第1章 初めて咲いた華

第1話 夢うつつ 前編


第1話



…来る。


僕は息を呑んだ。

鼻先に、覚えのある独特の空気が掠める。禍々しい雰囲気に思わず顔を顰めた。


僕は一度大きく息を吸うと、ゆっくりそれを吐き出す。


つん、と夜の冷たい空気が鼻の奥を刺した。


もう春の時分なのに、夜になると未だ肌寒さが残っている。

既に小一時間も歩き回っている僕の体は冷え切っていた。


しかし、僕の右眼だけは仄かに熱を持っていた。


僕は手をそっとその眼に当てた。

僕の右眼には黒い眼帯がかかっている。

別に右眼を怪我しているというわけではない。


ただ…この眼を人に見せられるほど僕は自分に自信がない。

それだけだ。


僕は一度目を閉じると、この右眼に精神を集中させた。


…やはり何かがいる。

この気配は、恐らく、


大体僕の右斜め後ろ。

まだ距離は遠い。

今すぐ襲われるということはなさそうだ。

林の向こうから、こちらの様子を伺っている。そういったところだろうか。


僕は、眼帯から手を離した。

瞼を開け、夢喰いのいる方向に向き直る。


僕が勘づいたことを悟ったのか、夢喰いが動き出した。


静かに、音を立てないように。

僕のことを獲物だって思っているのだろう。


…実際はその逆だってことを知らずに。


僕はそっと右手を握りしめる。

夢喰いが飛び出してくる、その瞬間を待つ。


息を殺して、夢喰いが林を駆け抜けて、僕をめがけて飛び掛かってくる。


その瞬間、僕は一歩退いた。


今だ。


僕は右手に力を集中させた。



______夢術:やいば



僕の右手の辺りが淡く光り、その文字を浮かび上がらせる。

光の粒達は、刀の形をかたどった。


夢術を使って出現させた刀を僕は素早く掴む。

空中の夢喰いめがけて刀身を振る。


速く、しかし正確に。


やけに小気味のよい手応えと共に、夢喰いの核は砕け散った。

夢喰いの影が夜の闇に溶け消える。


僕は一つ息を吐いた。


刀が再び光の粒となって消える。


出来は、まずまずと言ったところだろうか。


今抹殺した夢喰いは「強い」とは言えない部類だった。

もしかしたら、まだ人の魂を食べてないのかもしれない。


それならば良かったのだが…。


僕は夢喰いのことを考えるのをやめて、今度は夢喰いが居た方と逆の方向を向いた。


そのまま、視線をゆっくりと上に向ける。

密集して生えている木々の、太い枝の上。

そこに佇んでいる人影に向かって、僕は声をかけた。


「…いつまで隠れているつもりなんですか」


木の上の影…いや、青年は少し驚いた顔をしたが、直ぐにもとの仏頂面に戻った。


自らが腰掛けていた木の枝を踏み切り、地面に着地する。


「気づいていたんだな」


彼は着地の勢いで少しずれた眼鏡を直しながら言った。


僕は改めて彼の姿を観察する。

着物を着ており、その腰には2本の刀が鞘に収まっている。

身を隠していたのがバレていたのにも関わらず、その顔には動揺が微塵も見られなかった。


「最近、子供の夢喰い狩りが居るという噂を聞いたから偵察に来たんだ。しかし、まさかここまで派手にやっているとはな…」


つかつかと、彼は僕の方に歩み寄ってきた。そして、僕の腕を掴む。


「…もう夜は遅い。夢喰い狩りだなんて危険なことする暇があるなら、さっさと家に帰れ」


それは偵察対象に向けての発言ではなかった。夜に出歩く子供を心配して…という感じだ。


僕は、少しムッとして彼の腕を振り払った。


「子供扱いしないでください」


彼は少し呆れたように言う。


「いや、どう見ても中学生くらいだろうが…」

「卒業してます、二年前に!」


僕は思わず怒鳴った。


青年は訝しげな目で僕のことをじっと見る。


…確かに、男子の平均よりかは背が低いけど!

身長158センチなのを気にしているのでどうか言わないでくれ。

なんなら長い髪を頭の後ろで結っていることも幼く見せている要因かもしれないけど。

自分が(認めたくないが)童顔と呼ばれる部類なのも分かっている。

分かっているけど、むしろ正しい年齢に見られた事ないけれど、僕は子供ではないのだ。


「僕は今年で18才になります。もう子供って呼ばれる年齢じゃありません」


僕は彼を睨みつけた。


「はあ…」


弁解しても、彼の眼差しは疑いをはらんでいる。


「百歩譲ってお前が子供でないとして…じゃあ、お前は何故こんなところで夢喰い狩りなんてことしてるんだ?警察に見つかったりしないのか?」


「…たまに補導されかけます。ですが…」


此処は林の中だ。

しかし、林といっても街の中心部から歩いて20分ほどしかかからない。

夜警の巡回があってもおかしくないのだ。

実際今までに何度か「夜歩きをする子供」と間違われて何度か補導されかけたことがある。

その度に身分証明書を出して自分が子供でないことを証明するのが面倒くさいのは事実。


しかし、僕にはわざと目立つ必要があった。


僕は彼の目を直視して言う。


「ですが、僕は貴方と話をしたかったんです。仁科凪にしな なぎさん」


その為に、わざと僕の存在を彼に気づかせる必要があったのだ。


“仁科凪”。そのワードを耳にした彼は顔をこわばらせる。


「まだ俺は名乗っていないはずだが。何故お前は俺の名前を知っているんだ?」


彼にはどうやら僕への警戒心を隠す気はないようだ。


思いっきり睨んでくる。


僕は出来るだけ感情を抑えて言った。


「仁科凪さん、20才。夢喰いの生態について研究しているんですよね。それに、夢喰い狩りを集団でしている…そうですよね?」


彼は大きな溜息をついた。

自分の頭に手をやり、髪をかきむしる。


「何処から出てきた情報かは知らないが、“見廻隊”のことまで知っているのか…残念だが」


彼は腰の刀を抜いた。刀身が月の光を反射して光る。


彼は目を細めて言い放った。


「ただで帰らせることはできない」

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