第1話 夢うつつ 後編


僕は唇を噛んだ。


あまり、落ち着いて話をできるような雰囲気ではなくなってしまった。

僕だってこうなる事を予想していなかったでもない。


「…分かりました。貴方がそういうつもりなら」


向こうがその気なら、こちらが何を言っても無駄だ。

話なら、彼を封じ込めてからすれば良いのだ。


僕はもう一度夢術を使った。

刀を掴み取り、腰を落とす。


彼が使っているのは太刀だろうか。

かなり刀身が長い。


彼が攻撃のために片足を退いた瞬間、僕は駆け出した。


彼の間合いに下から素早く滑り込み、腰の辺り目掛けて斬りかかる。

しかし、一瞬で彼の姿が掻き消えた。刃が虚空をかく。


_____いや、違う。


彼が高く跳躍したのだ。

片足を退いた不安定な体勢から。


彼は左手に持った太刀を振り上げると、僕の頭上から思い切り振り下ろした。


完全に避ける時間はなかった。


僕は振ったばかりの刀を突き出し、鍔でその刃を防ぐ。


「っ…」


腕のばねを利用し、彼を突き離す。

彼が少し後ろに傾いだ時を逃さず、僕はぱっと飛び退いた。


すかさず、彼と距離を置く。


…速い。


彼の刀筋には僅かな無駄もなかった。

もし少しでも刀を突き出すのが遅かったら、もろに攻撃を食らっていただろう。


背中に冷や汗が流れた。


…正直、少し舐めていた。

僕が「仁科凪」という存在を知ったのは三年ほど前。

三年間の間にこれほど進歩していたとは。


僕は刀を握り直した。


すると、凪さんはそんな僕の様子を見てフッと笑った。


「どうしたんだ?威勢のいい割に、及び腰だな。怖くでもなったか?」


「怖くなんか…」


そう返しつつ、自分の語尾が少し震えていることに気づいた。


彼は今さっき激しい動きをしたというのに、息ひとつ切らせていない。

寧ろ、先ほどよりも落ち着いているように見える。


それが不気味さを感じさせているのか。


いや、僕はもう何年も夢喰い狩りを続けている。

命を常に危険に晒し続けてきた。


今更何かを怖がることなんてないはずだ。


…それなのに。


僕は、そんな気持ちを振り払うように刀を握りしめた。

腰の右あたりに構えて彼に突っ込む。


一度深く踏み込んだ後、刀を左上に向かって振り上げた。

彼は軽く後ろに飛び退きながら、太刀で薙ぎ払う。


振り上げ切った刀の勢いをそのままに、僕は体を回した。

頬のすぐ横を刃が過ぎ、ヒュッと空気が切れる。


僕がそのまま放った斬撃は、いとも容易くかわされていく。

彼の太刀に軽く宥められ、すり抜ける。

眉ひとつ動かさず、まるで子供の遊びの相手をするかのように軽々と。


埒があかない上に、少しずつ押されていくのが分かった。


「っ…」


僕は一度刀を引いた。

刀一本では勝てないことを悟ったからだ。


正攻法では勝てない。

それならば次にすることは簡単だ。


彼の背後に複数の刀を出現させる。


もちろんこれは僕の夢術によるものだ。


僕は再度凪さんに斬りかかる。

今度は、彼は俺の刀を刀身で受け止めた。

そのまま押し合う。


彼の身長はざっと170センチは超えているだろう。

当然僕の方が体躯は小さい。

押し負けている。


僕は刀を押しながら、彼の背後に出現させた刀を彼に向かって飛ばす。


自分の出現させた武器ならある程度は操れるのだ。


彼は背後を気にしている様子はない。


しかし、刀の切っ先が凪さんの背中に届くその寸前。


ゴオオオオオ…


場違いなほどに強い突風が辺りを駆け抜けた。


その強さに思わず目を瞑りそうになる。

後ろで結った髪が激しくたなびく。


宙に浮かんでいた刀は当然、その場に落ちた。


「発想自体は悪くない。…だけどな」


風が治まった後、凪さんはポツリと呟くように言った。

凄まじい風であったにも関わらず、前髪ひとつ乱れていない。


「夢術は別にお前だけが使えるものじゃない。それを忘れるな」


彼の手の甲に浮かび上がっていたのは、“風”の字だった。


その刹那、旋風が巻き起こった。


周辺の木々が折れんばかりに揺らぐ。


着ていた赤のマントが舞い上がり、木の葉と共に上空で円を描いた。


地面から足が離れる。


身体が浮き上がる感覚を覚えた。

その直後には、もう僕は木の幹に打ち付けられていた。


「いっ…」


背中に激痛が走り、喉から声が漏れた。


かろうじて離さなかった刀を握るが、風でよく前が見えない。


とにかく、一度彼と距離を取らなくては。


この風の中ではまともに戦えるわけがない。


しかし、それを実行に移す前に、目の前に影が飛び出してきた。


凪さんが刀を振りかぶる。


今まで吹き荒れていた風が不意にぴたりと止んだ。

僕は自分の刀でその太刀を阻もうとしたが、反応しきれない。


…殺られる。


そう本能が警鐘を鳴らした。


刃が僕の体を抉った。

目の前に赫い鮮血が散る。


鋭い痛みが全身を駆け抜け、僕はその場に崩れ落ちた。


立たなくては、戦わなくては。


そう思うが、身体が言うことを聞かない。

出血がかなりひどいようだ。


…このまま放っておいたら致命傷かな。


そんなことをぼんやりと思った。


死にそうになったことはもう幾度もある。

しかし、果たして今までこんなに意識が朦朧としたことがあっただろうか?


白くなっていく視界に、ふと一人の少女の姿が揺らいだ。


「      」


僕はその少女の名前を呼んだ。

いや、実際に声を出したのかは分からない。


そうだ、僕はここで負けてなんていられない。

まだ死ねない。


僕は残りの力を振り絞って、手を精一杯彼女に向かって伸ばした。


しかし、視界が揺らいで、その手から力が抜ける。


そこまでだった。

僕の意識はぷつりと途切れたのだった。


二話に続く

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