第62話 チーズがやってきた

 梅干しの強い味付けは、僕にもセリーべの住民の口にも合わなかった。正直アレらの強い味付けに耐えられるのは厳しい環境で生きてきた日本人くらいだろう。


 そう思うと僕は何て恵まれているのだろうかという気分になる。

 多分、きっとそう。


 最初の頃、仕入れ値関係で揉めた貴族御用達の市場。

 そこは世界のありとあらゆるものが揃う代わりに、お値段がシギル銭~というルールのもとに取引がされる魔窟。


 しかしポーター事業で懐が潤いつつある僕には普通に出入り出来る場所だった。シェリー様から頂いたバッジの効果も敵面。アランドローさんからの紹介状を手渡した後は顔パスで入れるようになった。


 一見さんお断りの会員制。

 裏街の市場との違いはこんなところかな?

 その分物珍しいものが集まる。物珍しすぎて何に使うのかさえ一切わからないものまで高値で売られているのが厄介だ。

 ここはただでさえ鑑識眼の問われる場所。


 金持ちのボンボンの立ち入りを禁止しているのはそういう事情からだった。

 僕はアヤネさん経由で紫蘇を大量購入した経緯から上得意様扱いしてもらえてる。

 そこで紫蘇以外に神様が反応するようになったものが、チーズと呼ばれる固形物だった。


 それは布に包まれていて、ほんのりカビが生えている。

 試食は出来ず、一点ものを買うのがここでのルール。

 長考してる間に僕の噂を知っている貴族達が興味を示してしまう悪循環。


 神様、あれはいったいなんなのです?


【アレは動物の乳を発酵させた食べ物だ。いや、アレ単体では濃すぎるので振りかけて食べるのが一般的。通のものならワインのお供に食らうと聞くぞ】


 また知らない単語が出てきた。ワインとは?


【ワインも果実を発酵させた酒だ。貴族達が好んで飲むのでこちらには回ってくることはないの。ここでもいくつか扱っていると思うが買い付けるか? 果実の方の流通次第では我らでも作れるぞ?】


 子供の僕がそれを作って怒られたりしませんか?


【売りに出さなければ平気だろうて。チーズも隠し味に使えば良い。表通りのレストランもパスタの隠し味に使うておったぞ?】


 ああ、そうやって使うんですね。でもこれシギル銭50枚~なんですが?


 信じられない値段がついている。

 貴重品……もしくはこの大陸の気候では作り上げるのに優れてない問題でもあるのかな?

 悩んでる隙に買い付けようとする声が上がる。例のレストランのオーナーだ。


「おや、アフラザードの竈さん。それに食いつきましたか」


「あ、ラ・ソワールさん。ご無沙汰してます」


 ここでは本名を名乗らず、構えている店舗名で名乗る事でどのお店のオーナーかを識別することができるのだ。

 オーナーの顔は知らずとも、店の噂は聞いたことがある貴族の方は多い。


「私も半年前に入荷したのですが、在庫が尽きかけています。ここはどうか私にお譲り頂けませんか?」


「パスタの隠し味に使われるとか」


「おっと、それ以上の詮索はしてくれないと助かるよ」


「ですが僕も新作のアイディアを思いついてしまいました」


 もちろん嘘である。

 シギル銭50枚〜とつくのは早い者勝ちが決まらず、揉めた時には双方で提示額を上げて行って最後に提示した額で金額が決定する決まり。


「そうですか、では今回は引きますかな。流石これ以上値が上がったら私のところで扱うにはコストがかかりすぎる」


「そうしていただけたらありがたいです。僕も持ち帰って研究したいので。もしよろしければ研究の成果を食べにきていただけませんか?」


「よろしいのかな? 敵に塩を贈っても」


「確かに同じ街に店を構える以上ライバル店。しかし客層は違うので競合はしないはず。違いますか?」


「そうですな。私としてはもっと庶民にも口にしていただきたいのだが、あいにくと店の方針が頭でっかちで困っているよ」


「どこもトップが経理に頭を悩ませているようですね。彼らは味ではなくお金のことばかりで嫌になってしまいます」


「ですがそのおかげで店が傾くことなくうまく運営できている。苦悩はあるでしょうが雇い上げたこちらにも非はある。そうでしょう?」


「ええ、その通りです。では今日のところは僕がいただいておきますね? 近いうちにお手紙を書かせていただきます。持って行っても良いのですが、売り出す前に他人の目に触れさせたくない。そんな気持ちがわかっていただけたら幸いです」


「ええ、期待しておきましょう。では私はこれで」


 そう言ってラ・ソワールのオーナーポワソンさんはこの場を去った。本当にチーズだけを買いに来たようだ。悪いことしちゃったかな?


 実は僕の技能には特別なものがある。

 それは梅干しを作り上げた時に判明したのだけど、ずっと???と書かれている技能が明らかになった。

 それが……完全再現というコピー技能。


 手に触れ、匂いを嗅ぎ、口に含んだものを記憶から完全に再現させるものだ。


 ずっと不思議だったカレーのスパイスが何故亡くならなかったのか。その理由は無意識下で僕が使っていた???の技能だったのだ。いつのまにかⅢまで育っていたのはそういう意味で、使いたい時にすぐ使えたのはそれのおかげ。


 なんせスパイスの配分はレッガーさんしか知らないもの。

 僕は食べたあの味のスパイスの塊を知ってるだけ。


 僕はそれの対象にチーズを加えるつもりだ。

 しかしこの技能、メリットだけではなくデメリットも含んでいる。


 それは保有している菌を全消費する効率の悪さ。

 貯めておける菌にもよるが、一兆程度では求めたしうちの三割。

 僕の全力100垓でようやく十割の再現を果たす。


 作業は一瞬で終わるのだけど、即座に無菌状態になって力が落ちるのが厄介なところだった。

 今の僕は菌があればあるだけ肉体強度が増すので、それを一気に手放すかどうかの瀬戸際なのだ。


 しかしポワソンさんのあの落ち込み具合はそれだけ待ち望んでいたというのもあるだろう。

 パン屋では消費していくだけの僕の菌も、ポーター業に専念すれば一週間で全回復できる。


 そう思えば数ヶ月待たずにチーズの再入手を図れる。

 お互いにWin-Winの関係ではないかと考えた。


【エルウィンがそこまで体を張る事もないと思うがの。どのみちそんなに量産できると知られれば敵も増えよう。しかしそんな技能、我の権能にあったかのう?】


 神様も知り得ない僕だけの秘密。

 それはきっと僕のステータスに隠された称号に関与するものだろう。それを明らかにするのは今じゃなくても良い。

 今はただ、この能力を使って神様と楽しく過ごせればそれで良いか。


 増やしたチーズは焼きたてのパン、焼く前のパンにも両方合った。神様はピザが作れるのうと言っていたが、ピザが何かわからない僕はまたも食材探しに懸命になるのだった。


 後日ピザをご馳走したポワソンさんは感涙の涙を流していた。

 ピザが美味しかったのか、それともお土産に持たせたチーズに涙したのか。はたまた両方か。

 帰りに固い握手をするほど、僕たちは気持ちで通じ合えた。

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