第3話 五百年後の魔術界

 魔導学園アイディール。

 水の覇王ナーシャが紅蓮歴二百年に開いた、次世代の魔術の担い手を生み出す育成機関である。

 一時は世界の七割をソトガミに奪われ疲弊したものの、紅蓮歴二百年の時点では既に、世界は元の文明の輝きを取り戻していた。

 穏やかになった世界で、水の覇王は考えた。

 

 ──平和になった世界に、今なお封印術の中で眠る彼に、私は何をしてあげられるのだろうか。転生の儀の理論確立には、まだ長い時間がかかる。他にも何か……。


 結論から言えば、彼女は「彼が残してくれたこの世界をよりよくしていこう。いつか彼が転生したその日に、戻ってきてよかったと思える世界を作ろう」と考えたのだ。

 そのためにはまず、武ではなく知の力で世界を支えようと思い至った。

 平和な時代に武の力は不要であるし、幸い知の力の方は、水の覇王であるナーシャの得意とする分野であった。

 水の覇王は代々、他の覇王に比べて肉体的な強さでは劣る傾向にあるが、その分、魔力量とそれを扱う術式の下積みは他の追随を許さないほどであった。

 それは当然ながら、水の覇王配下の者たちも同様である。


 よって魔導学園アイディールは水の覇王率いる世界屈指の魔導学の専門家たちによって開かれ、始まりから今に至るまで、ありとあらゆる種族の者たちに魔道の導きを与えてきたのである。


 ***


「なるほどな、ここが魔導学園アイディール。綺麗な建物に中庭付きなんて、初見だと城かと思ったぜ」


 ナーシャに連れて来られた学園を眺めつつ、俺は思わずそう呟いていた。

 水の覇王が統治するウォスタリア国、その首都シーズ。

 城から出て、お忍びの衣装……気配隠しのローブを纏ったナーシャ直々に現代のシーズを案内してもらった俺は、最後にこの学園にやって来ていた。

 隙間なく敷き詰められた石畳からは職人の技量の高さが伺え、さらに大きな穴の一つすらない。

 学び舎の建物はウォスタリア国らしくやはり白が基調とされ、今立っている中庭の緑と相まって美しい景観を形作っている。

 一見してこの景色そのものが美術のようにさえ感じられる。

 爆ぜる炎と弾ける血、ソトガミの放つ瘴気の中で暮らしていた俺には、見るもの全てが新鮮に映った。


「少し驚きましたか? それも仕方ないでしょうね、五百年前の戦乱の時代には見られなかった光景ですから。でもこの時代だと、都市部にある学園はどこもこんな感じですよ? 学生たちの暮らしやすさにも配慮していますから」


「どこもこんな感じ……そうか。シーズの街中もそうだったが、魔術で壊された建物もソトガミに抉られた地面もない。どこも人の手が行き届いていて、しっかりと形を保っている。これが今の時代、平和ってやつなんだな」


「ええ。あなたが守った世界が今に至っているんです」


 ナーシャにそう言われて、思わず「そうか」笑いがこぼれた。


「あの世から見守っている連中も、これだけ世界が穏やかになれば満足だろうよ。奴らも必死に生きて、戦った。その甲斐があったってもんだ。……俺も含めてな」


 そうして周囲を見回していると、不意に気付きがあった。


「そういえばなんだが、ここに通う生徒たちは? 姿が見えないがこれだけ広大な敷地だ、百人やそこいらじゃないだろ?」


「勿論ですよ。基本的には三学年あって、一学年あたり六クラスで一クラスにつき最大三十人です。およそ五百名以上の生徒が在籍しています。その上の魔術院の生徒まで入れればもっといますが、そんなところです」


「そんなに多くの若人がここに集うのか、素晴らしい限りだな」


 五百年前、若人がそんなに集まる場所と言えばもう戦場以外の何ものでもない。

 戦える者は皆、ソトガミとの戦いに駆り出されていた。

 どの国もそんな状態だったから、限界の体制が続いていたのは間違いない。


「後、今は週末の休日ですから。生徒たちは帰省しているか寮にいるか……学内にはほとんどいないのですよ」


「そっか、それで感知できる魔力数が学園内に全然なのか。道理でな」


 ふむふむと頷いていると、ナーシャが俺の手を掴んだ。

 

