は建物中に回っていた。


炎が背中に熱いし、煙で喉が痛い。


まだ玄関から入ってすぐだというのに、もう呼吸が苦しくなっていた。


…だけど、助けなきゃ。


澪は、僕のたった一人の肉親だ。

何があっても、僕が守らなくちゃいけない。


炎の中を、遊戯室を、リビングを駆けていく。


その向こう、食堂がある場所。


そこから、何か“嫌な予感”を感じた。


思えばこれが、僕が初めて夢喰いの気配を認知した時だったのだろう。


食堂に駆け込むと、炎の海の向こうに、澪が倒れているのが見えた。


「み…」


彼女の名前を呼ぼうとして、息が詰まる。


澪の小さな体からは、大量の赫が流れ出していたからだ。

それは床に広がって、炎の赤と同化している。


そして、彼女に寄り添うようにして“”は立っていた。


赫く…血よりも赫く染まった眼をした、夢喰い。


それの白い服に、鋭い鉤爪に、澪の血がこびりついていた。


「澪…澪…っ」


煙に咳き込みながら、僕は馬鹿みたいに彼女の名前を呼んだ。


ただ怖かった。


たった一人の妹が、自分の片割れが居なくなってしまうのが。


何も考えられず、僕は彼女の元に駆け寄ろうとした。


轟音と共に、天井の梁が焼け折れる。


それは丁度真下にいた僕の身体にのしかかった。


「っぁああ…っ!」


背中に激痛と、激しい熱。

肋骨でも折れたのだろう。


幼い無力な僕には、その梁を退かす力はなかった。


…どうか、澪は。澪だけは。


必死に、僕は前に手を伸ばした。


お願いだから、神様。


意識が炎に飲まれる直前、耳をついたのは夢喰いの声だった。



「__________





眼を覚ました時、そこは病院だった。


看護師さんに引っ張られるがまま、検査を受けていく。


不思議なことだが、僕の傷は浅かった。


折れたはずの肋骨も、焼けたはずの皮膚も、僕の思っていたものよりも随分と治るのが早かった。


ほとんど後遺症すら残らなかったくらいに。


一通り検査を終えた後、僕は看護師さんに尋ねた。


「その…み、澪は…」


僕が目覚めてから検査の間まで、誰も澪のことについて触れなかった。


それがまた不安を煽る。


“澪”というワードを耳にした看護師さんは、辛そうに顔を歪めた。


「残念だけど…もう、目覚めることはないと思うよ」


「…え」


看護師さんは、僕から眼を逸らした。


「澪ちゃんは、“夢喰い”に魂を喰われてしまった。

…かろうじて、生きていることだけでも奇跡だよ」


その言葉で自分の中から血が消えていく、そんな錯覚を覚えた。


目覚めることがない。

魂を喰われた。


それは実感を伴わないまま、僕の目の前を真っ暗に塗り潰す。


「そんなの…う、うそですよ…ね…?」


詰まりつつ、そんなことを口にするのが精一杯だった。


看護師さんは僕の手を優しく取ると、ゆっくりとした歩調で入院棟まで僕を連れていく。


僕が入院している病室の隣の病室で、僕らは立ち止まった。


…澪。


多くの機械やチューブに繋がれた澪が、心地良そうに眠りについていた。


僕は彼女のベッドのそばに駆けていく。


そのあまりの寝姿の穏やかさに、居眠りをしているようにしか見えなかった。


声をかけたら、目覚めるんじゃないか…そんな期待をする。


「澪…!へんじしてよ、澪…っ!」


しかし、いくら叫んでも泣いても、彼女は目を閉じたままだった。ぴくりとも反応しない。


「…っ」 


僕はベッドの側にへたり込んだ。


看護師さんが僕の隣にしゃがみ込み、背中を撫でてくれる。


しばらく呆然と座っているうちに、絶望と共に、もう一つの感情が僕を支配し出した。


…許せない。


あの夢喰いを、澪にこんな目に合わせた夢食いを。


僕は、静かに看護師さんに訊いた。


「…もし、もしもその夢喰いをころせば…澪は、澪はめざめますか…?」


看護師さんは、僕の言葉に眼を瞬いた。


「できるかもしれないけど…。

どの夢喰いかもわからないし、第一危険すぎるから…」


僕のためにかなりオブラートに包んでくれているが、止めようとしているのがわかる。


…でも、それでも構わない。


「じゃあ、僕は…僕は、その夢喰いをぜったいに見つけます!

そしてぜったい…澪を、助けます」


それがどれだけ血に塗れた道だとしても、僕がどれだけ傷ついても。


それが澪を救うことに繋がるのなら、それでいい。




11話に続く。

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