第11話 貴方の笑顔が見たいから 前編
第11話
「蝶の羽」は結局火事で焼失してしまった。
幸いだったのは、澪以外に被害が出なかったことくらいか。
退院後、僕は瀬川兄弟とは別の孤児院に預けられ、離れ離れになってしまった。
だから、潮さんと再会したのは今から3年と少し前になる。
その日も、僕は澪の見舞いに病院に行っていた。
「…今日も、目覚めなかったな」
僕は静かに一人ため息をついた。
何年も見舞いに行って、声をかけ続けているが一向に澪が目覚める気配はない。
…やっぱり、夢喰いを殺すしかなさそうだ。
そのためにも、中学では剣道部に入っている。
部内ではなかなかの成績だし、運が良ければ県大会も出場できている…けれども。
けれども、僕の体は小さい。
単純に筋肉量が足りず、いつも相手に負けてしまう。
夢術も、力もない僕には、夢喰いを殺すことは到底無理なことなんだ。
そう頭では分かっているが、諦めることはできなかった。
もう一度一人でため息をついた時、不意に声をかけられた。
「______風磨、くん?」
振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。
年は高校生くらいだろうか。
彼の目を覆っているのは、長く伸びた前髪だった。
「…あ」
その髪型には見覚えがあった。
「潮…さん…?」
“潮お兄ちゃん”と呼ぼうとして、躊躇った。
流石にもう“お兄ちゃん”って呼ぶ年齢じゃないし。
名前を呼んでもらえたのが嬉しかったのか、彼はパァッと顔を輝かせる(無論、目元は見えないが)。
「やっぱり風磨くんだ!
大きくなったね〜、会うの何年ぶりだっけ?」
久しぶりに知り合いの子供に会った、近所のおばさんのようなノリではしゃがれる。
長らくあっていなかったからか、雰囲気が若干変わったように思えたが、はしゃぎ方や喋り方が変化していないので少し嬉しい。
「お久しぶりですね、本当に。
流も元気ですか?」
かく言う僕もテンションが上がっているのだろう。
普段よりも声が若干高く出た。
潮さんが苦笑する。
「いやぁ、それがね…実は、今は分かれて暮らしてるんだよぉ。
僕、今“夢喰い狩り”してるからさ、あんまり流とも会えてなくて…。
あ、でも一人じゃないよ。
一緒に夢喰い狩りしてる子と家借りてるから」
「夢喰い狩り…!」
僕はそのワードに思わず反応した。
今、潮さんは夢喰いを狩っているのか!?
「といっても、一人じゃあんまり強くないけどね。
一人じゃ戦えないから、一年前くらいに、仁科さんって人と“桜庭見廻隊”っていう名前で夢喰い狩りの隊を組んだんだ。
まぁ、隊員二人だから隊って言えるのか怪しいけど…」
なるほど、僕一人じゃ戦えなくても、誰かと一緒に戦えば戦力が2倍…いや、場合によっては何倍にもなる。
夢喰い狩りの話に、無意識に目が輝いていたのだろう。
そんな僕を見た潮さんは照れたようにはにかんだ。
「だって…澪ちゃんは夢喰いにやられちゃったからね。
“家族”をあんな目に遭わせておいてのうのうとまだ人を喰らってる夢喰いを許せるわけないでしょ…?
それに…」
潮さんに、苦悶が浮かぶ。
それは、僕が見たことがない彼の表情だった。
「…あの時、僕がもっと早く澪ちゃんを見つけられてたら…火事の時風磨くんと一緒に澪ちゃんを助けに行けたら、澪ちゃんはあんな目に遭わなかったかもしれないから…」
その言葉の終わりの方は、小さく萎んでいた。
…澪が“眠った”ことは、潮さんの心にも傷をつけたのだ。
悲壮な空気感になったことを悟ったのか、慌てて潮さんは笑顔を取り戻す。
「あ、ごめんごめんっ、なんか辛気臭くなっちゃった。
…風磨くんは、夢喰い狩りに興味あるの?」
「はい、その…僕も夢喰いを狩りたいっては望んでいるんですけど…」
僕に夢喰い狩りの才能がないことくらい分かっていた。
体格も、夢術も、精神も。
…何もかも。
思わず俯いていた僕の肩に、潮さんが優しく手を置く。
…そうだ。
子供の時から、僕が寂しがったりすると、潮さんはよく肩に手を載せてくれてたっけ。
無論、あの頃よりかは僕も彼も身長が伸びている。
僕の肩に載せられたのも、子供の時のような小さな柔らかい手ではなく、大きくて痣だらけの手だった。
「大丈夫だよ、風磨くんなら」
僕は顔を上げる。
彼の前髪の隙間から、少しだけ彼の目が覗いていた。
それは際限なく優しく、哀しい目。
「今の僕と同じ17歳になったら、“見廻隊”においでよ。
仁科さんには僕から話、通しておくから。
それまではまだ…ね」
彼は首を傾げて笑った。
前髪が、また彼の目を隠してしまう。
それは一抹の切なさを包含していた。
「潮さん…」
僕が言葉を発しかけた時。
「…ぅっ」
ふと目の前が歪んだ。突然眩暈が襲ってきたのだ。
足元がおぼつかなくなり、たたらを踏む。
不安を煽るような、不思議な気配を感じる。
それは、あの時と…火事の中夢喰いにあった時と似た感覚だった。
ふらついた僕の背に、潮さんが手を回す。
「どうしたの?