「グレン、せっかくだから校内も案内しますよ?」


「学園長様直々にご案内とは、好待遇だな」


「ふふっ、ではご案内いたしますね、炎の覇王様」


 互いに茶化した物言いをして、俺は校内を回っていった。

 五百年前に比べて建築材も変化したのだろうか。

 木材より頑丈なコンクリなる物質が主流らしい。

 校舎は四階建てになっており、下から一年、二年、三年で最上階が職員用なのだとか。

 

「ここが私の部屋、学園長室です」


 ナーシャに扉を開かれる前、正直部屋の中は魔道具と研究資料が散乱しているものと思っていた。

 五百年前のナーシャの部屋は、実際そんな感じだったと記憶しているからだ。

 勉強熱心なのはいいが片付けろと、覇王になる前、ウォスタリア国にいた頃は何度も片付けてやったのをよく覚えている。

 ……しかし学園長室の中は、本当にナーシャの部屋かと疑いたくなるほどに……。


「ちゃんと整理整頓、できるようになったんだな」


「馬鹿にしているんですか?」


 ナーシャが少しむくれたので「冗談だ」と誤魔化した。

 それからしばし部屋の中を眺めてみる。

 部屋の左右の棚に詰められているのは魔導書、それも魔力の質からして「本物」だろう。

 さらに飾ってある装飾品には各所に魔法陣が設置されているようで、微弱ながら魔力が漏れている。

 侵入者警戒用のトラップだろうか。

 

「罠から魔力が漏れているぞ。敵襲があった時に筒抜けだ、新しく張り替えろ」


「この時代に敵襲なんてないし、トラップから漏れる魔力を感知するグレンの魔力感知能力が異常なんですっ! ……戦時中、敵の奇襲を一切受けなかったと伝えられていますが、あなたの気配を探る能力は覇王随一ですね」


「俺は各国を転々としていた生粋の旅人だったからな。気配に疎いんじゃあ、野営の時にソトガミに食われてそれで終いだ」


 ……と、ナーシャに学内の他の気配についてあれこれ語ってみるのも面白いかもな、と諸々を探り始めたところ。


「なあ、ナーシャ。この学園じゃあ外側の魔術も扱ってんのか? 学園内にそれっぽい気配がそこそこあるが」


 外側の魔術。

 それは魔術の六属性のいずれにも属さない故に「外側」と呼ばれた魔術の総称だ。

 属性系統の魔術は炎でも水でもそれにちなんだ効力が術式……要は魔法陣を通して世界に現れてくるものだが、外側の魔術は属性なしの、強いて言うならば「効力が直接現れてくる」類の力だ。

 魔術師ごとの嗜好の話かつ、「外側」は五百年前には珍しい魔術ではあったが、個人の持つ属性適正に関係なく誰にでも扱える中立的なこの手の魔術は俺の好むところだった。

 主に手数を増やすという意味で、だが。


 ナーシャは俺の質問に、少しだけ困ったような表情になった。


「ええ。この学園でも外側の魔術は扱っていますよ? ただ……」


「ただ?」


「……五百年前と違って、外側の魔術……今でいうところの中立魔術ニュートラルマジックが現代では主流になっています」


「マジで?」


「マジです。逆に属性魔術の使い手は年々減少する一方で……」


 外側の魔術……いや、中立魔術は五百年前には使い手があまりいなかった。

 というのも中立魔術はあくまで普遍的に扱える手数稼ぎ、という印象で、結局勝敗を決するのは研鑽し極めた己の魂、即ち魔術であったためだ。

 究極の一に対して有象無象の万で挑もうとも太刀打ちできぬ、それこそが魔術であるとされてきた。

 だが……。


「主流が変わったのなら、真に時代が変わったんだな。俺たちの積み上げてきたセオリーを塗り替える、真に新しい世界になってくれたのかもな……」


 そう思えば、どこか嬉しさがあり、胸が躍る気すらした。

 未知と未来を知りたいという欲望は人の性だ。


「ナーシャ。生徒が中立魔術を扱うところを少し見ていっても構わないか?」


「え、ええ。それは勿論。休日中にも魔術で鍛錬をしている生徒となれば、それなりの努力家でしょうからグレンを失望させることもないでしょうし。でも、その……」


「何だ?」


「……いいえ、見ていただいた方が早いでしょう」


 珍しく濁した言い方をするナーシャ。

 何かしら訳ありに見えるが……まあいい。

 気になるものは気になる、となれば今すぐに行く他ない。

「思い立ったが吉日」と炎天ノ国でもよく言ったものだ。


「気配は向こうだな。複数人でやり合っている」


「や、やり合っているとは?」


 向こうの魔術行使が終わらぬうちにと、小走りで移動しつつ聞いてくるナーシャ。

 

