第2話 桜庭見廻隊 後編
凪さんの言葉を遮ったのは、黒髪を肩の上で切り揃えた女性だった。
その手には湯呑みが三つ乗ったお盆。
凪さんが額に片手を当てる。
うんざりとした様子で大きな溜息をつく。
「
「何?」
紅、という名前なのだろう。
彼女はにこやかに凪さんに訊いた。
「話の途中で入ってくるなよ…。それに、ドアはノックしろって何度言えば分かるんだ…」
「お茶飲む?熱めだから気をつけてね」
彼女は彼の話を見事に無視しながら僕に湯呑みを手渡した。
「あ、ありがとうございます…」
「変なもんは入ってないから安心してね」
「紅、話を聞け!!!」
凪さんが紅さんを叱咤する。
彼女はわざとらしく口を尖らせた。
「だってぇ、凪が男の子をイジメてるのが聞こえたんだよ?ほっとけないじゃないの」
そう言いながら湯呑みを彼に渡す。
「はぁ…俺はあくまでも冷静に、客観的に判断しているだけだが」
彼は湯呑みに口をつけ、ぐっと煽った。
「あっつっ!」
彼は慌てて湯呑みを離した。
舌の痛みに耐えるように口元を押さえている。
「なんで冷まさないのよ、熱いって言ったじゃん」
紅さんは苦笑した。
それから、僕に向かって優しく言う。
「ごめんね〜、このおじさん怖かったでしょ。目つきと口は悪いけど、そんなに悪い人じゃないからね」
「おじさんって言うな、お前の方が年上だろうが。…それに、そいつは今17歳だ」
「え?」
彼女は目を瞬いた。
「…高校三年生なの?」
僕は頷いた。
「はい…でも高校は通ってないです」
中学卒業と共に、夢喰い狩りの道を選んだのだ。
紅さんは頭をかいた。
「そっかぁ、ごめん、てっきり中学生かと…。そしたらシオン君たちと同い年なんだね」
「紅」
凪さんが静かに彼女を叱責する。
“シオン”というのは隊員の名前だろうか?
僕と同い年の人がいるのか…。
彼女は、ぺろっと舌を出した。
僕は湯呑みを吹いてからお茶を喉に流し込んだ。
「とにかく」
凪さんは今日何回目ともつかない溜息をつく。
「とにかく、俺はこいつに襲われた。
正体も分からないし、正直危険因子だ。
そんな奴を隊に入れることはできない。
茶を飲んでからでもいいから帰ってくれ」
「冷たいなぁ、凪は」
答えたのは僕ではなく紅さんの方だった。
「いいじゃん、“夢喰いを殺したい”って気持ちは人一倍だし、夢喰い狩りの経験があるならこっちとしても嬉しいじゃん」
「夢喰い狩りといってもまだ未熟だろうが」
さらっと言われた言葉が刺さる。
未熟…。
昨日の戦いで凪さんとの力量の差は見せつけられたが、それでも三年間夢喰い狩りとして人生をかけてきたプライド的なものはある。
ひっそりと一人で傷ついていると、紅さんが僕の肩に手を置いた。
僕の顔を覗き込むように身を屈める。
至近距離から深い黒の双眸に見つめられ、僕は別の意味で肩の力が入る。
彼女は優しく微笑みながら言った。
「ねえ、君。
もっと強くなりたい?私が面倒見てあげるよ」
「は、はいっ」
僕は思わず即答した。
「紅」
凪さんがもう一度、鋭く彼女の名前を呼んだ。
彼女はしぶしぶ、と言った様子で僕から離れる。
「やれやれ、凪は心配性なんだから…。
私が手ほどきするなら問題ないでしょう?」
「だけどな…」
彼はモゴモゴと口籠もる。
紅さんはふっと笑った。
「そんなに心配なら、この子の隊への適性試してみる?」
そして、彼女は笑顔のまま僕を振り返った。
「えっと…これが隊服です。
サイズが合わなかったら言ってください」
玲衣さんが折り畳まれた紺色の服を一式手渡してくれる。
僕は会釈を返した。
「ど、どうも」
「着替えが終わったら呼んでください。
…あ、あと、マントお返ししますね」
彼女は手近のハンガーにかけてあった赤いマントを手に取った。
「回収してくれたんですか…?」
僕は驚いた。
「これも隊長が、ですけどね」
僕は赤いマントを受け取って、胸に抱いた。
このマントは、僕が幼い頃から着ている思い出の品だ。
使い古してはいるが、無くしてしまうとやはり寂しい。
玲衣さんはにっこりと笑うと、
「では、着替え終わるまで外にいますので…」
といって、ドアをパタン、と閉めた。
元々邸宅だったのだろうか。
“桜庭見廻隊”の本部はどこからみても“大きめな家”にしか見えなかった。
僕が寝かされていたのは一階の奥の部屋。
リビングにある階段を登って二階に上がると、小部屋がいくつも並んでいた。
きっと個人部屋だろう。
僕はその中の一室に通された。
玲衣さん曰く、空き部屋だから気にせず使っていいとのことだ。
