第49話 獣人ハリッド

「よう、買いに来たぜ。相変わらずの盛況だな」


 パンを限定販売にして売り出すことに決めた僕たちだったが、案の定売り切れ後も来客はこぞってやってきた。

 そこで優先販売券を手渡し、明日からはこれの有無で販売する方向で舵を切る。

 アフラザードの竈でもよく早仕舞いするときはこうやって売りっぱぐれなくフィンクスさんが知恵を回していたっけ。


「あ、ムリーエさん。一足遅かったですね」


「ありゃ、また買い逃しか。久しぶりに親父さんのパンが食いたくなったんだけどな。そんなに売れるものかい?」


「昨日見た顔もありましたし、結構美味しくてまた買いに来た人も多かったと思います。それか食べ損ねた人に頼まれた人もいたのかも」


「あー、人に頼むって手もあるのか。そっか。親父さんのパンがな……なんだかこんな風に賑わってる店を見ると昔を思い出すよ」


「昔こちらにお世話になって居たんですってね」


「エリンねーちゃんから聞いたか?」


「キジムーさんからです。昔はもっと可愛げがあったと」


「チッ、いつまでもガキで要らんねーだろ。ただでさえ世話かけちまってるのによ。坊主にもわかんだろ? 俺の気持ち」


「ええ、僕も。世話になりっぱなしは心苦しいですし」


「だよな。じゃあ俺はここら辺で帰るわ」


「せっかくだからキジムーさんに会っていけばいいのに」


「それは照れくさいんだよ。昔ガキだった頃を思い出してな。あの人を親父のように思ってるからこそ、顔を合わせづらくもあるんだ」


「そういうものなんですね。では次に来る時はこちらをお持ちください」


 チケットを手渡す。


「これは?」


「このお店ではパンをあるだけ売ると、次の日に焼く分のパンの材料が消えるという致命的な弱点がありましてね」


「ああ、今朝知った。しっかし材料全部切れるってどんだけのスパンで焼いたんだよ。俺も世話になってたから知ってるけど、パンの仕込みって結構時間かかるだろ?」


「あーあははは……」


 よもや僕の権能で時間短縮しましたとは言えず。


「何か理由があるんだな? ギフト関連か」


「そんなところです。バレてしまいましたか?」


 取り敢えず話を合わせておく。否定しても面倒だ。

 酵母菌の神様とか言ったって「何言ってんだこいつ」って顔されるしね。


「坊主の集中力は尋常じゃなかった。きっと解体の腕前も俺の目を見張るものがある。だがそれ以上に、パンにかける情熱も同等以上にあるんだな?」


「はい。僕にとってポーター業もパンの仕込みもどちらも同じくらい大切です」


「そうか、俺にとっての魚と一緒か。じゃあまた明日くるわ」


 そう言って裏口から出ていくところで、


「おっとごめんよ」


「いや、こっちこそ悪いな。ん? お前は……」


 パン屋の裏口は店の反対側にある。隣の家との間に隙間はあるが、家の人間でもない限り出入りする人間は限られている。

 ムリーエさんは分かる。だがこの獣人はキジムーさんと一体どんな関係が?

 僕が神妙な顔をしていると……


「おう、ハリッドじゃねーか。どうしたんだよそんなところで突っ立って」


「いや、このガキが」


 僕に指を突きつけ、ハリッドと呼ばれた獣人がキジムーさんに呼ばれる。


「ああ、そいつは昨日うちの助っ人に来てくれた職人でよ。うちのパンが今こうして焼けてるのはこの坊主のおかげさ。な?」


「そうなんです。キジムーさんはこの方とお知り合いだったんですね」


「あん? 坊主もこいつを知ってるのかい?」


「昨日絡まれまして」


「この! おめえまた素人さんに手をあげやがったのか!」


「あげてない! 親父さんこそそうやって思い込みで掴みかかってくるのをやめてくれ。俺もその気配を嗅ぐと止められなくなる」


「ああ、悪いな。満月が近いと抑えが利かなくなるんだっけか」


「親父さんのおかげでだいぶよくなったがな。しかしこのガキがここの職人になるとはな……世間は狭いらしい」


「僕も、あなたにずっと謝りたくて……」


「何を謝ることがある? 俺の勘違いだ、あの時は悪かったな」


 ハリッドさん的には思い出したくもないようだ。

 名前すら聞きたくない。それほどまでの憎しみ。


【そこまでにしておくが良い、月夜の番人よ】


「この声は……貴様女神付きか?」


 その表情が強張って見える。

 女神そのものにろくな記憶がないと言いたげだ。

 しかし声が聞こえるとは?

 眷族、もとい使徒なのかもしれない。


【抑えよ、ムーリアの使徒よ。我はあの三女神とはなんの関係もない。それどころか敵対しておるわ。一方的に嫌われておる】


「それを俺が信じるとでも?」


【信じなくとも良い。じゃが我の眷属であるエルウィンをこれ以上疑うのであれば、我も黙ってられん】


「さっきから何を独り言をいってんだ? ハリッド」


「ただの幻聴だ。しかし眷属だと? このガキが……」


【改めて紹介しよう。我は細菌の女神ファンガス】


「地の女神とは……」


【命を狙われておる。ルナーリアとは顔は知ってるが、そこまで仲良くはないな。だが顔を合わせるなり喧嘩する程の仲でもない】


「信じていいのか? もう裏切られるのはごめんだ……」


「だからさっきから何をいっとるんだ。早速仕込みに入るぞ。その前に材料の受け取りをするか」


「ハリッドさんはこの店とはどんな関係が?」


「ああ、こいつはたまにふらっとやってきてうちの店を手伝ってくれるんだよ。そんでその腕力を生かして素材の買い付けを頼むことがあるんだ。粉とかもハリッドが持ってきてくれるんだ」


「業者さんのような扱いだったんですね。だから今朝は材料がないと頭を抱えていたと、成る程」


「あん? 材料が切れた? この前粉袋二つ持ってきたばっかじゃねぇか」


「あれがなくなったんで、今朝四つ買い足したんですよ」


「は? 誰が持ってきた」


「僕です」


「こんなヒョロガキが粉袋を四つも? どんなホラだ。俺でも二つがやっとだぞ?」


「こう見えて力持ちなんですよ? ポーターとかもやってます」


「そんな奴が何しにこの店に?」


「ポーターの仕事がないので、ギルドでパン屋のお仕事ないかなって聞いたらここに案内されました」


「エリンねーちゃんだったか」


「あー、ハリッド君! 来てるなら言ってよー。お店手伝ってもらったのにー」


 屈託のない笑顔を向けて、エリンさんがやってくる。

 お店はひと段落ついたのだろうか。

 ハリッドさんは、店が落ち着くのを見計らって入ってきて手伝わされるのを回避したような表情で「そんなに忙しかったのか?」と惚けて見せた。


 なんだかんだ気心知れてる感じがこの三人にはするね。


「しかし細菌の女神とは……弱そうだな」


 ボソッと漏らすハリッドさんに、女神様が喚きながら掴みかかっていくのを横目に、僕は明日の仕込みを始めるのだった。

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