第6話 戯言の日々 前編
六話
ジリリリリリリリリ……
火災報知器のような音がする。
優しさのない、不安しか煽らないあの音。
無機質な雑音。
僕は、この音が大っ嫌いだ。
…あの日のことを思い出してしまうから。
何も見えない暗闇の中、僕はその音を止めたくて、その方向に精一杯手を伸ばした。
「うぅ…ん…」
呻き声が喉から漏れる。
音の方に伸ばした手で宙を掻くと、小気味良い手応えと共に、音が止まった。
先程までの大音量とは反対に、静寂が降りる。
ここで、ようやく僕は瞼を閉じていたことを思い出し、目を開いた。
ぼんやりとした視界が徐々に焦点を結ぶ。
…見慣れない天井。
今度は、桜庭見廻隊の本部にいることを思い出すのにさほど時間は掛からなかった。
そうだ…入隊を許可された後、空いていた個室をひとつもらったんだっけ。
伸ばした僕の手は目覚まし時計の上に乗っていた。
ああ、音の原因はこれか…。
もぞもぞと身を起こし、時計を手に取る。
そして、それが示す時刻を見て……目を擦った。
しかし、何度擦っても時刻は変わらない。
___10時半。
「寝過、ごした…」
静かな部屋に声が反響して聞こえた。
「いやぁ、風磨はねぼすけさんっすねぇ〜、あっはは」
そう言いつつ、シオンが大爆笑する。
彼の天然パーマが、寝癖のせいで余計跳ねていた。
玲衣さんが二人分のお茶碗をテーブルにことん、と置く。
今、僕はシオンと二人で朝ごはんを食べようとしていた。
当然のことだが、他の隊員はすでに食事を終え、片づけた後なのだが。
僕は軽く彼を睨んだ。
「シオンにだけは言われたくない…」
そう、シオンだって寝坊したのだ。
彼にだけは言われたくない。
というか言う権利ないだろう。
それに、僕だってあの目覚まし時計は昨日初めて使ったのだ。
たまたま時間をセットし忘れていただけだ、たまたま。
だが当のシオンは気にも留めていないようだ。
むしろニヤニヤしながら左手の箸を弄んでいる。
「まぁ、ぼくの方が起きるの10分くらい早かったっすけどねぇ?
あっれ〜、ぼくより寝坊助さんが一人いるみたいっすよぉ?」
うっわ、ムカつく。
静かに一人で怒りを湛えながらご飯を口にする。
「んむっ」
…美味しい。
予想以上の美味しさに、思わず声が出てしまった。
そのままご飯を口に詰め込み出す僕の様子に、シオンが拍子抜けしたようにフッと息を吐いた。
その時、僕のすぐ後ろから、柔らかな声がした。
「シオンさん、時間大丈夫なんですか?
バイトのシフト11時半からですよね?」
慌てて振り返ると、すぐ後ろに玲衣さんの姿が見えた。
僕の座っているソファーの後ろに回り込んでいる。
さらにそこから身を乗り出しているため、髪の毛の先すら触れそうだ。
ち、近…っ!
石鹸のいい香りがするほどの近距離。
思わず僕はドギマギしてしまったが、彼女はただ壁掛け時計を指す為にそこにいたらしい。
彼女の言葉を聞いた彼が、慌ててご飯を口に詰め込み出した。
「し、シオン、バイトやってんだ」
僕が出来るだけ意識を後ろに向けないように尋ねると、食べるのに忙しい彼の代わりに玲衣さんが答えた。
「シオンさんは、“Cherry”っていうカフェでバイトをしているんですよ。
遅刻魔らしいですけど…。
あそこのいちごパフェ、すっごい美味しいんですよね〜…また食べたいなぁ…」
そう言いながら、うっとりとしてしゃがみ込む。
ソファーに座っている僕ともっと顔が近づいた。
いや近い近い近いっ!!
もしかして、玲衣さん人と距離測るの苦手なタイプ!?
僕はドキドキしている鼓動を鎮めながら、話に集中する…ことができるように努力する。
声が裏返りそうなのを抑えながら、シオンに尋ねた。
「夢喰い狩りしながらバイトって結構大変じゃないの?」
夢喰いが最も活発に活動するのは人目のない夜だ。
だから、夢喰い狩りも夜に行われる。
夜に夢喰い狩りをする傍ら昼にバイトとなると、かなり体力的にはきつい筈だ。
シオンは既に食べ終わった食器を重ねながらそれに応えた。
「いやぁ、ぼくはまだ楽な方っすよ〜。
タイチョーは大学の研究会にちょくちょく顔出しているらしいっすし、ユーキは男子高校生っすから」
「へぇ…」
「タイチョー、あれでも民俗学では有名な研究者なんすよ?
本人は親の七光りだーとか言ってるっすけど、まあ現地調査は誰にも負けてないっすから。
だから、あの若さで
「東桜庭大学!?」
東桜庭大学は、桜庭町にある大学だ。
私立で、お嬢様・お坊ちゃま校として名が高い。
しかも偏差値も高いとかなんとか…。
「すごいんだね…凪さん」
思わずため息が漏れる。
「ユーキもそこの附属高生っすし。
なんか家がお金持ちらしいっす」
「へぇぇ…」
へぇぇとしか声が出ない。
勉強が苦手だし、高校進学を選ばなかった僕にとっては、なんだか遠い世界だ。
二人とも、頭いいんだ…。
「あのぉ…話もいいんですけど、そろそろ時間が…」
玲衣さんがおろおろしながら口を挟んだ。
既に時計の針は11時を指している。
彼女の心配はもっともだった。
「あぁ、別に大丈夫っすよぉ」
シオンは呑気にそう言うと、支度のスピードを速めた。
…遅刻魔すぎてもはや遅刻しかける状況に慣れ始めてるんじゃ?
彼は食器を凄い速さで洗い、片付けた。
もちろん汚れひとつなく、完璧に。
ニット帽を天然パーマの頭に乗せ、小さなリュックを肩にかける。
「行ってきまーす」
そして、あたかも風のように玄関から飛び出していった。
「…」
あまりの速さに声の出ない僕に対し、玲衣さんがにっこり笑う。
「いつもの事です」
これがいつもはやばくないか…?
心中でそうツッコミながら、僕は余った朝ごはんを食べることに専心した。
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