第58話 海の幸

 ステータスなるものが僕の身に宿って一週間がすぎた頃。

 相変わらず忙しない毎日を過ごす僕は、ポーター業にて少し面白い噂を聞いていた。


 それが見慣れない木になる果実だそうで、見知った果実と違ってそれはとても硬く、石のようなもの。

 しかしその後高確率で腹を壊すという。


 いくら食べるものに困っているからといって、道に落ちてるものを拾って食べれば危ないなんて言うのはスラムでも常識だ。

 それでも餓死するよりはマシという気持ちもわかるけどね。


【これは……梅じゃな】


「その反応は日本でよく食されてる的な食材でしょうか?」


【よく分かったの】


「長い付き合いですから。ではこれはいただけるのですね?」


【ああ、漬物として熟成醗酵させる事で食べることも可能じゃよ。米ともよく合う。握り飯の具材としても好まれておる】


「おおっ!」


【じゃがしかし待て、これ単独ではうまくない。あともう一つ、紫蘇と呼ばれる素材を手に入ればならん】


「なるほど。単品でいただけない理由は?」


【自浄作用じゃな。紫蘇の解毒作用で梅の毒素を打ち消すのじゃ。そして梅の青い果実が紫蘇の赤さに染まってなんとも美しいのじゃとか】


「神様はお食べになったことはないのですか?」


【あいにくとその者が生きてる間に食すことは出来なんだ。じゃがエルウィンになら成し遂げることができるやもしれん。じゃが生憎と我は紫蘇というものをよく知らん】


「アヤネさん頼りになりそうですね」


【そうじゃのう、彼奴は握り飯を大層うまそうに食っておった。きっと梅干しについての知恵も提供してくれるじゃろうて】


「はい。ならいつでも歓迎できるようにご用意しておかないとですね」


【ここは港町。ベルッセンと同じような待遇では納得しないかもしれんの】


「と、なると?」


【味噌の出番じゃ】


 味噌というのは醤油を作る過程でできる豆を醗酵させた食品だ。

 肉ともよく合い、味噌炒めなる料理はベルッセンでもとても受け入れられた。しかしそれ以上に醤油の照り焼きが受け入れられてしまい、味噌は日の目を浴びることなく今も僕の背負い袋の中で活躍の機会を待っていた。


 場所は市場。海産物の集う場所で僕はムーリエさんに頼ることになった。


「おう、いらっしゃい。今日はどうした?」


「実は貝類についてお伺いしたくて」


「ほう? 海の生物に興味津々ってわけか。しかしあれらはパンには合わんぞ?」


「カレエにはどうでしょう?」


「ほう、カレエか。あれになら合いそうだ。が、それを食すにはパンは合わんだろう。貝はな、非常に足が速いんだ」


「すぐ悪くなってしまうものなのですか?」


「ああ、水揚げしたらすぐに火で炙って口に入れる。それくらい性急じゃないと貝は悪くなるのが速いんだ。魚粉のように一度干物にして輸送なんててもあるが、それはそれで高級品だ。港ならでの食べ方となるとスープだな」


「スープ……良いお出汁が出るのですか?」


「ああ、表通りじゃパスタのソースにも使われてるぜ。そういう意味では貴族様は上得意様でな」


「ではお高いのですか?」


「いや、手間暇かけてお高く仕上げてるだけで売値はエルト銭1枚からとお安い。そもそも海に入ればそこらへんに転がってるものだ」


「魚よりも安価なのは良心的ですね」


「それで、どれを買ってく? いつもご利用頂いてるからね。少しはサービスするぜ?」


「ありがとうございます。これは次あたり気持ち色をつけて発注しないと後が怖いですね」


「はっはっは、持ちつ持たれつってもんさ。ま、貝は余らせても困るからっていうのもある」


「足が速いですものね」


「そういうこった」


 ムーリエさんに幾つかおすすめをもらい、僕はそれを持って鍋に並べる。


【砂抜きせんで良いのか?】


「砂抜きってなんです?」


【ああ、貝はな砂の中で死活しとるのもあって、その身に砂を含んでおることがある。手間はと思うが、海水に浸しておくことで砂を吐いてくれる】


「へえ、また一つ賢くなれました。ありがとうございます。海水は塩分を含ませれば良いですか?」


【熟成させても良いの】


「なら熟成で」


 身を引き締めるように菌を活性化させると、鍋の中で貝が開いて砂を吐き出していく。

 だいたい吐き出した辺りで貝を取り出し、砂で溢れた水を捨てた。鍋をよく洗い、水を張って再び貝を並べる。


【浜焼きなら醤油を垂らして頂いても旨いの】


「それだとしっかり火が入らないのでは? 足が速いのでしょう?」


【ああ、貝には人体と相性の良くない菌が多い。じゃが、我々誰だと思っとる? 菌は我の支配下よ。その眷属ともあろうものが菌を恐るか?】


「いえ、大丈夫なら良いんですけど。じゃあ一部はそうやって食べますか?」


【我も実体化できれば良いのじゃが、生憎とまだ信仰が足りんようでの】


「でも以前お酒の匂いでふらふらしていませんでしたか?」


【それよ。我はお主のおかげで香りを感じ取れるようになった。ようやくこの世界にリンクできるようになったのじゃ。これほどの大義はないぞ】


「わ、おめでとうございます」


【実体化すれば直接触れて食せよう。そうなれば我も少しはエルウィンの役に立てると思うぞ? 知識だけではどうも伝わらん部分も多いしな】


 一部を網の上に置いて、アフラザードの鉄板から立ち上る火で炙った。貝の隙間からジュワジュワと貝の身が湯立つ音。

 うまく密封されて旨味が凝縮されたらしい。


 そこに醤油を一垂らし。

 身をほじって口に入れ、ハフハフと口の中で熱を食べてから咀嚼する。


 味はその熱気に舌が焼けてうまくわからなかったが、濃縮された塩身が貝と相性バッチリだったことはわかった。

 数回食べていくうちに舌も慣れ、ようやくその味にたどり着く。


【夢中で食べておるの。気に入ったか?】


「身が小さいので少し物足りないですが。とても美味しいです」


【では次に味噌を使って食べて行こうかの】


「はい!」


 その日は神様と一緒に貝についていろいろ検証した。

 ただ食べてるだけと思うことなかれ。

 いろいろ食べ方を検証しつつ、どうすればパンに合うかも考えたのだ。それが叶う日はまだ遠いだろうけど、この出会いは無駄じゃないと信じて。

 アヤネさんを歓迎する準備は着々と進行していく。

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