「そりゃ当然、戦いに決まっているだろ。この魔力の気配、間違いなく臨戦態勢だ」


「臨戦……? ということはまさか、生徒同士で決闘を!? いけません、そんな申請は貰っていませんよ!?」


「……魔術師同士の決闘に許可が必要なのか?」


「当然です。今時、生徒に不要な怪我人を出すのはご法度です!」


「難儀な時代になったもんだな」


 平和になったとはいえ、ある程度の戦いを知らない魔術師の「伸び」などたかが知れているだろうに。

 大成するうえで必要な圧力、経験は個人個人の自由な裁量で積ませるべきとも思うが……この学び舎の方針に部外者の俺が口出ししても仕方あるまい。


「ここだな」


 魔力の気配を辿って着いた先は、巨大なドーム状の建築物だった。

 中に入り込めば申し訳程度の魔力遮断結界が低級の魔法石によって構築されていた。

 八方に配置してやっと最低限の効力になるそれは、感知したところ四方にしか置かれていない。

 ……杜撰もいいところだが、まだ生徒であるという点によって目をつむってやろう。

 五百年前の戦場でこんなことをすれば、わざと敵を招き入れるつもりかと、謀反を疑われても仕方がないレベルだが。

 ドームの中に入ると、そこでは四人の生徒が一人の生徒に対して魔術を放っているところだった。

 四人の生徒は中立魔術の使い手のようで、物質を魔力で動かしたり弾いたりする《衝撃波グラビ》の魔術を扱っている。

 一方のやられている一人の方は光の属性魔術の使い手のようで《閃光弾フラッシュ》を放つが……弾速も最低限、あれでは避けてくれと言っているようなものだ。

 寧ろわざと手加減をしているのかとさえ思えてくる。

 

「あの子たち! 先日も校則違反を起こして厳重注意になった子たちじゃないですか……‼ しかも結界まで張って、その中で多対一だなんて……‼ こんな無法、この学園の長として許せません‼」


 出ていこうとするナーシャの腕を、俺は掴んだ。


「待てよ学園長。お前は今、お忍びで城の外に出ているから気配隠しのローブを纏っているだろ。そんななりで出て行っても怪しまれるだけだ。それに……この時代の魔術の使い手に問いたいこともある。リンチが許せないなら俺に行かせてくれや」


「あっ、ちょっと……!」


 ナーシャに止められる前に、俺はドーム状の建物……アリーナの入り口から跳躍し、光の属性魔術を扱った生徒の前に着地した。

 そのまま《衝撃波》の魔術でそいつが吹っ飛ばされる前に、生徒を抱えて再度跳躍し、術式範囲から逃れた。


「なっ、なんだお前は! どっから入ってきやがった!」


「構築した気配遮断の結界は完全だったはずなのに……!?」


「杜撰な仕事でよく言う。しばらく黙れ」


 騒ぎ立てる生徒四人を睨めば、そいつらは顔を青くしてしまった。

 ……しまった、学び舎の生徒に向ける圧ではなかった。

 以後気を付けるとしよう。


 それから俺は、抱えていた光属性魔術を扱った生徒をじっくりと眺める。

 そいつは小柄な少女で、金髪碧眼のよく整った顔立ちでこちらを見つめ返してくる。

 光属性魔術は昔から、女の方が適正はある。

 逆に闇の方は男の方が適正はあったが、ふむ、こうして近寄れば確かにこの少女にはそれなりに光の魔術適正があると感じ取れる。


「あの! 助けていただいてありが……」


「お前、どうして光の真髄を扱わない? あの程度の光魔術では、中立魔術とさして変わらんだろ」


「……? あの、真髄とは……?」


 ん?

