無縁虚構のリブラ

黒糖はるる

PROLOGUE


 鉄錆てつさびと肥だめを煮詰めたような悪臭が鼻を突く。

 冷え切ったコンクリートの壁が四方を囲む部屋の中、くず鉄を寄せ集めて組み立てたらしい椅子が六つ、静かに行儀良く並んでいる。隙間だらけのはずなのに、監獄に設けられた鉄檻てつおりのように堅牢。各所から突き出たねじや錆びた鉄の板は、処刑道具を彷彿ほうふつとさせる。

 無骨で不気味な椅子だ。

 そこに座らされているのは死体、死体、死体。

 つい先程まで生きていたはずのそれは、物言わぬ肉の塊と化し鎮座している。温もりを失い硬直を始めた死体達は、金属製のベルトで無理矢理椅子に固定されていた。

 ひとつは後頭部がひしゃげており、口から血のあぶくを溢している。

 ひとつは判別がつかないほど顔面がへこみ、手足はあらぬ方向へ曲がっている。

 ひとつは腹を切り裂きたがやされ、開いた傷口からぬらりと臓器がはみ出している。

 地獄がこの世にあるとしたら、きっとこんな様相なのだろう。

 惨たらしい光景が目の前を真っ赤に支配していた。


 どうして、こんなことに。


 自分は何を間違ってしまったのだろう。

 全員の力を合わせて協力し、閉ざされた空間から抜け出そうとした。

 散らばる謎を集めて組み合わせ、短絡的な誘惑に負けなければ、必ず無事に帰ることが出来ると思っていた。

 人として正しく。

 諦めずにいれば、きっと道は切り開けるはずだ。

 そのはずだったのに。

 淡く純真な願いは、狂気と惨劇を前にして瓦解がかいする。


 指先が小刻みに震えている。

 奥歯が噛み合わず、ガチガチと不快な音を鳴らしている。

 悔しい、不甲斐ない、自分の非力さが憎い。

 絶望。

 誰も救えぬ無力感にさいなまれる。

 否。それだけではない。

 込み上げてくるこの感情は恐怖。

 絶対的な悪意と対峙たいじして生まれた本能的な忌避感きひかんだ。

 死が怖い。

 殺されてしまう。

 惨劇に彩られた会場にたたずむ者、それに怯えているのだ。

 それの暴走が止まらぬ限り助かる道はない。

 未来など永久に訪れない。


 今も眼前で、新たなる死体が生まれようとしている。

 白銀の刃が命の鼓動を貫こうとしている。

 止めなくては。

 凶行を許してはならない。

 これ以上犠牲者を出してたまるか。もう誰にも死んでほしくないのだ。

 非力な自分に何が出来る。

 死の連鎖を前にす術のない者に何が出来るというのだ。

 それでも黙っていられない。

 見過ごす選択肢はあり得ない。

 己の胸中で渦巻く正義の心が許さない。


 全身を支配する恐怖を振り払う。

 なおも込み上げる恐れは無理矢理むりやり押し込める。

 前に進むのだ。

 一歩踏み出して、悪に立ち向かう。

 それだけが、今の自分に出来る唯一のことなのだから。

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