第43話 港町セリーべ
鼻に塩気の強い風がまとわりつく。
どうやらここがこの乗合馬車の終着点のようだ。
御者のおじさんはたった一回食事をした僕のことを覚えており、降りる時に「君には希望を頂いたよ」と声をかけてもらえた。
乗車料を支払い、新しい景色に足をつく。
地面は切り出した岩を床材に使っており、凸凹として居た。
住居を見るとどこも石を使われた作り。
木材や鉄などの鉱石を加工した家屋は見当たらない。ここだけやけに時代が遅れてるような気がした。
【海が近いせいじゃろうな。石は潮風に強い。木材はしけり、鉄は錆びやすい】
「潮ですか。塩のご親戚か何かですか?」
【似たようなもんじゃ。そもそも塩は海から取れるものじゃしの。岩塩なんかも潮風が吹きつけた場所にできるのじゃぞ?】
「そうなんですね」
神様が見えない人からしたら僕は独り言が大きな子供だろう。
道ゆく人が胡乱気な瞳を向けていた。
そこへぶつかってくるチンピラ風の男。
「ガキ、気ぃつけろ……うわぁあああああ」
財布か何かをスロウとしたのだろう。ベルッセンに来る前はよくこういう手合いに因縁をつけられたものだ。
しかし僕は即座に『細菌活性』を付与。
チンピラ風の男の手が吹き出物に覆われたり、古傷が開いたりする。
「すいません、お兄さん。僕の荷物に触れてしまいましたか? 危険物を取り扱ってるので許可なく触れることは推奨しておりません。その代わり無償でお直ししましょう。運が良かったですね、本来ならそれなりの賃金をいただくところですよ?」
にこりと笑い、周囲にそれとなく言っておく。
こういう輩がいるということは、統括する者もいる。
ベルッセンで言うと件のクランのマスターみたいなものだ。
全員が全員、菌獣な訳ではないと思うけど。
床で這いつくばる男の前で座り込み、ベルッセンを出る前に買い付けたクリームを男の肌に塗り込んだ。
同時に『保菌』を発動。僕の中に悪い菌が吸い込まれ、男の手が元の状態に戻った。
もしそのままにしておいたら、治療費でいくら支払うか判ったものではない恐怖から安堵するようなため息が漏れた。
「こういった人混みですし、お互いに前を向いて歩きましょうね? またひどい目にあっちゃうかもしれませんよ?」
「気ぃつける。悪かったな」
少しだけ萎縮した姿勢。いまだに悪夢でも見ているのかと、フラついた足つきでその男は路地裏に消えた。
【少しやりすぎじゃないのかのう?】
「あれくらいしないと目をつけられます。ここで暮らしていくかどうかの瀬戸際ですからね。舐められたらおしまいです。最初の街のようにはなりたくないですし」
【それもそうじゃの。エルウィンがすっかり頼もしくなって我は嬉しいぞ】
「自分でも驚いてます。アフラザードの竈の面々や、お貴族様、それに勇者様に鍛えられたおかげですかな? あの程度の人相で怖がることは無くなりました」
【ハッハッハ、それは良いの。思いの外肝が据わったようじゃ】
僕の独り言を気にする目は、今度は奇異なものを見る目に置き換わる。あまり目立ちすぎるのも良くないかな?
僕は宿を見つけて室内や客層を伺った。
その中でそれなりにボロそうで菌がたくさん集まりそうな場所を探す。
「すいません、一週間ほど先払いしたいのですが、支払いのルールなどはありますか?」
「そうだねぇ、うちは見ての通りのボロ宿だし? その日暮らしのような奴らがわんさかいる。好き好んで長居しようだなんてのはいないからね。うちとしては助かるけどいいのかい? 坊ちゃんのような子にはこの場所は似つかわしくないと思うんだが?」
僕の身綺麗な格好が鼻につくのか、宿屋の主人は胡散臭そうにこちらを見る。金持ちの道楽に見えたのだろうか?
