第21話 魔王

 俺たちはまだ暗い室内に手を繋いだまま入った。

 理香子は手を繋いだまま、入り口付近にあると思われる照明のスイッチを探す。


「あった、ここだ……」


 すると、明るすぎない優しい照明が室内を照らしその全貌が現れた。

 そこは、さすがスイートと言う様な広々とした豪華な部屋だった。

 理香子は肩掛け鞄をソファーの上に置くと窓の外を眺めに行く。

 俺も動揺を表に出さないよう、リュックを置き理香子の横で眼下に広がる東京の夜景を眺める。


「うあ、スゲー眺め」


 理香子は俺に一切目を合わせずその顔を見せてくれない。


「うー…………はうっ!」


 理香子は少ししてから突然ビクッとして、俺のいる方向とは反対向きに翻り、鞄からハンドバッグだけ取り出すと、ルームキーを拾ってから広い室内を一人でスタスタと歩きだした。

 俺はキョトンとして理香子を目で追うと、ドアの前で立ち止まり俺を呼ぶ。


「弘樹君! 先にレストランいこ! 私お腹すいた!」

「へ……? あ……はい」


 えっと……今、先に、って言ったよね?

 そうなのね、はい。





 俺は、理香子に言われるがまま付いていき、少し下の階へ向かった。

 レストランフロアに着いて、インフォメーションの案内板を見ると、幾つかのお店があった。


「弘樹君、何食べる?」

「う、なんでもいいよ?」

「もー」


 いや、俺はそれどころじゃない。この後この子と一夜を明かすんだぞ。

 24歳道程の俺は、もう脳内はそれでいっぱいになっている。


「じゃ、和食でいいよね、お刺身食べたいし」


 そういうと理香子は、俺の手を取り引っ張って、ズカズカと高級そうな和食店に入っていく。今の理香子さん、なんか誰かに似てるような気がする。


 テーブル席へ通され、メニューを見ると全てがコース料理で、それなりの値段である。理香子がコースを選んでしばらく。高級な日本酒を飲みながらお互いに少々固い感じで、今日の水族館の事なんかを話していると、次々に届く無数の小鉢で分けられた懐石料理を食べ始める。


 そうして、俺は心ここにあらずのまま、二人しておいしい地酒を飲んでいると、俺も理香子も少しずつ酔いが回る。すると、理香子のテンションはだんだん上がり酒のペースも上がっていく。それが少し気になるが、そのおかげもあって俺の緊張も少しほぐれてきた。


「おー、俺ちょっとトイレ行ってくるわ!」

「はーい! あはは、いってらっしゃいー!」


 そうして俺はトイレへ行き、用を足しながらあれやこれや考えてた。


 うん、まぁいずれこういうときは来るだろうと思っていたが、まさか今日だとは。まぁ、な、なんとかなるだろ。知識だけはあるからな。


 俺の左脳は既に暴走中なので、残った右脳を使って、ついこの後の事を色々想像してしまうが、そうなると出るものも出にくくなってきてしまう。


「あ、こら、お前少し落ち着け! ここは普通に過ごすんだ、普通だ。冷静に!」


 トイレでそんな独り言を話してると、どこからともなくどこかで聞いた重低音の声が聞こえてきた。


「むぅ? この声、いつぞやか? どこかで聞いた声だのぅ……?」


俺はさして気にすることも無く、なんとか用を足し終え手を洗いに行く。

洗面所で鏡を前に身なりを整えていると、背後から声をかけられた。


「ん、お前? なんだったか? そうだ、たしか内藤が連れてきた奴だな?」


うぉ、ビビった!

出したばかりなのにちびりそうになった!

そこには個室から出てきた、和服姿の高齢者が立っていた。


「あ、ああ! 西園寺さんじゃないですか! こんなところで会うなんて、とんでもない奇遇ですね!」


おい、妖怪じじい!

なんてところで遭遇するんだ!

内藤さんが魔人なら、やっぱりこの人は魔王だ!

ここをどこだと思ってる、あり得ないだろこんなこと!


突然の再開をした俺と西園寺さんは、手を洗いながら鏡の前で会話を続ける。


「たしか……、北村といったな、今日はどうした、飯か?」


 こんな、高層ビルのトイレで偶然ばったりあったにもかかわらず全く動じない。

 年寄りだからか?

 大物だからか?


「あ、はい、連れと二人で食事をしに。しかし凄い偶然もあるものですね」

「うむ、ここは悪くない和食だしな、それが分かるお主もやはり悪くない」


 そうして会話が始まり、トイレから出て二人で廊下を歩き始める。


「北村よ、連れとは女房か?」

「あ、いえ、彼女です」

「そうか……ふむ」


 なにやら考えているようだ。理香子を待たせてるし早く戻りたい。

 できれば関わりたくないんだが、今は特に!

 空気読んでくれ、じいさん!


