第6話 戯言の日々 後編



それから約1時間後。


「食事と夜の見廻は当番制になります。

来週の頭から当番に組み込まれることになるんですけど…分からないことがあったら遠慮なく訊いてください」


遠慮なくと言われたので、ありがたく疑問を呈させてもらうことにした。


「ええっと…僕あんまり料理上手じゃないんですけど、大丈夫ですか?」


裁縫は得意なのだが、料理はあまり得意じゃない。

ハンバーグ(中学の時に授業で作った)が限界だろう。


すると、彼女はちょっと不安げな顔をした。


「…風磨さんは、トマトスパゲッティに納豆入れませんよね…?」


「なっ…」


脳裏にあの赤いスパゲッティの中に納豆が糸を引いている図が浮かぶ。


お世辞にも、美味しそうとは思えない絵面だ。


しかし、あまりに彼女が真剣に聞いてくるので、思わず答えていた。


「そもそも何故トマトスパゲッティに納豆なんですか!?

普通入れませんよね…」


すると、彼女は安堵したように胸を撫で下ろした。


「それなら大丈夫です…。

そこまで手の込んだ料理とかは求められていないですから。

通常の味覚で普通に美味しければ問題ありません」


…トマトスパゲッティの発言は冗談のつもりではないらしい。


つまり見廻隊の誰かが以前トマトスパゲッティに納豆を入れたってことか?


僕がその未知の食べ物の味をあれこれ想像していると、玄関のドアがバタンと開いた。


「大漁大漁〜」


足でドアを器用に開いたのは、紅さんだった。


その両手には、ずっしりと重そうな半透明のレジ袋が下げられている。

うっすらと食材が透けて見えた。

買い物帰りだろうか。


すると、玲衣さんが親の帰ってきた子供のように、玄関まで駆けていった。


「おかえりなさい。

沢山買ってきましたね」


わくわくした表情を隠そうともせず、彼女はその片方のレジ袋を持った。


「今日はカレーだよ、牛肉特売だったから」


紅さんが答えると、玲衣さんがキラキラとした目を向ける。


「紅さんのカレー美味しいんですよ…」


その味を思い出したのか、彼女が浮足だった。

しかし、手には重いレジ袋。


「あっ」


彼女がバランスを崩し、前に転びかける。

近くにいた僕は、腕を差し出し、彼女を支える。


ほとんど反射的だった。


我に帰った僕は、目の前に玲衣さんの顔がある事実に気づく。


目がしっかりと合ってしまった。


「あっ、すっ、すみませんっ!」


彼女の顔が真っ赤に染まり、その場から飛び退く。

僕も顔が熱くなるのを感じた。


「なるほどねぇ…」


その隣でニヤニヤし出したのは紅さんだ。


「ちっ、違います…っ!」


何が違うのかは自分でも分からないが、とにかくいい意味でないのは分かる。


僕は慌てて否定した。


そんな僕の横で、玲衣さんは飛び退いた姿勢のままで真っ赤になって固まっている。


紅さんはニヤニヤ笑いをやめないまま、レジ袋をキッチンに置いた。


「ううん、いいのいいの。

玲衣ちゃんにもついに春がきたってことだからね」


彼女によく分からない言い回しをされる。


しかし、玲衣さんにはそれが分かったようで、紅さんにあたふたと弁明を始めた。


「い、今の違いますから!?

偶然です偶然!

それにあんな近距離から見つめられ…むぐっ」

「玲衣ちゃんは可愛いんだから、もぉ〜っ!」


そんな彼女の頭を紅さんはぐりぐりと撫でた。


なんだか母娘みたいだと思ったのは間違えだろうか。


紅さんは、僕の方に顔を上げた。


「あっ、そうだ風磨くん。

無事に入隊できたことだし…ちょっと私とない?」


「え…遊ぶ…?」


言葉のあやを理解できない僕に、玲衣さんが紅さんの掌の下から説明してくれる。


「紅さんの言うところの“遊ぶ”は特訓のことなんですよ」


「でもまぁ、あれ遊びみたいなもんでしょ」


紅さんがあっけらかんとして答える。


「…厳しいので頑張ってください」


玲衣さんが笑顔を崩さずに僕を激励した。


…実は、凪さんに“未熟”と言われてしまったのが、いまだに引っかかっていた。


紅さんがどれくらい強いのかは分からないが、特訓してもらえるのならばこれほどありがたい事はない。


「そ、それじゃあ、是非お願いします」


僕が頭を軽く下げると、紅さんは手をひらひらさせた。


「お願いしますだなんて堅苦しいって〜、私が暇人なだけだし。

それに私が面倒見るって約束したし、ね?」


「でも…」


それでもお世話になるのは僕だ。


すると、玲衣さんがこっそりと、「こういう人なんです」と教えてくれた。


紅さんはレジ袋から牛肉の入ったパック(もちろんパッケージに10%引きとある)を取り出すと、


「さ、早く片付けて遊ぼ?」


と片目をつぶって笑った。






「はい、ここでやるよ〜」


前を行っていた紅さんが足を止める。


桜庭見廻隊の本部の裏には、山がそびえ立っている。

その中腹にある、斜面が緩くなって平らになっているところ。


彼女は僕をそこまで案内してきた。


「ここで…?」


「大丈夫よ、人目もないし。

それに、まずは風磨くんの今の実力を見るだけだから、万一誰かに見られても“剣道の練習かな”程度にしか思われないって」


彼女は両手に持っていた2本の木刀を掲げる。

その片方を僕に投げて寄越すと、もう一つを自分で構えた。


彼女は木刀の先を弄ぶように軽く揺らした。


「そんじゃ、さっそくだけど、その木刀で本気でかかっておいで」


「…本気で、ですか?」


「うん、本気で」


僕は流石に躊躇する。


彼女が戦っているのを見たことがあるわけではないし、僕よりも年上で経験豊富だ。

なんなら身長も僕より5センチほど高い(認めたくはないが)。


しかし、まだ出会って1日ほどしか経っていない女性相手に、本気でかかっていくという行為はあまりに気が引けるものだった。


そんな僕の気持ちが彼女にも伝わったらしい。

彼女は苦笑するように言った。


「あはは、もしかして私舐められてる?」


「そ、そういうんじゃないんですけど…」


断じて彼女を軽んじているわけではないが、本当に本気で行っていいものなのかが決断しづらいのだ。


すると、彼女の口元から笑みが消える。


「心配しなくていいよ_____」


彼女の声が揺らぐ。


一瞬の後、そこに彼女はいなかった。


瞬きの間に彼女の姿が視界から消え去った。


そんな状況に目を見開いたその時。


「__はい、決着チェック


ツンっと脇腹をつつかれた。

それも、背後から。


振り返ると、木刀を手に紅さんが笑っている。


その笑みはとても優しいものなのに、目には凍てつくような冷たさがあった。


「え…」


「ね?分かったでしょ?」


彼女はその笑みを崩さずに言った。


木刀の先を僕の体から離すと、軽やかに飛び退いた。


「私、これでも結構強いのよ?

君の本気に勝てるくらいは、少なくとも」


「…なら」


彼女がここまで言ってくれたのなら、本気で行かない理由はない。


僕は木刀を構えると、地面を蹴り込んだ。


七話に続く。

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