「ならそのように。支払いはシルク銭でよろしかったですか?」
「おやまあそんな大きなお金ここいらで出すんじゃないよ。もっと細かいのはないのかい?」
「あいにくとこれ以下は持ち合わせがないもので」
レッガーさん、お給料は全部シルク銭(銀貨)だったからなぁ。
冒険者ギルドでのお仕事もシルク銭。お買い物した時に崩したこともあるけど、エルト銭(銅貨)ほど細かくしたら全部使い切っちゃう主義だ。
その上はジーラ銭(金貨)を飛び越えてジャッハ銭(大金貨)とこれまた目を疑う貨幣を持っている。
僕は何も変わってないのに、信じられないくらいにお金を持ってしまっているのだ。だからスリの類には最大限気をつけるようにしないとね。
「それじゃあありがたくいただくよ。うちは部屋は貸しても自分の身は自分で守る主義だ。そこは大丈夫かい?」
「はい、大丈夫です」
「変な子だね。まぁありがとうよ」
【あやつは誰かに飼われていると見たのかの?】
どうでしょうね? でもこのほんのりカビ臭い感じ。
懐かしくないですか?
【最初の街を思い出すの】
あの頃の環境には戻りなくはないですが、あの場所は好きだったので。
【それに向き合えるだけの強さを手に入れたと言うことよ】
そうなんでしょうか?
僕の心はあの頃から変わったとは思えませんが。
【変わっておるよ。対応力は格段と上がった。我が保証しよう】
あはは、なら僕はその期待に応えねばなりませんね。
菌に囲まれた生活。鍵のかけられない扉。
背負い袋は菌に包み込んで、僕の全身も菌に包んで眠りについた。
その夜、予想していた襲撃はなく、むしろ心配したような声が周囲から響いた。菌の毛布がその気を無くさせたのかな?
「おはようございます。みなさん朝からお早いですね。みなさんの声で目が覚めちゃいました」
「あ、ああ。あの状態でお前さんが無事ならそれでいいんだが、あの状態はなんだい?」
「僕、特異体質でどうも菌に好かれちゃうみたいなんです。だから気を抜いちゃうと……」
もさぁ、と手の先からカビの花が咲いていく。もちろんわざと細菌活性を使ってはいるが。気を抜いただけでそんなふうになる人間を僕は知らない。
「こんな始末で。だからこの宿は随分と居心地がよく……」
「そ、そうなのかい。こっちは迷惑だけかけなきゃそれでいいよ」
心配していた声は間借りしてる人だけで、宿屋の主人の声だけはうわずっていた。どこか後ろ暗そうな反応ですね。
【案の定、お主を襲撃させるつもりだったようじゃの。昨日見た顔と知らんやつが数名おる。その者の手を見れば一目瞭然じゃ】
ああ、荷物に手をつけたんですね。その荷物と同じ状態の僕には手をつけようとせず、異物として騒いで追い出そうとした?
【そう考えといて良さそうじゃの】
僕はみなさんに大丈夫ですからと退散いただいて、部屋の掃除をする。なんだったらアフラザード様の恩恵をいただいた魔道具で手料理なんかも作ったりして。
保菌する事で長持ちする生みたて卵を熱っされた鉄板の上に落とし、これまた保菌する事で長持ちさせた水を落として蓋をする。
その横では腸詰肉を二本取り出し、鉄板の上へ。
白パンに切り込みを入れて断面を軽く炙った後、目玉焼き、腸詰肉を順に白パンの上に挟み、その上から醤油を数滴垂らしていただいた。
部屋は隙間が多く、すぐ隣の部屋にまで匂いのお裾分けが行ってしまうがこれが迷惑だと言うなら振る舞えば良いだけの話だ。
もちろん代金はいただくが。
そこらへんの対応は店番をしていて慣れた感じだね。
無理難題をふっかけるお客様には笑顔で対応だ。
「坊ちゃん、今度はなんの騒ぎだい?」
部屋の前にカビ騒ぎとは別件で人垣ができていたら誰だって驚くだろう。人垣をかき分けて出てきたのは宿屋の主人だ。
「朝食をいただいてましたら、みなさんも食べたいと群がってしまわれまして。その分お題金をいただきますがご主人もいただきます?」
あんなカビに覆われてた袋に入ってた食品なんて信用できない、そんな目をしている主人。けど目の前から漂う薫鉱は間違いなく空腹を刺激するもので、それに頬張る人達には笑顔が張り付いていた。
「今ならエルト銭5枚で提供できますよ。おひとついかがです?」
宿賃の半分を提示すると、思いの外食いついたこの食事。
冒険者ギルドではどんな仕事が斡旋されてるのかますます興味が湧いてきた。
結局ニオイに釣られて宿屋の主人も食べていた。
何回も僕と背負い袋を往復し、なんでこんな美味いものがカビに覆われてた僕なんかに作られるのかと疑問符を浮かべていた。
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