第8話 生きて戦え 前編

八話


町はひどい有様だった。


上がっている炎は、強い雨のおかげでどうにか燻っている状態で収まっている。


しかし、建物の一部が崩壊しているところがあちらこちらに見受けられた。


夢喰いの残党が残っていないか?

逃げ遅れた人はいないか?


私は町を走り回った。


既に辺りは薄暗くなってきている。

水溜りの水が跳ね返り、ズボンの裾が湿る。


町の中心部にたどり着いた私は、そこで足を止めた。


そこは町の中でも特に崩壊が凄まじかった。


建物が半分以上崩れているところもある。


…一体、これで何人が死んじゃったんだろうな。


…間に合わなかった。


もし、私がもう少し早く隣町の騒ぎに気づけていたら…。


そう思いながら、雨の間を進んでいくと、その奥に人影があった。


人影は二つあった。


一人が水溜りの中に横たわり、もう一人がその横にへたり込んでいる。


横たわっている人影は、ぐったりとして動く気配はない。

遠目からでも分かった。


…彼は、もう助からない。


私は唇を噛んだ。


彼はもう生きてはいない。

遅かったんだ。


彼のそばにしゃがみ込んでいた人影が、しばらくして、おもむろに動き出した。


緩慢な動きで側にあった長刀を握る。


そして、震える手でそれを掲げた。


膝をつき、横たわる人影の胸の上に刀の先を向ける。


彼は、もう一人の心臓に刀を突き立てようとしていた。


それが意味するのは一つ。

…彼は夢喰いを産もうとしていたのだ。


考えるよりも先に体が動いた。


「何やってんの!」


彼が刀を振り下ろすより早く、私は彼を突き飛ばした。


刀がぱちゃん、と音を立てて水溜りに落ちる。


蹴り飛ばされて水溜りの中に倒れた彼は、うつ伏せになったまま肩を震わせていた。


「…止めるな」


彼は泣いていた。


「止めるな…こ、こいつは____潮は俺を庇って死んだんだ」


「…」


彼は低くつぶやくように泣き続ける。


「俺のせいなんだ。…こんなの、間違っているって分かってる。

だけど…だから、こいつを夢喰いにしてでも___」


生きさせたかった。


その言葉が、雨に溶けた。


私は、深呼吸をする。


“潮”という少年を救えなかったのは、私の責任でもある。


だからこそ、彼に聞きたかった。


「それは、その子が望んだことなの?」


「…え?」


彼は初めて顔を上げた。


眼鏡をかけた彼は、涙と雨で顔を濡らしている。


ゆるゆると身を起こした彼の横に、しゃがみ込んだ。


「…その子がどうして死んじゃったか、私には分からない。

だけど…だけど、君がその子を怪物に成り果てさせるのを、私は黙って見てられない。

…その子は、君にとって大切だったんでしょ?

だったら、人のまま死なせてあげようよ。

…誰も殺さない、優しいその子のままで」


「だ…だったら、俺はどうすれば…」


彼の目は絶望に彩られていた。


自分を許せない。


そんな思いが彼を占めていたのが見てとれる。


私は話を続けた。


「自分が許せないなら、別のところで贖罪すれば良い。

罪を感じるなら、その子の思いを背負って生きればいい。

その子を夢喰いにする事は…君の身勝手な気休めにしかならないんだよ?」


彼は口を開けていた。


しかし、やがてその口を結ぶと、笑顔を作った。


「…そうだな」


彼は泣き笑いをした。





「…行かなくていいの?」


救急車が潮という少年を運んで行った後、私は彼に聞いた。


彼は首を横に振った。


「いいんだ。

ついて行ったら…期待しちまう、あいつがまだ生きてるんじゃないかって。

…そんなのないって分かってるのにな」


彼は瓦礫に腰掛けたまま、自嘲気味に笑った。


「そっか…。

…さっきは、あんなこと言ってごめん」


私は彼を見ないようにして謝った。


救えなかったのは私も同じなのに、彼らのことを全然知らないのに、知ったような口を聞いた。


しかも、デリカシーのかけらもないことを。


彼は、私の言葉を聞くと、もう一度首を振った。


「別にいい。

…むしろ、謝らなければいけないのは俺の方だからな」


「で、でも蹴ったところ痛いでしょ?」


咄嗟の行動だったせいで、かなり本気で蹴り飛ばしてしまった。


彼はそっと手を蹴られたところに当てた。


「…本音言うと、結構痛い…。

だけど、その前から怪我してたし、蹴られた一つくらいなんともない」


そういいつつ、かなり痛そうだ。


…やっぱり申し訳ない。


私は、彼の横に腰掛けた。


「君たち、夢喰い狩りなの?」


彼は頷いた。


「ああ…。

元々一人でやってたんだが、潮が仲間に誘ってくれた。

あいつは、夢喰いの攻撃から俺を庇って…」


彼はぎゅっと眉根を寄せ、手を顔に当てた。


しばらく悲しみに耐えるように何度も深呼吸していたが、やがて彼は弱々しく笑った。


「…滑稽だな。

もう失うのは辛くないって思ってたはずなのに…また一人いなくなっちまった」


きっと、彼が誰かを失うのは初めてではないのだろう。


私はゆっくり立ち上がり、彼に提案した。


「風邪引く前に、雨宿りでもしよっか。

君が体調崩したら元も子もないし」


私は彼に手を差し出す。


彼は、私の手と顔とを交互に見た。


「…そうだな」


彼は素直に頷くと、私の手をとって立ち上がる。


その途端。


「あれ、何か…」


彼のポケットから何かがぽろりと落ちた。


私はしゃがみ込み、それを拾う。


…それは手帳だった。


「…っ」


そして、落ちた衝撃ではみ出たのであろう写真を見て、私は固まる。


彼は恥ずかしそうに笑った。


「…懐かしいな…。

それ、幼い時の写真なんだ」


私はその写真と彼を見比べた。


彼は不思議そうな顔をする。


…そっか。


私は彼に手を伸ばした。


彼の掛けているメガネを半ば強引に取る。


「え…な、なにを…」


彼は困惑して、ギュッと目を瞑った。


私はその顔をまじまじと見た。


ふと、目の前が滲む。


彼は突然の私の行動に慌てたように言った。


「ちょ…な、泣くなよ、突然何が…」

「変わってないなぁ」


行動はこうも変わらないものなのか。


私は溢れる涙を拭きながら言った。


きっと、私も変わってない。

だって、まだこんなに泣き虫なんだから。


彼は困惑したような表情で、目を瞬く。


私は彼の名を呼んだ。


「本当に久しぶり、だね。


彼は大きく目を見開いた。


その呼び名を、彼は覚えていてくれたのだ。


呆然としたように、その口から声が漏れた。


「あ…」


拾った写真には、悪戯っぽく笑う私とうんざりしたように苦笑する凪が映っていた。


それは、私の大切な記録。

小さな宝物だった。


彼は______凪は私の名前を呼んだ。


「…紅」


私は頷いた。

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