第43話 恐怖
『少し、寄り道しよ?』
叶の意図は分からなかったが、俺はその言葉に首を縦に振った。
その後、15分くらい夜道を家とは逆方向に歩いている。俺と叶の間に会話は生まれない。
夜の街とは静かなもので、2人分の足音と虫の音のみが耳に届く。叶はいつもより早足で、俺が時々小走りにならないと置いていかれそうだ。
叶についていくのに気を取られていた俺は、周りの景色がとある場所に変化していたことにしばらくしてから気がついた。
「ここって……?」
かつて俺と叶が通っていた小学校だった。
「うん。私と、律が通ってた小学校」
ここでようやく叶が口を開いた。
そう、俺たち2人はその正門前に、今立っているのだ。
叶は手を伸ばして校門に触れ、そっと撫でた。
「日記に、書いてた。小学6年生の頃、途中からこの街にやってきた私はこの小学校に転校生としてやってきた。それで、立ち振る舞いが全く分からなかった私を助けてくれたのは律だって」
「……ああ」
覚えている。叶が家にやってきてから1週間後、叶は俺が通っていたこの小学校にやってきたのだ。そして、幸い同じクラスになったため、俺は叶の傍にいてクラスメイトとの橋渡しとして苦労した。
記憶を失う前の叶も今と似たような感じで口数が多いほどではなかったからこそ、そう行動したのだ。
「とにかく、私に優しい人。それが、私が記憶を失う前に抱いていた律への印象だった」
叶は何かを思い出すように目を閉じて、口元を緩めた。
「ヘアピンのことだってそう。律が雨の中ずっと探し続けてくれたんだってこと、『私』は知ってる」
俺は彼女から発せられる雰囲気に、言葉を紡ぐことが出来なかった。
どうして、今そんなことを言うのか。
彼女は何を、俺に伝えようとしているのか。
「……律」
叶は目を開き、俺の目をしっかりと見据えた。
俺より5cmほど身長が低い叶だが、その目を見ていると不思議と緑色の瞳に吸い込まれていきそうな感覚がする。
「私──」
叶は、幼さが残った可愛らしい笑みを俺に向けた。
「そういう律の優しいところが、私は好き」
「……!」
突然の告白に、驚きのあまり思考が回らなくなる。
叶は、俺に1歩近づいた。
そして俺に構わずに、己の告白を続ける。
「律は、優しい。優しいの、とても。だから、律が悩んでる時は誰かのために悩んでるって、もちろん私は知ってるし……『私』も知ってる」
叶は優しく、俺の手をとった。
その温かい手が、俺の心に敷き詰められた迷いを、ちょっとずつ溶かしていく。
「だから律が苦しんでるなら、悩んでるなら、私はあなたの力になりたい。律の彼女として、力になりたい。助けになりたい。だって、私は律が好きだから。……大好きだから」
叶の俺の手を握る力がキュッと強くなる。
頬を赤らめながらも、俺の目をしっかりと見つめて訴えかけてくる。
それが、叶が俺をいかに想ってくれていて、心配してくれているのかを表していた。
俺の心の中で、はっきり気持ちが揺らいだのが分かった。そして、こう思ってしまう。
(やっぱり、叶には本当のことを打ち明けるべきなのか)
けれどその考えを覆すかのように、俺の心の中では恐れの感情が風船のように膨らんできてしまった。
ああ、くそ。
分かっている。これは俺が全部悪い。
俺が4月についた、たった1つの嘘。
そのたった一つの嘘が、あまりに大きすぎるねじれを生んでしまった。
この事実は決して変わることなく、この先の未来、深い爪痕を残すに違いない。
今の叶は、被害者なのだ。
偶然とはいえ、記憶喪失である叶に冗談めかしてついた、ふざけた嘘───言い換えれば、1種の洗脳に人生を狂わせられ、さらに昔の叶の感情を殺されたのだ。
記憶喪失前の叶が俺に抱いていた、今は知ることも出来ない感情を殺してしまったのだ。
対して、俺はその加害者だ。
もし叶がそのことを知ったら、どう思うのだろう。
もし、俺が叶の立場だったら、どう思うだろうか。
軽蔑するか?失望するか?
分からない。
ただ、ひたすらに、怖い。
「あっ……律、待って……!!」
気がつけば俺は耳にまとわりつく叶の悲痛な叫びを振り払うように、その場から駆け出してしまっていた。
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