第4話 花言葉は未来への憧れ 後編
____2年前。
ぼくが住んでいるのは、桜庭町の南の沖合に浮かぶ小さな島だ。
俗称は、「ラプラスの島」。
古くから伝わる神話の中で、災いを呼ぶ魔物が住む地とされる忌み嫌われた土地。
ぼくらはその小さな島で、外界とほぼ遮断されたような生活を送っていた。
電気もガスも当然なく、月に2度定期船があるかないか、といったところだ。
それでも、その長閑で自然にあふれたこの生活から逃げたいと思ったことは一度もなかった。
「あ!シオン、こんなとこにいたんだぁ」
ぼくが井戸から手桶で組んできた水を運んでいると、後ろから声をかけられた。
振り返ると、髪を頭の下で二つに結んだ少女がにこにこして立っていた。
ぼくは手桶を掲げながら答える。
「あぁ、リーリャ。
井戸に行ってきたんだよ」
リーリャ・クリノス。
この島の村長の娘だ。年は僕と同じ15歳。
一応関係としてはぼくが護衛人なんだけど…それはほとんど名ばかりで、実質幼馴染だ。
昔から毎日のように遊び回った仲だし。
リーリャはぼくを下から覗き込んだ。
「おにぃが言ってたんだけど、明日の夜、本土の花火大会なんだって!」
「あぁ…そういやそんな季節か」
本土では初夏に一度花火が上がる。
毎年ぼくらは村からそれを見上げていた。
「去年のも綺麗だったよね。
今年も見よっか」
ぼくがそう提案すると、彼女はニヤリと笑った。
「そう言うと思いまして〜…今年は特等席を見つけてきたんだよ!」
「いつのまに…」
仮にも護衛なのだから、彼女の行動はある程度見ておかなければならない。
それだと言うのに、彼女は一瞬目を離した隙にどこかに行ってしまうような人だった。
端的に言えば、お転婆がすぎる。
「びっくりすると思うよ、だってあそこは…」
「リーリャ」
リーリャの興奮したような口振りを冷ましたのは、一人の青年だった。
彼女は話を遮られたのにも関わらず、その人物の方を見て目を輝かせる。
「おにぃ!」
ふんっ、と息をついて彼は腕を組んだ。
「やっと見つけた。
まったく、リーリャはすぐどこかに行くんだから…」
レイバン・クリノス…リーリャのお兄さんだ。
村長の跡取り息子で、外界との繋がりが強い数少ない人物。
少しばかりナイーブなところがあるが、基本的にはいい人だ。
「シオンさん、リーリャを頼みますよ」
…そう、この点を除けば。
代々村長の子孫はその護衛人と結ばれることが多いからなのだろうが、とにかくこの人はぼくとリーリャをくっつけたがる。
確かにリーリャのことは大切だし、もしも…もしも結ばれることが出来たならそれ以上嬉しいことはない。
だけど、それを暗喩されることは恥ずかしかった。
「よろしくだってさ」
リーリャが快活に笑った。
…そして暗喩されることよりも、彼女が全くその意図に気づいていないのが恥ずかしい。
レイバンはリーリャの手を掴んだ。
「リーリャ、父上が僕達に大切な話があるそうです。帰りますよ」
「はいはい、じゃあ明日ね!シオン」
「またね」
ぼくは彼女に手を振った。
明日の夜、楽しみだな。
口元が緩んだまま、ぼくは水運びを再開した。
次の日の夜。
ぼくは彼女と待ち合わせをして、その「特等席」とやらに連れて行ってもらうことになった。
しかし、待ち合わせに来たリーリャは心なしか元気がない様子だった。
なんというか…しょぼくれている。
ぼくは彼女に声をかけた。
「リーリャ、何かあった…」
「さ、行こっか。
早くしないと花火大会終わっちゃうよ!」
必死で寂しさを隠そうとするように彼女は笑う。
「…」
これは、ぼくなんかが軽々しく触れていけないほど重い悲しみなのかもしれない。
ぼくはそれ以上言及するのをやめた。
ぼくらは出来るだけ黙ることのないように歩き続ける。
遠くで腹の底に響くような音が鳴っている。
「もう始まったんだ。でもここからじゃ見えないな」
「大丈夫だよ!今見れない分、ワクワクが高まるでしょ?」
「そうだね」
彼女は気丈な笑みを見せた。
そんな彼女からできるだけ悲しみを取り除くため、ぼくも笑い返す。
「あ、ここだよ」
彼女の囁きと共に、視界がひらけた。
眼前にその光景が広がる。
一瞬、ぼくは全てを忘れて息を呑んだ。
…それほど美しかった。
そこは島の端にあたる、崖が切り立った場所だった。
その崖は本土につながる海に面している。
木々が邪魔せず、眼前いっぱいに花火が開く。
まるで、花火に包まれているかのような、そんな錯覚。
色とりどりの花が咲いて、散っていき、また咲く。
リーリャとぼくはその場に腰を下ろし、その光景を眺めていた。
丸く開く花もあるし、枝垂れるように開く花もあった。
…あれ、花火ってこんなに綺麗だったっけ?
