丹波玲美亜 2


 衣料品店“Gene Do”のレジカウンターが何者かに荒らされている。

 レジスターの中に紙幣や硬貨はない。単なる窃盗なら空振りだ、しばらくすれば収穫がないと渋々諦めるだろう。

 しかし、金銭目的で荒らしている訳ではない。デスゲームの会場では金の価値など塵芥ちりあくたほどもないのだから。


「ない、ない、ないっ。ここもハズレなの!?」


 お目当ての物が見つからず、玲美亜は焦りと苛立ちが混在した悲鳴を上げる。

 彼女は現在進行形で絶賛武器を探している最中だ。屈強な男性二名が武装しているのに、か弱い女性はまさかの丸腰。圧倒的ハンデを負った状態だ。襲われたら抵抗す暇なくあっさりと死亡、ジ・エンド。

 守は人一人を事故死させて精神不安定、春明は囚人らしいので危険極まりない。

 早く対抗手段を手に入れなくては。

 焦燥感が募るばかりで、喉がみるみるうちに渇いていく。それが苛立ちを生み、更なる焦りの呼び水になる。まるでアルコールだ、飲めば余計に水分が減っていくだけ。出口のない負のスパイラルである。


「まったく、何が“運が悪い”よ。私の方がよっぽどなんだから!」


 思い起こされるのは、先程の騒ぎで明日香が吐露とろした言葉だった。人の死に触れて取り乱したのだろうが、その一言が気に食わず不快感を引きずってしまう。

 運の善し悪しなど、人生において大したことではない。むしろ「運が悪かったのだから仕方ない」と諦めもつくだろう。突如降りかかる天災に近い。人の力ではどうしようもない領域なのだ。

 それよりもっと辛いのは、信じたものに裏切られることである。


「真面目にやってきたのに、報われない世の中の方がおかしいのよ!」


 幼少期、玲美亜は素直で一途な子だった。

 両親や教師の言葉は全て正しい。言いつけを守っていればきっと幸せになれる。盲目的にそう信じ、大人の期待に応えようと日々努力してきた。「勉強して良い大学に入れば、良い仕事に就けて、良い結婚相手に出会えて、良い家庭を築けて、良い一生を送れる」という、かびの生えた古の人生設計だ。おかげで成績は常にトップクラス、朝礼の場で表彰された経験は数え切れないほどある。

 しかし、一方で友人は一人もいなかった。真面目一筋で取っつきにくい玲美亜は遠ざけられがち。ガリ勉だけが取り柄の人間はスクールカーストでも最底辺なのだ。


「丹波さんってつまらないよね」

「オシャレは全然しないし、流行はやりのドラマも見てないし」

「いるだけで空気が重いっていうか、幽霊みたいっていうか」

「関わりたくない人ランキング、ぶっちぎりでナンバーワンでしょ」


 といった具合だ。

 クラスではいない者扱いが基本。無視され続けるといういじめを受けてきた。ただ本人としては、直接的な害がなかったので問題ない。低脳な周りなんて気にせず勉学にだけ励めばいい、優秀な生徒として全員見下してやる。今に見ていろ、と。

 しかし、そんな淡い願望は簡単に打ち砕かれる。

 玲美亜の成績が、とある生徒に追い抜かれた。

 自分よりも頭脳明晰な子の登場だった。

 もしそれが玲美亜と同じ、ガリ勉だけが能の人間ならどれほどよかったことだろうか。

 その子は誰とでも仲良くなれる天性の才能を持ち、クラスメイトの大半がお友達。スポーツもそこそこ得意なので、みんなに愛される人気者だ。

 愕然がくぜんとなった。

 自分がしてきた努力はなんだったのか。

 遊ぶ楽しみを根こそぎ捨てて、勉学だけに邁進まいしんしてきた意味はなんだったのか。

 まるで人格全てを否定されたようで、日々枕を濡らし唇を噛みしめては流血させていた。

 だが、真の試練はもっと後。

 高等学校卒業後、大学生活や就職活動で求められたのはコミュニケーション能力、そして女性らしい愛嬌だった。玲美亜に欠けている、これまで磨いてこなかったスキルである。

 化粧もまともにしてこなかったので知識にとぼしく、最低限度を身につけるだけで一苦労。友人すらいなかった玲美亜にとって、飲み会や合コンで男性と話すのは重労働。楽しさなんて皆無、灰色一色に塗り潰されたキャンパスライフだった。

 おかしくないか。

 勉強さえしていれば幸せになれるのではないのか。

 ずっと校則で化粧や不純異性交遊を禁止した意味はなんだったのか。

 従順にしてきた正直者ばかりが苦労し馬鹿を見る世の中を正しいと言えるのか。

 大人にとって都合の良い子供にするために。反抗しない育てやすい子供にするために。後先考えない教育をしてきたくせに、いざ育成に失敗したら「あずかり知らぬ」と掌返しだ。

 なんたる無責任。

 真摯しんしに生きるよう指導されてきたせいで、どれだけの不利益を被ってきたか。

 裏切られたのだ。

 玲美亜の信じてきたものは、自分の人生をいばらの道にするだけで有害無益だったのだ。


「まだ結婚しないの?」

「誰か良い相手がいるでしょ」

「早く孫の顔が見たいのよねぇ」


 母親からの催促が辛かった。

 血反吐を吐く思いで就職したと思ったらすぐにコレである。

 誰のせいで真面目なだけの面白味ゼロの人間になったと思っている。おかげで人は寄りつかず、男性どころか同性の友達すらいないのだ。この体たらくでどう出会いを作れと言うのか。逆立ちしたってバク転したって無理だろう。

 と、諦めていたら意外にも運命の出会いはすぐ訪れた。


「ぼ、僕と、つつ、付き合ってくれませんか!?」


 入社してきたばかりの後輩が、愛の矢印を猛烈に向けてきたのだ。

 その後輩男性は――人のことはとやかく言えないが――冴えない男だった。顔面偏差値は平均かそれ以下、体格は中肉中背の平凡さ。一歩踏み外せば古の秋葉原に生息していそうだ。

 要するに玲美亜の同類、真面目だけが取り柄の特徴が無に等しい男だったのだ。


「そ、そんな、私、つまらない女だし」


 と、口では言いつつも、内心歓喜の舞を踊っていた。

 人生で初めての愛の告白だ。嬉しくないはずがない。なんだかんだと理屈をこねつつも、玲美亜はその男を受け入れるのだった。

 二人の時間は何もかもが新鮮で、一緒に退社するまでの帰り道も、休日の度にしたデートも、全てかけがえのない思い出。灰色だった人生は瞬く間に薔薇ばら色一色に染まっていった。彼女の半生で最高の時間だった、と間違いなく言えるだろう。

 ほどなくして後輩は夫となり、玲美亜は妊娠を機に寿退社。初めての出産は不安だったが、安産でするりと産まれてくれた。女の子だった。

 恋愛、結婚、出産。世間一般で幸せとされるステータスを達成出来たのだ。

 しかしここから、玲美亜の人生は谷底へと急転直下で落ちていく。

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