具合悪い?」
「いや、平気で_________」
僕が言い切る前に、潮さんが手をひいた。
「____んえっ!?」
思いっきり身を引き寄せられる。
僕のすぐ後ろで、何かが横切る気配がした。
「突然で悪いけど、逃げてくれないかな」
潮さんが呟きながら、彼の背中側に僕を追いやる。
突然手を離された僕は、その場に尻餅をついた。
彼の背中越しにいるものに、僕は目を見開いた。
…夢喰い。
澪を襲ったものとは異なる夢喰いだ。
しかし、その眼の色は忌々しい血の色そのものだった。
実に7年ぶりに見る夢喰いに、僕はその場で固まることしかできなくなった。
7年前のあの日の音が脳裏でガンガン鳴り響いている。
______澪、澪…!
幼い僕の悲痛な叫び声が。
______ごめん、なさい
あの時の夢喰いの悲しげな声が。
呼吸が止まったかのような錯覚を覚える。
しかし、潮さんは至って冷静だった。
左腕で僕を庇いながら、右腕を突き出す。
_____夢術:
彼の左手の甲に水の文字が浮かぶ。
虚空から、突如として水の流れが生まれた。
それは、潮さんの指先にて渦と化す。
「
彼は手先を少し動かすと、その渦が膨らみ、夢喰いに躍りかかる。
一瞬それが夢喰いを呑み込んだかに見えたが、夢喰いは間一髪でそれを避けたようだ。
夢喰いは地面を駆け、僕らの方に来る。
その眼は爛々と輝いていた。
獲物を見つけたような悦楽が宿っている。
「
潮さんは、ここに至っても落ち着いている。
腕を右に薙ぐと、水の渦が生き物のように蠢きだした。
途端に水の様相が変化し、渦が複雑になる。
その流れの中に夢喰いが呑まれた。
「ほら、今のうちに____」
彼の声がどこか遠く聴こえた。
体の芯が冷える。
…ああ、なんで。
なんでこんなに、潮さんは強いんだろう?
それはもちろん夢術とか、力とか。
そういうこともあるけれど…それ以上に、こんなに危険な状況だっていうのに、なぜ彼は僕のことを逃すことを最優先にしているんだろう?
僕に構っていれば、攻撃に集中できないじゃないか。
…なら、なんで僕はこんなに。
僕だって、戦いたい。
夢喰いを消し去ってしまいたい。
だけど…だけど。
だけど、今だって逃げることもままならないくらい怖がってる。
「風磨くん!」
その時、腕を引っ張られた。
体が持ち上がる。
それと同時に、沈み込んでいた無力感の泥沼から、ふっと浮き上がった。
潮さんが僕の手を引っ張り上げてくれたのだ。
冷えていた体の芯から、何かが湧き上がるのを感じる。
その正体が夢術だと気付くのは、それを発動してしまってからだった。
夢術:
「僕だって…!」
体の底から熱が巻き起こり、その熱は右手に集結した。
「僕だって、澪を救いたいんです!」
声を吐き出した瞬間、熱は光の渦となって回りだす。
気がついた時には、僕は一振りの刀を握って立っていた。
剣道部とはいえ、使うのは竹刀だ。
真剣を握ったことなんて一度もない。
なのに、なぜかその刀は僕の掌に馴染んでいた。
…まるで、僕自身が生み出したかのように。
「風磨くん、それ…」
潮さんが目を見開く。
その時、夢喰いが潮さんが創り出した渦から這い出てくるのが見えた。
僕は唇を噛み締め、一歩踏み出す。
夢喰いに走り寄り、刀を振るった。
一つ、二つ。
僕の繰り出した斬撃は、夢喰いにぎりぎりで避けられていく。
それの核に向かって、ただひたすらに斬る。
考える余地を与えるな。
速く、より速く。
「
背後から潮さんの声が耳に入り、渦が夢喰いの退路を阻んだ。
「ありがとうございますっ!」
僕は渾身の一振りを夢喰いに浴びせた。
確かな手応えと共に、夢喰いが塵となって消え去った。
それと時を同じくして、視界が回る。
身体的にも、精神的にも疲労がドッときた。
鼓動がものすごい速さで鳴り響き、息も上がっている。
僕は思わずその場にへたり込んでしまった。
「風磨くん、すごいよ、夢術使えたじゃん!」
若干興奮気味の潮さんが僕のそばにしゃがみこみ、頭を撫でた。
「…む、夢術…なんです、か…今の…?」
息が切れすぎて、自分が今ちゃんと発声できているのかすら怪しい。
僕自身、今自分が夢術を使ったと言う事実が信じられずにいた。
「そうだよ、立派な夢術だよ」
彼はそう言い、ふっと息をついた。
「…でもね、それは強力な力だから________どうか、扱いには気をつけて」
「もちろんです。分かってますよ」
…だけど、この力があれば…。
きっと、僕は夢喰いを狩ることができる。この手で、消し去ることができるのかもしれない。
そんな僕の思いを知ってか知らでか、潮さんはそっと立ち上がった。
「それじゃあ、僕はそろそろ行くね。
日も暮れそうだし。…今度は、3年後に」
「はい、また!」
今度は立派な夢喰い狩りになって、彼の前に姿を見せよう。
彼の背中に声をかけると、潮さんは振り返って笑ってくれた。
ちょっとだけ寂しそうなその笑顔が今でも忘れられない。
だからこそ、信じられなかった。
その半年後、瀬川潮と永遠の別れをしたことが。
結局のところ、僕は彼との約束を守ることにした。
それは潮さんのためとか、誰のためとかじゃなくて…ただそうした方が「澪を救う」のに一番良かったから。
それが僕が桜庭見廻隊に入った理由だ。
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