「お主、これも縁と思わんか? 二人でわしの卓へ来んか? 一緒に飯を食おう」


 いやいやいやいや!

 とんでもない事言い出したぞ、このジジイ!

 こ、ここは冷静に、断るんだ!


「でも、お邪魔になるのでは?」


「なぁに、もう一人いるが、そいつも今はただのジジイだ、気にすることは無い。年寄ふたりじゃ酒も旨く無くてな。うむ、お主の彼女に酌でもしてもらえればいいんだがな、どうだ北村よ。カッカッカ」


 む、無茶言わんでくださいよ、俺はこの後人生初の山場を……!

 うあ、お前! いちいち反応するな!

 落ち着け、落ち着け俺。ヒッヒッフー!


「でも料理がもう……」

「そんな物は店の者に運ばせればいい、お前がよければワシが店に言ってやろう」


 このジジイ、引き下がるつもりは最初からないって感じじゃねーか!

 ううう、これ以上俺が断り続けるのは……。


「は、はい、分かりました、ただ、その前に彼女に聞いてもいいですか?」

「それは必要だが、まぁ大丈夫だ、ワシが責任を取るのでな。では待っとるぞ」


「あ、西園寺さん、え、ちょっと……」


 ええい、どうしてこう年寄りはみんな強引なんだ!

 どうしよう、理香子になんていえばいいんだ。


 そうして結構な時間を空けて席に戻ると、理香子はすっかり出来上がっていた。


「おそいぞー! ひとりぼっちにしてー!」

「あ、ああ、うん、ほんとごめん、ちょっとトイレで知り合いに会っちゃって」

「えー、こんなとこでぇ???」


 一応ちゃんと聞いてみるが、これは無理だろ?

 この理香子を合わせるって無理だよ、理香子もこの後の事考えてるだろうし。

 きっと理香子が嫌だって言ってくれるはずだ、それで俺に断る理由が出来るんだ!

 頼む理香子、断ってくれ!


「でさ、席移動して一緒に食おうって誘われたんだけど。い、嫌だよな?」

「弘樹くんはー? その人と一緒に食べるの嫌なのー?」

「や、やっぱ二人きりの方が……」

「じゃ、いくー! あははははははは!」


 くっ、この酔っ払いが!

 いや、無理、ダメ、絶対行けない!


 昼から続く衝撃展開と水族館の疲労、今日泊まる覚悟をした緊張に耐えようとしたのか、俺がトイレに行ってる間ペースを飛ばして日本酒を飲んだと思われる。

 それに元々あまり強くないせいか、すっかり酔っ払いになっている。


「ええ、ちょ、りかこさん!? 相手が誰か分からないのに!?」

「だってぇ、ひろきくんのともだちでしょー! だいじょーぶ、だいじょーぶ!」

「いや、友達っていうか……」


 西園寺さんの事をどう説明したらいいのか。

 そう俺が困っていると突然、数人の店員が俺たちの席を囲む。


「失礼します、大泉様からお話を伺いまして器を移しにまいりました」

「ええ!? ちょまっ、大泉って誰!?」

「あー、ともだちーね! よし、あっちの席いこ、ひろきくん!」


「では、お席へご案内します」

「はーい、あははは!」


 理香子はバッグを持って、店員に付いて行ってしまった。

 や、やば過ぎるだろ!今の理香子と西園寺さんを合わせるのは絶対まずい!

 相手はテレビ局の大物で魔人を超える魔王だぞ!

 それに魔王と飲んでる大泉って誰?!


「ちょ、ちょ、ちょっと、理香子! まって! 話聞いて!!」


 あああああ、これは、あかーん!!

 理香子は俺の静止も聞かず、どんどん行ってしまうのだった。


「ちょっとまって! 理香子!」


 ううう、どうしよう、理香子先行っちゃったよ、急がないと!

 俺は慌てて自分の荷物を抱えて理香子を追いかける。

 すぐに店員に付いていく理香子に追いつき、廊下を進みながら止めに入る。


「理香子! お前ちょっと待てって、だめだよ、お邪魔しちゃ!」

「だってともだちでしょー? 私も合ってみたいしー、どんなひとー?」

「こちらのお部屋になります」


 着いてしまった。


 店員がそばに棒立ちになっている大柄の黒スーツの男に会釈をすると、スーツ男はスッと引き戸を開ける。そんな人力自動障子が音も無くスライドすると、10畳はあるだろうかという個室のお座敷だった。


 床の間があるような座敷なのに奥には巨大ガラスから見える摩天楼。

 その広々とした空間には、爺さんがたった二人で酌を交わしていた。

 一言で想像しやすく言うと、時代劇で御代官と越後谷が、お主も悪よのう、ってやってそうな座敷の現代高層ビル版の個室だった。


「し、し失礼します、北村です」


そうして、俺たちは魔王のいる館へ挑むのであった。

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