第2話 桜庭見廻隊 前編
二話
ここ、何処だろう?
僕は白い天井を見つめながら思った。
昨日何処かのホテルにでも泊まったっけ?
…いや、そんなことはないはずだ。
僕は寝起きのぼんやりとした頭で考えた。
確か、昨夜は凪さんと戦って、それで…。
目の前に散った自分の鮮血の色が瞼の裏に思い出し、気分が悪くなる。
あの傷は相当に深かった。
あの時は意識が朦朧としていてよく分からなかったが、今考えると一晩命が保つかどうかの出血量だ。
…だとしたら、僕は死んでしまったのか?
ここは天国か地獄か。
清潔な白いベッドに寝かされていることを考えると天国のように感じるが、天国に行けるほど善行を重ねてきた心当たりはない。
それか、幽霊にでもなってしまったのか。
寝起き特有の不明瞭な思考がそんな馬鹿みたいなことを考えさせる。
「…」
僕はようやくモゾモゾと身を起こした。
自分の手を握ったり開いたりするが、どこも異常が見当たらない。
昨夜凪さんに斬られた場所のシャツがざっくりと切れている。
しかし、その下の肌はかすり傷ひとつなく、ましてや血なんて出ていなかった。
「生きてる…んだよな」
呼吸も拍動も感じる。
間違いなく生きている。
しかし、服の破れが昨日の戦いの激しさを表している一方で、体のどこにも痛みがないのは奇妙な感覚だった。
痛みがないどころか、むしろ元気すぎるほどだ。
よく寝た日の次の朝のような、そんな心地よさ。
昨日の怪我はどこにいったんだろうか…?
「あ、あのぅ…」
「うわああっ!!??」
背後から不意に声がして、僕は思わず叫んだ。
“自分が生きているか”という疑問が先ほどまで脳裏に浮かんでいたせいか、「幽霊」というワードが一瞬浮かぶ。
振り返ると、当然だがそこに幽霊はいなかった。
むしろ、可憐な少女がベッド脇に立って僕を見下ろしていたのだ。
年齢は僕と同じくらいだろうか。
ふわふわとした髪を肩の上あたりで一つに縛っている。
その胸には赤い宝石のはまったネックレスが下がっていた。
内気そうだけれど…かわいい。
それが僕の感想だった。
「あ、ご、ごめんなさい…びっくり、しましたよね…?」
彼女は首を縮め、申し訳なさそうに眉を下げる。
「いや、僕も急に叫んじゃってごめん…。えっと、その…」
僕は彼女の顔を見上げた。
彼女は不思議そうに首を傾げる。
僕は疑問を口にした。
「ありがとうございます。その、助けてくれたんですよね…?」
傷が治っていたことは未だ謎だが、彼女が助けてくれたのだと考えれば、とりあえず今僕が生きていることには辻褄が合う。
すると、彼女ははみかむように笑って言った。
「あ、いや、私はただ治療をしただけですので…。ここまで運んだのは隊長ですから。私は大したことしてないです」
「隊長…?」
僕が聞き返した時、コンコン、とドアがノックされた。
ドアが開き、誰かが入ってくる。
「隊長」
少女が入室してきた青年に話しかける。
その青年を見て、僕は体を思わずこわばらせた。
彼、凪さんは少女に向かって問いかける。
「
玲衣、と呼ばれた少女はゆっくりと答える。
「もう目を覚ましましたし、大丈夫だと思います。
傷が深かったので、少し心配でしたけど…大体完治しましたよ。
それにしても隊長、少し、やりすぎましたよね…?」
「そうか、治ったならよかった」
“やりすぎ”の部分には触れず、彼は頷いた。
“隊長”。そう彼女は凪さんのことを呼んだ。そうすると、彼女は凪さんが夢喰い狩りをしている集団の人間なのか…?
僕は彼女を見上げた。
正直、あまり丈夫そうには見えない。
小柄な僕に言われたくはないだろうが、彼女は華奢だ。
少なくとも、僕よりかは身長が低いだろう。
夢喰いと戦っているようには到底見えない。
凪さんはもう一度彼女に向かって声をかけた。
「すまないが、一回席を外してくれないか?
…こいつと二人で話がしたい」
彼は顎で僕を指した。
「はい」
彼女は僕に軽く会釈すると、部屋を静かに出ていった。
その背中を見送った凪さんは、ベッド横の小さな椅子に腰を下ろし、ふうっ、とひとつ大きなため息を吐く。
彼は顔を上げると、僕の顔を見た。
「お前、名前は?」
僕は思わず硬直する。
すると、彼はすかさず言った。
「警戒しなくていい。今更無駄な危害を加えるつもりはないからな」
「…
僕は肩から力を抜かないまま名乗った。
「そうか。風磨、ここは“
「桜庭見廻隊…」
凪さんが夢喰いを狩っている集団。
それはそんな名前だったのか。
「桜庭」というのは、僕達が住んでいる町の名前だ。
町の北側は山地、南側は海。
そんな自然豊かな町。
「ああ、そうだ。俺はここで一応隊長をやっている。…それは知っていたのか?」
「集団で夢喰い狩りをしていることは知っていましたけど、そこまでは…」
僕は口籠もった。
彼は少し不思議そうに眉を下げる。
「情報に偏りがあるな…」
僕は無言のままそっぽを向いた。
仕方がないのだ。
僕にこの情報をくれた人は、もうどこにもいないのだから。
凪さんは口を開いた。
「俺がお前を助けたのは、その情報源を把握しておきたいからだ。
正直胸を張って出来るような仕事でもないからな。
下手に情報が漏れると困る。
なあ、お前はどこから“見廻隊”の情報を得たんだ…?」
「僕は…」
僕はその言葉を言うか言わないか一瞬逡巡した。
しかし、今の状況は敵の陣中ど真ん中、といったところだ。
僕に「言わない」という選択肢は与えられていなかった。
結局、僕はその名前を口に出した。
「僕は、
瀬川潮。
それが僕に凪さんのことを教えてくれた人だ。
もう、この世にはいない人。
その名前を聞いた凪さんは、目を見開いた。
僕からすっと目を逸らす。
「…そうか、潮の…。
だったら、見廻隊のことを知っているのも当然か…」
彼は一人でそう呟くと、もう一度僕の方に向き直った。
「お前は、何が目的なんだ?
俺に恨みを持っているのか?」
“恨み”とは、潮さんのことを言っているのだろう。
確かに、恨んでいないかと言われるとはっきり否定することはし難い。
だが、そんな目的で近づいたわけではなかった。
「みなさんと同じだと思いますが」
彼は少し考え込んだが、静かに言った。
「“夢喰いを殺したい”か?」
僕は頷いた。
この身をかけてでも、地獄に堕ちてでも。
僕は夢喰いを殺したい。
彼は少しためらったあと、こう言った。
「悪いが、人手は足りている。
情報源が潮なら問題はない。
話はこれだけだ。悪いが帰ってく__」
「お茶入ったよ!!」
ドアが勢いよく開き、唐突に彼の言葉を遮る。
「…」
凪さんは無言で頭を抱えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます