第5話 赫い夢を予る 前編
五話
赫い。
ただどこまでも深く、深く。
村が赫く染まっている。
夕焼けよりも濃い、もっと暗い赫色だ。
目の前を覆い尽くして、纏わりついて…。
全てを飲み込んでしまいそうな、ただ一つの色。
それなのに、ぼくはその色の正体を知ってしまっていた。
嗚呼、それは正に______________
「…っあぁ!」
ぼく、シオンは飛び起きた。
薄い布団が跳ね上がり、ベッドの横にふわりと落ちる。
「夢、か…」
頭がズキズキ痛む。
まだ心臓が煩いほどに跳ねていた。
…怖い夢だった。
しばらく、その場で蹲っていると、外からドタドタという足音がした。
「シオンっ!大変なの…おにぃが居ないっ!」
声の方を見ると、リーリャが窓から叫んでいた。
全速力で走ってきたのか、肩で激しく息をしている。
「レイバンさんが…?」
「昨日の夜から姿が見えないって思ってたんだけど…朝見たら、部屋にもどこにも居なかったの…」
既に彼女は涙目になっていた。
不安に押しつぶされそうなのだろう。
…なにしろ、レイバンは余命宣告をされた身なのだから。
ぼくはベッドから飛び降りた。
「わ、分かった。ぼくも探すの手伝うよ」
ぼくは出かける準備を手短にする。
本土からの定期船は来ていない筈だ。
つまり、今彼はこの島の中にいる。
草花が生い茂ってるとはいえ小さな島だ。
…探せば見つかる。
小屋から飛び出すと、リーリャが不安そうな目でぼくを見た。
「ど、どこに行っちゃったんだろ…」
「まずは村の中心……」
ぼくはそう言いかけて、言葉に詰まった。
脳裏に、今朝方の夢の赫が浮かぶ。
…ただの夢だから。
そう自分に言い聞かせても、あの恐怖は拭いきれなかった。
「…いや、森の方を探してくるよ」
村の中心部に行きたくない。
ぼくはそんな気持ちに勝てなかった。
リーリャが少し安心したように頷く。
「分かった。
じゃあ、私は村の方を探してくるね」
ぼくは彼女と別れ、森の方に歩み出した。
それが、リーリャと会った最後だった。
「レイバンさぁん、居ませんかぁ」
ぼくは大声を張り上げながら草をかき分けた。
しかし、あたりには人の気配は全くない。
「リーリャが探してますよぉ」
もう一度声を上げて、進む。
彼はどこに行ってしまったのだろうか?
…やっぱり、村の方に潜んでいるのかな。
ぼくはただの“怖い夢”で正しくない選択をした自分を恥じた。
「あぁ、ぼく馬鹿だ…」
あくまでも夢は夢なのだ。
それで勝手に怖がって、子供みたいにエゴに走った。
「…やっぱり戻ろうかな」
もうかれこれ1時間以上探しているが、全く人の気配はしない。
皆んな村の方から探しているのだろう。
村の方に踵を返す。
もしかしたら、レイバンは既に見つかったのかもしれない。
リーリャが安心して笑っている姿が瞼の裏に浮かび、そうなっていることを切に願った。
ぼくのこの苦労が水の泡になりますように。
そんな滑稽な願いを抱え、村に踏み入れ_____
「あ…」
喉から声が漏れた。
目がこれ以上ないほど見開かれる。
赫。
村のあちらこちらがその色に染まっていた。
夕焼けよりも濃い、もっと暗い赫色だ。
目の前を覆い尽くして、纏わりついて…。
「そん、な…こ、とっ…て…」
その風景をぼくは見たことがあった。
昨日の夢の風景が、今ぼくの眼前に広がっている。
そして、その赫の中に、点々と何人もの人影が転がっていた。
触るまでもない、近づくまでもない。
それらは既に息をしていなかった。
村に広がる赫の色はそれらが染め出したものだ。
それは正に____命の色だった。
「リーリャは…?
どう、して…こんなことに…?
誰が…誰がこんなことを…」
ぼくは混乱しながら村の中を歩き回った。
誰か生きている者はいないのか?
誰か…誰か応えてくれ。
村の奥の方。
そこでぼくに背中を向けて立ち竦んでいる人影を見て、ぼくは立ち止まった。
「レイバンさん…」
赫い色の中、そこに呆然と立っていたのは彼だった。
ぼくは、まだ生きている人がいることに安堵する。
「レイバンさん、な、何があったんですか?誰がこんなことを…」
ぼくの声に気づき、振り返った彼の眼を見て、固まった。
赫。
村を染めた色と同じ色が彼の眼窩に嵌っていた。
彼は無機質な表情でぼくを見ると、ゆっくりとぼくの方に近づいてくる。
…それは、もうレイバンじゃない。
“夢術”という言葉すら知らなかったぼくは、当然“夢喰い”という存在も知らなかった。
だから、彼が死の恐怖に耐えきれず、永遠の命を求める禁忌に走ったこともぼくには理解できなかった。
しかし、彼がもう彼ではないことと、この惨劇は彼が起こしたことは直感的に理解できた。
…そして、彼がぼくを喰い殺そうとしていることも。
殺される。
いやだ、まだ、まだ死にたくない。
捕まったら殺される。
逃げなきゃ…逃げなきゃ。
「く、るな…っ!」
ぼくは思わずその場から走り逃げた。
ただ、がむしゃらに走る。
思考も何もかも捨て去り、ただ死の恐怖から逃げるためだけにぼくは走っていた。
無意識とは怖い物で、気づけばぼくの足は昨晩の“特等席”に向いていた。
後ろを振り向けない。
だって振り返って仕舞えばあの赫い目を見てしまうから。
彼が追ってきていることを認めるのが怖いから。
逃げ場などないことを理解ってしまうのが怖いから。
もうすぐ、あの花火を見た場所まで辿り着いてしまう。
その先は崖だ。
そうしたら、ぼくはどこへ行けばいいのだろうか?
ここは小さな島。
逃げ場なんてない。
死へのカウントダウンは既に始まっていた。
ぼくはついに後ろを振り返ってしまった。
案の定、レイバン…だったものはぼくを追ってきている。
距離が近い。
あの赫い色がぼくを捉える。
その時、ぼくの身体が前に傾いだ。
崖の淵から踏み外してしまったことに気づくまでに時間がかかる。
視界が回り、空が映る。
やけに美しい空だ。
雲ひとつない、綺麗な空。
全てがスローモーションに思えた。
崖の上がどんどん離れていく。
(約束だよ)
リーリャの言葉が虚しく脳裏に反芻された。
ごめんね、リーリャ。
約束破っちゃったみたいだ。
身体が水に沈む。激しい流れに揉まれ、ぼくの意識はその底に引き摺り込まれた。
これがぼくが笑う理由。
そして、全て護りきろうと決意した理由だ。
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