第4話 異世界での変化
仕事終わりに上司の部屋に来てくれとのお達しだ、どんな難題を吹っ掛けられるんだろう。正直メンドイ。その話を聞く時間に、時給は出るのだろうか。
その日の仕事終わり、クリーンな作業場を抜けて更衣室で作業着を着替えてから、別棟にある殺風景なオフィスの廊下をあるき上司の部屋へ向かう。
「失礼します」
ドアをノックし、部屋へ入ると殺風景な室内の奥に大きな机が有る。その手前にはよくドラマで見かけるような低いテーブルがあり、上司と社員数人がソファーに腰かけていた。これは一言でいうと校長室だな。
「ああ、北村君ですね、そこに座ってください」
上司に当たる工場長の堀川さんだ。
工場では私語厳禁なので、働いてる他の人の事はほとんど知らない。
仲のいい数人は昼休みに食堂で雑談してる様子はあるが、基本はみんなソロ活動みたいな職場だ。
そんな中、俺でも見た事のある生き字引と呼ばれる50代のパートのおばちゃんと、30代後半くらいな生真面目が人生といった印象のオッサンに、有能感が漂うキリッっとした同じ年くらいの女性。
そこに、殆どやる気はないが、休まず、仕事はきっちりこなしていた俺と、上司を含め、5人が部屋の中に揃った。
何の話だろう……。
俺が来るまでは雑談していたであろう状態の中、俺が座ると上司は自らテーブルの上に茶を持ってきてくれて会話を切り出した。
「揃ったようなので始めますが、皆さん仕事は楽しいですか?」
そんなわけあるかい!
睡魔との戦いの日々じゃ!
といいたいが言えるわけない。
「……はい、まぁ」
そう俺が言うと、周りの同僚と思われる3人もお互い目配せをしつつ頷いていた。
「まぁ、そうですよね、楽しくないとは言えないですよね」
それが分かってるなら聞くな!
「仕事終わりにご足労させてすみません、今日は今後の事をお伺いしたくて来ていただきました」
俺を含めた4人はきょとんとしていた。
「先週あたりから始まったベーシックインカムの制度で、数人が辞職を申し出てきたのですが、作業員がこれ以上減っては業務に支障をきたすため、作業態度が優秀なみなさんにお願いがあって集まってもらいました」
たぶん優秀じゃないから呼ばれたんだろう。
作業場にはざっと見15人くらいだったはず、殆どは検品作業をしていたと思う。
その中で数人が辞めたとなると10人は残ってるはずだ、そのうちの4人が呼ばれた訳で、そんな中俺たちが辞めると言い出せばさらに連鎖反応で人が辞めかねない。そうなれば会社はヤバいということなのだろう。
マジか……俺も辞めるか迷っていたが先を越されたか!?
「はぁ、それでどんな……」
キリっと女子が声をかけた。
「はい、言うまでもなく仕事を続けていただきたいという事と、今後の作業量や給料についてのご相談です」
「はい……」
どうやらクビみたいな、悲しいお知らせではないようだ。
むしろ会社にとってはつらそうな深刻な状況が伝わってくる。
「会社からの提案では、可能であれば正社員になっていただき、フルタイムの出勤をお願いしたいことと、その見返りで給料を10%アップのご提案です。検討していただけないでしょうか?」
てことは他の3人も、週3~5日出勤だったわけで呼ばれたって事か。
呼ばれてない他の奴らは、元々週6日で俺たちより給料が10%くらい高かかったか、もしくはそいつ等は辞めても問題ない奴らって事になる。
俺は週3日働き、週4日の自由時間を謳歌していた訳だが、フルタイムというと週6出勤になる。
それで給料は10%UPてことだから……月いくらになるんだ?
上司の会話を聞きながら、左脳で瞬時に計算する。
俺は頭はいいのだ!
俺の収入は週3日、月12日出勤して残業入れて平均9時間労働としてだいたい月額17万円台だから月108時間で時給1600円ちょっと。
労働基準法からしてみればギリギリのラインなんだが悪くない職場だと思う。
それが週6日勤務の月22日出勤になると198時間で、残業入れれば200時間てところだろう。
それで時給10%UPなら1760円。200時間なら35万2千円になり、色々引かれても手取り30万弱ということになり、なおかつベーシックインカムで12万が入るので、24歳で手取り42万になる。
なんてことだ、心が揺らぐではないか!
「という事でご検討いただきたいのですが、今すぐ決めてほしい訳では無いので、今月末までにご返答を頂きたいです」
上司がそういうと、3人も悩んでいるようだった。
そうしていると、真面目そうなオッサンが質問をした。
「あの……今までのペースで働いた場合はどうなるでしょう」
「フルタイムではない場合給料はそのままという事になりますが、それでは辞めたいというのであれば会社側も少し検討させていただきます」
それはゴネたら給料上がるって言ってるようなもんでは……?
なので、今ゴネる気配を匂わせたほうがいいかもしれないと思っていたが、生き字引のおばちゃんが代弁してくれた。
「私もやめようか迷ってたところなんですが、もう少し考えたいと思います」
「神代さんもそうでしたか、ご検討よろしくお願いします」
そんな話をして4人は部屋を出た。歩きながら顔を見合わせておばちゃんがいう
「どうしましょうかねー」
「私は……お給料上がってほしいけど仕事増やしたくないなぁ」
キリっと女子はそういった。
まったく同意見だ。金は欲しいが働きたくはない。今の日本人はほとんどがそう思うだろう。それを引き留めようとする会社の苦労は想像にたやすい。
「まぁ、時間はあるし、私も少し考えてみることにします」
オッサンがそう言うと。
「「「ではまた作業場で、お疲れさまでした」」」
と言い合い全員が帰路についた。
恐らく今、日本中でこういう事が起こっているんだろうな。
労働者を確保する難しさ、物が売れなくなり給料を上げにくい社会で、さらに円安が加速するという、そんなインフレとも言えないスタグフレーションの真っ只中に、ベーシックインカムという魔法を日本中に反映させた政府の判断。
この日本は、本当に異世界のように変化しはじめたのだった。
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