第48話 酵母キラー

 すぐに言い合いになる二人を宥め、僕は酵母菌の置かれてる冷暗所へと案内してもらう。

 この街同様石造りの蔵にそれが配置されてあった。


 人が二人座って入れるくらいの瓶に並々注がれた水。

 酵母菌は泡を立てながら瓶の表面に付着している。

 キジムーさんは今日の分を掬い取り、毎日パンの仕込みをするという。


 しかしその酵母はシンナー臭に満ちており、醗酵が不十分になっていた。パン屋がこんな杜撰な管理をするわけがない。

 あれだけ腕前のいいキジムーさんだ。

 何故こんなことになっているのか心当たりがないか聞いてみる。


「だから潮風の問題だよ。8年くらい前かな? 沖合いから吹き付ける風がよりしょっぱくなったのは。表通りのオーナーはそれに対する完璧な施設っていうのを持ってるとかでなんの影響もなくパン焼いてるらしいが、俺んとこはこの通りだ」


「何か対策はしなかったんですか?」


「勿論したさ。だがな、何をやってもうまくいかねーんだ。水も買えたし、素材もいくつか試してる。けどこれ以上膨らむことがなくて手詰まりだ」


「そうですか……あれ?」


「どうした?」


 その瓶の置かれてる冷暗所の奥。

 苔むした場所がある。

 確かにこれほど暗くて湿気の強い場所だ。

 苔があってもおかしくない。

 だが僕の権能の『最近撲滅』が強く反応している。

 どうして?

 もしかして……


【エルウィン、それは苔ではない。キノコじゃ】


 キノコ? 何故こんな場所にキノコが?

 百八十度石壁に囲まれた空間に、キノコが生えている。

 キノコは木の根元から生えるからキノコと呼ばれているんじゃないのか? いや、木から生えないキノコもあるかもしれないし、決めつけるのもよくないよね。


【触れるでない、触れた先から肌がズタズタにされる猛毒を持っておる。それにこの場所も、胞子が散布されておる。じゃからか、酵母が育たんのは】


 これは自然に生えるキノコなのですか?


【分からん。我も見たことのない種類よ。キノコといえば我に一家言あるというのに見当もつかん。我が封印されてる間に生まれた新種か?】


 どうしましょうか。


【取り除いた方が良かろう。どのみち放っておけばこの場所を毒素で蔓延させ疫病が流行りだすぞ。タイミングよく我らが来た時にそんなことが起こってみい。疑われるのは我らぞ】


 まるで僕たちが来るのを分かってて用意されてたようなタイミングですね。裏に三女神が絡んでいるのでしょうか?


【分からぬが慎重に動いた方が良かろうて。その上で自由にやると良い】


 ええ。ですが僕はキジムーさんを何故だか放っておけな放っておけなくて……昨日今日あったばかりだというのに変ですよね?」


【同じパン職人として何か嗅ぎ取ったか? レッガーと何が違う。所詮其奴もエルウィン頼りであろう?】


 レッガーさんとは違いますよ。

 あの人は独学で、ギフトもなしにやり遂げました。

 本当の才能の持ち主です。

 代わりにキジムーさんはパンへの情熱が凄まじい。

 素材一つとっても、粉の篩い方から、生地の練り方ひとつとして無駄がない。

 もし酵母菌がこのような目にあってなければ、僕の方から頭を下げて師事を申し出る本当の職人だと思うんです。


【そこまでか。そこまでお主のお眼鏡に敵う人物か。我はそうは思えんがのう】


 確かに怒りっぽいし、喧嘩っ早いです。

 でもパンに対する愛情は人一倍だと思いますよ。

 僕はそんなキジムーさんを救いたい。

 でもだからって眷属にするほどではないです。


【良かろう、好きにやってみせよ】


 はい!

 神様から許可をいただいて、その原因となるキノコを最近撲滅で消去する。

 部屋に散布された胞子はすぐに消えないが、明日にはまた醗酵しているかもしれない。

 それまでは僕がお手伝いすればいい。


「気の所為でした」


「なんだよ、脅かすない」


「何か見慣れぬものがあるなと思いましたが、苔でした」


「そりゃこんな環境なんだ。苔ぐらい生えるだろ」


「ですね。ではお店の経営について詰めていきましょう」


「悪いな、何から何まで世話になって」


「いいですよ、僕も好きでやってることですし。それにキジムーさんの焼いたパン、好きですし」


「嬉しいことを言ってくれるじゃねーか。ムーリエの奴も坊主と同じくらいの時はそりゃ可愛げがあったもんよ」


「あのムーリエさんがですか? 全然想像できません」


 僕なんかと違ってまっすぐ一本気、そんな印象を持つ人だ。


「でも海難事故で両親を無くしちまってからからかな、塞ぎ込んじまっておとなしくなっちまった。うちも朝から晩まで店開いてたし、エリンも手伝いさせてたから誰もムーリエに構ってやれなくてよ」


「ええ」


「ある日急に大人びた表情で仕事を探してくる! だなんて言ってよ。別に子供一人食わせてやるくらいなんとも無かったんだが、あいつ一度言い出したら聞かなくてさ」


「その頃からなんですね、ムーリエさんが仕事一筋になったのは」


「きっと俺たちの家族関係が眩しく映っちまったんだろうな。遠慮なんかしなくたっていいのによ。むしろ俺ぁ、あいつも含めて自分の家族だと思ってるんだぜ?」


「ムーリエさんもきっとそう思ってくれてますよ。ただ、それをいう機会を失ってるだけです」


「だといいんだがな」


 冷暗所から出て工房へと入ると、奥の店舗では来客がごった返していた。


「すいませーん、まだパンが焼き上がってなくてー」


 そこではお姉さんが昨日の噂を聞きつけたお客さんを言い伏せていた。


「どうします、キジムーさん。今日は休むと言ってましたが?」


「お前、あの数の客に手ぶらで帰れっていうのか?」


「僕は構いませんが、売り方は考えましょうよ。生地は作ります。パンを焼くのは結構ですが、数は限定しましょう」


「それじゃあ売り上げが落ちるぞ?」


「落ちてもいいじゃないですか。今まではまるっきり無かった。それに比べれば十分儲けが出ていると捉えましょう」


「ガッハッハ、確かにそうだ! 分かった、お前さんの案で行こう。エリン! ちょっとこっちこい!」


「ちょっと待ってー」


 店先で人数整理をするエリンさんは押し寄せる客にもみくちゃにされながら、キジームさんの言葉に従おうと身を捻る。


 僕はその隙に生地をささっと作り上げていく。

 まったく、新しい街に来てものんびり観光する時間もないとはね。

 でも、これくらいの時間配分が僕にはちょうどいい。

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