第45話 凄腕パン職人エルウィン

「お父ちゃん、紹介するね。この方はエルウィン君。複数のギフトを持つ冒険者よ」


「なんで冒険者なんかが場末のパン屋に来てんだよ? どうみたって冒険者できるような肉体してないだろ。それともあれか? パン屋なら誰でもできるってか? これだから素人は行けねぇ!」


 きっと以前にも似たような人が来たことがあるのだろう。

 僕は背負い袋からパンを一つ取り出し、主人に提示した。


「これは、白パン!? なぜこれがカビも生えずにこの街にある!?」


 白パンは足の速いパンだ。パンに詳しい人ならばその状態に一眼でわかるものだろう。そしてこの人も一瞬で状態を見抜いてきた。


「これは僕のお世話になったお店で作っていたパンです。店主さんはベルッセンという街のアフラザードの竈というお店はご存知ですか?」


「聞いたことはないが、だがこの香りはまさしく……」


 そのままパンを口に入れ、噛み締めている。


「まさしく王都で食べたあのパンだ。だが、それよりももっと洗練された味わい。酵母菌を支配したかのような芳醇な香り。パンの究極系がここにある。これをお前さんが作れると?」


「それを店主さんの目で確かめてほしいのです。工房をお借りしても?」


「それは構わないが、今日は潮目が強い。醗酵が難しい日だ。それでもできるってんならやって見せろ」


「ええ、お願いします。お姉さん、着替える場所をお借りしたいのですが」


「こっちよ」


 僕はお姉さんに案内され、そこで制服に袖を通す。

 白を基調としたパリッとした白衣。

 それに着替えた僕はパン屋の一員になる。


「衣装を変えるだけで見違えるのね」


「そうですかね? やはり認められるには気合も入れなければなりませんし。材料はお借りしても?」


「ええ。お父ちゃーん、材料借りたいって!」


「損した分は給料から天引きしとくからなー!」


「ごめんなさい、うちは貧乏だから無駄な材料がないの」


「大丈夫ですよ。失敗はしません。僕には酵母菌の女神様がついていてくれますから」


「あはは、なにそれー」


 受付のお姉さんは冗談かと思ったのか、僕の話を笑って流した。

 そして工房で水回し。

 ボウルに振るった粉、水、塩を入れてよくかき混ぜる。

 借りた酵母菌は確かに繁殖率が悪い。

 潮目が強いと醗酵が弱いというのは理にかなっているのかもしれない。

 しかし僕の権能なら……


『細菌活性』により酵母菌が増え出す。

 それをみていた店主さんの目の色が変わった。


「なにをした、あの酵母菌がこんな増え方……普通じゃありえねぇ!」


「どうしたのよ父ちゃん、そんなに慌てちゃって」


「いいから黙って見てろ。この子はもしかしたら俺の求めてた方かもしれねぇんだ!」


「父ちゃんまで急にどうしたの?」


 一人だけその空気の変わりっぷりについていけない受付のお姉さん。

 僕と店主さんの意識が一つになる。

 一挙手一頭足に意識が寄せられた。


 そして熱された釜の中から出てきたのは、塗り黄身の艶を伴った白パンだった。

 外はサックリ、中はフカフカの黄金比率。

 まだレッガーさんには及ばないが、僕の中では最高傑作だ。


「お父ちゃん、これって……?」


「白パンだな。よもやうちの材料でこれほどのパンが出来るとは思わなんだ。それにあの酵母菌の増え方。この方には酵母菌の女神様がついておられる!」


「それってこの子の冗談じゃなかったんだ?」


「冗談なんかじゃねぇ! すぐに開店の準備をしろ! ギルドのツテを使ってでも客を集めろ! パンは焼き立てを売るもんだぜ?」


「そんな急に言われたって。あー、もうわかったわよ! やってみます。その代わり二、三個貰ってくからね?」


「おう、カゴいっぱい持っていきやがれ! 坊主、構わねぇよな?」


「ええ、店主さんこそ僕の醗酵速度に追い越されないでくださいよ?」


「べらんめぇ! この道30年の職人を舐めんなってんでぃ!」


 そのあと今日出会ったばかりとは思えぬ阿吽の呼吸で、パンを仕込んで焼き続ける。

 本来パンとは酵母菌の醗酵を促すことで膨らませる。

 そのせいで時間が非常にかかるのだが、僕の権能はその時間を大幅に短縮させるのだ。


 異常と思えるほどの醗酵速度。

 僕の手の中で膨らみ一時醗酵、二時醗酵、ガス抜きは瞬く間に終わる。


 焼き手の店主さんもその驚きの速さに生唾を呑み込んでいた。

 それと同時に店が開く。

 店内には焼き上がった白パンの美味しそうな香りが昼過ぎの街に染み渡った。


「すげぇうまそうな匂いがする! なんの匂いだ?」


「パンですよ。今日は特別なパンをご用意してます。焼き立てですので熱にお気をつけくださいねー」


「うぉ、ほっくほく! 黒パンとは違ってそのまま噛み付けるぜ」


「パンってこんなに柔らかかったんだな。いつも食ってるパンがなんなのかわからなくなってきたぜ」


「これ、表通りのパンよりうまいんじゃね?」


「いや、あそこは王都でも有名なパン屋なんだろ? それ以上ってことはないだろ」


「でも今まで食ったどのパンよりうまいのは確かだぜ!」


「ああ、こんなうまいパン屋がこんな場所にあったなんて知らなかったぜ!」


 お客さんの評価は上々。こんなに賑わう店内を見るのは初めてなのか、困惑する受付のお姉さんの顔が店内で忙しそうにしていた。もしかしなくても一人じゃ対応しきれないかもしれない。


 その日、僕のアルバイト先が正式に決定した。

 入った当日から住み込みで暮らさないかと提案されるほど気に入られたのは流石に宿の主人に悪いので、お断りした。

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