気づくと、ぼくは頬に涙を流していた。
ふと横目に彼女を見ると、その頬も濡れていた。
「リーリャ…」
「いつか…いつかあの向こうに行けるのかな、私達。そしたら____」
彼女はその掌を花火に向かって伸ばした。
当然だが、その手は花火に遠く届かない。
しかし、ぼくには彼女が花火に触れたように思えた。
彼女は涙で濡れた顔をぼくに向けた。
「__どんな景色なんだろうね」
「見よう」
ぼくは、ほぼ反射的に答えていた。
「ぼくらが大人になったら、絶対連れて行くから」
彼女の目が輝く。
「本当?約束だよ!」
「うん、約束」
ぼくはこのまま時が止まりでもすればいいと思った。
そう思ってしまうほど鮮やかな時間だった。
「ほんと…綺麗だった…」
嘆息するように、彼女は言った。
時が止まるだなんて馬鹿げたことは、当たり前だが起こらない。
花火は既に終わり、後には静かな夜が残った。
華やかな花火の後がゆえ、余計にその静かさが目立つ。
ぼくらは帰路を辿っていた。
「そうだね…」
ぼくも思わず嘆息する。
あの時間が現実のものではなかったように感じる。
「…また、来年も一緒に見たいな」
彼女がため息と共にそんな言葉を吐き出す。
そんな彼女の様子が、ひどく寂しそうに見えた。
「リーリャ…ねえ、昨日…あの後、何があったの…?」
ぼくは勇気を出して彼女に尋ねた。
ぼくが踏み込んでいいような事ではない。
それは分かっている。
だけど、それでも彼女の悲しみが少しでも分け合えるのなら…。
彼女はゆるゆるとかぶりを振った。
「…おにぃがね、“夢術”っていうのを持っちゃったんだって」
ぼくは首を傾げる。
当時のぼくにとって、それは初めて耳にする言葉だった。
「むじゅつ?」
聞き返すと、彼女は目を伏せた。
「私もよく分からないけど…なんか、それを持ってると早く死んじゃうらしいの」
「…!」
彼女は実兄の余命が残り少ないことを告げられたのだ。
ぼくは思わず立ち止まった。
しかし、彼女は笑顔を見せる。
それは、笑顔になりきれてない、ひどく哀しい笑顔だった。
「でもね、シオンと一緒に花火を見れたから…少し楽になったよ」
「リーリャ…」
そうしているうちに、彼女の屋敷の門まで着いてしまった。
彼女はぼくの側から離れると、手を大きく振った。
「じゃあね、シオン。また明日!」
ぼくは何も言えずに、彼女の背中を見送る。
その背中が家の中に消えると、ぼくは自分の住む古屋の方に歩みをすすめた。
…リーリャ、辛そうだったな。
今まであんなに苦しそうな彼女のことを見たことがないかもしれない。
それくらい、彼女はレイバンのことを慕っていたのか。
下を向いて歩いていると、地面に水溜りがポツポツと浮かんでいるのが分かった。
そうか、昨日雨が降ったんだっけ。
そう思った時、その水溜まりに赫い色がよぎった気がした。
濃すぎて、不快さを感じる赫だった。
ぼくは慌てて顔を上げる。
辺りを見回すが、人の気配はなかった。
ただただ静かな夜がそこにあっただけだ。
「…ぼくはどうしたらいいんだろう」
自分の言葉が虚しく響いた。
リーリャの悲しむ顔は見たくない。
ぼくに出来ることはないのかな…。
改めて、自分の無力さに打ちひしがれる。
もう何も考えたくなかった。
その日は小屋に帰ると、そのままベッドに潜り込む。
枕を抱くように、ぼくは目を閉じた。
五話に続く
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