僕は手渡された隊服を見下ろす。
紺色の丈の短い着物に、袴。
そして、小手と白い腰当て。
いざ着てみると、動きやすい。
少しサイズが大きいような気もするが、腰当ての紐をきつく締めれば問題はない程度だ。
僕は、その上から赤いマントを羽織る。
鏡で見ると、思ったよりも紺と赤の組み合わせは似合わない。
…まぁ、別に似合っているかどうかは関係ないのだが。
僕は、ドアノブを引いた。
「玲衣さん、着替え終わりまし____」
______ガンッ
鈍い音が耳に届き、開きかけたドアが止まった。
音は扉の裏側からした。
僕がそこを覗くと、玲衣さんが頭を押さえてしゃがんでいた。
「玲衣さん!?だ、大丈夫ですか!?」
どうやら彼女にドアをぶつけてしまったらしい。
僕は慌てて彼女のそばに座り込んだ。
幸い、ぶつけたらしいところは少し赤くなっているだけで、出血はしていなかった。
「ごめんなさいっ、痛かったですよね!?」
彼女は弱々しく笑うと、手をひらひらとさせた。
「いえ、私がドアのすぐ近くに立っていたのが悪いんです…開くの分かってたのに」
「ですが…」
ぶつけたのは僕だ。
そもそも前触れなくドアを開けたのも悪い。
「玲衣さん、今すごい音したんすけどだいじょぶっすか?」
しゃがみ込んだ僕らの上に影がかかる。
振り返ると、背の高い少年が僕らを上から覗き込んでいた。
背の高いと言っても、ゆうに180センチは超えているだろう。
…つまり僕とは30センチ弱差があるわけで。
僕はそんな彼のことを見上げた。
金色の髪に、水色の眼。
元から金髪碧眼なのだろうか?
隊服は袖を切ってあるようで、白い腕が露出している。
僕の姿を認めた彼は、ぱっと笑顔になると、敬礼のように頭に手を当てた。
「あ、はじめましてっすね!ぼくはシオン・アルストロメリアっすよ!シオンって呼んでほしいっす、名前長いんで」
「え、あ、はい…よ、よろしくお願いします」
その勢いに思わず押された。
そうか、先ほど紅さんが言っていた“シオン”とは彼のことだったのか。
すると、シオン(…と彼が呼べと言ったので、そう呼んでおく)はビッと僕に突きつけた。
「同い年なんだからタメ口じゃないとダメっすよ、風磨」
「う、うん分かった…」
僕はコクコクと頷く。
すると、彼は満足気に笑った。
「それでオッケーっす!それで、この後どうするかって聞いたんすか?」
「まだだけど…」
「それならそこに行く道中で細かいことは話すっす。
ま、といってもやることは一つっすよ。
“夢喰いを集めてぶっ放す”みたいな感じっすから」
説明が雑すぎる。
まあ、とにかく僕はこのシオンという少年と共に夢喰い狩りをする事になっているらしい。
とりあえずそれは理解できた。
「あのぉ…」
玲衣さんがおずおずと口を挟んだ。
「ん、なんすか?」
シオンが笑顔のまま首を傾げる。
「あの、待ち合わせは19時っていってなかったでしたっけ…?」
「そうっすけど…?」
彼は何を言っているか分からない、といった表情をした。彼女はおもむろにいった。
「今、19時半ですけど大丈夫ですか?」
「…」
笑顔が浮かんだままの彼の顔からすっと血の気がひく。
「まじ、っすか…?」
「…まじです」
玲衣さんは頷いた。
シオンは引き攣った笑みを僕に向けた。
「…出会って早々、悪いっすけど…」
そして、僕の腕をがしっと掴む。
「え」
彼は、唖然とする僕のことをずるずると引っ張り、駆け出した。
「走るっすよ!」
こうして、僕の“適性試験”は始まりを告げたのだ。
* * *
「…ったく、遅っせえなぁ…シオン」
日はすでに暮れている。
辺りはもう暗くなっていた。
それが、森の中なら尚更だ。
シオン、また遅刻したのか…。
少年の口元を隠すマフラーが風に揺れている。
彼は、身を隠している木の幹から半身を覗かせた。
そこからは今夜の殲滅対象の様子が見える。
もう相当の数は集まっているが、このくらいの数なら別に一人で捌き切れる。
それよりも、その集団が町中に移動する方がリスクが高い。
彼は誰にともなく呟いた。
「それじゃ、始めるとしますか」
彼の名前は、
桜庭見廻隊の隊員である。
三話に続く
基本設定まとめました。
キャラがこんがらがった際に是非。
https://kakuyomu.jp/users/haidukikaoru/news/16817330649245427850
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