 魔術属性の真髄、つまりは属性ごとの特性についてこの学園では学ばせないのか? 

 どういうつもりだとナーシャに目配せすれば、ナーシャは弱弱しく首を横に振った。

 そこで思い出すのは、先ほどのナーシャの言葉、そしてどこか訳ありげだった様子。


 ──逆に属性魔術の使い手は年々減少する一方で……。


 ──いいえ、見ていただいた方が早いでしょう。


 そこまで思い出して、俺は勘づいてしまった。

 ……気が付きたくなかったと、そう気が付いてから感じてしまった。


 要はこの時代、戦もなくなり、決闘さえも許可制のこの時代においては。

 己の死の淵にて開眼する魔術の真髄、即ち魔術特性を扱えるほどの術者がほぼ存在しないのだろう。

 だから属性魔術の力や価値が、誰にでも扱える中立魔術並みかそれ以下になってしまっているのだ。

 先ほどの情けない光魔術、あれはこの女子生徒が手加減、もしくは己の鍛錬のために威力を絞っているものとさえ思っていたが……違った。

 あの程度しか扱えないの間違いだった。


 そして中立魔術についても、使い手が属性魔術を上回ったと聞いた時は、どこか胸が躍る気分だったのに。

 時代が移り変わり、誰にでも扱える魔術が遂に属性魔術を上回ったのだと、そういった手法が長き研鑽によって開発されたのだと俺は感動すら先ほどまで覚えていたのに。

 ……なんて事はない。要は属性魔術の弱体化に伴い、相対的に中立魔術の価値が上がっただけの話。


「おい、そこのあんた! いつまでも黙ってないでその女を寄越せ!」


「そうだぜ。そいつは俺たちの一族の恥さらしだ。魔力量が少なく、中立魔術の連発もできない。なのに来月のクラス対抗戦に出ようなんて言いだした」


「あたしたちの一族……クライナール家の名を貶められちゃ困るのよ」


「分かったらさっさとそいつを渡せ。家の問題に割り込まないでいただきたい」


「……なるほど、それで制裁を加えているという寸法か」


 自ら名を語るような、誇りを持った貴族家には昔からよくある話だ、身内に過度な制裁を加えるというのは。

 正直、確かによその家の事情に首を突っ込むのはよろしくない。

 よろしくないのだが……気に食わん。


「呆れた奴らだな」


「何?」


「魔力量さえあれば誰でもバカスカ放てる中立魔術を使っている程度で粋がるなんぞ、情けない話だって言ってんだ。威力は下の下とはいえ、まだ光魔術を使えるこいつの方がいい腕前をしているぞ」


「ほざくなよ部外者が……!」


「やっちゃいましょ! 結界がある以上、この騒ぎは外の人には分からないわ!!」


 生徒たちがこちらへ向かい《衝撃波》を放ってくる。

 手数が頼みの中立魔術なのに、まさかの同じ技一辺倒。

 せめて《幻影イリュージ》で惑わすなり《強化チャージング》で《衝撃波》の威力を底上げするとかあるだろうに。

 

「クライナール……どこの新興貴族か知らんが」


「馬鹿にするな馬の骨‼ こちとら二百年の歴史を……!」


「浅い。そんなお前らに魔導の真髄、そのほんの一端を見せてやる」


 言いつつ、俺は魔力を開放する。

 しかし術式は起動しない。

 この程度の奴らには不要、あくまで「炎」の真髄のみを見せてやる。

 そうして俺が紅蓮の魔力を薄く纏った次の瞬間……《衝撃波》の魔術が消え去った。


「……は?」


 生徒たちがぽかんと口を開いている。

 

「どうした? たかだか魔力を少し体外に放出しただけだぞ」


「なっ……嘘だ! さては魔道具か? 魔術無効系を仕込むとは狡い奴だ‼」


「多対一で制裁を加える三流が吠えるなよ」


 ……なるほど、この反応では奴らも属性魔術の真髄、特性については無知な訳だ。

 大ソトガミを封印した封印術みたく、水属性には「停滞」が、地属性には「持続」の特性があるように。

 炎属性には「燃焼」の特性が宿る。

 要は概念的なもので、炎が酸素と有機物を食らって対象を灰にしてしまうように。

 炎の魔術属性が魔力や物質を食らって、術式そのものを燃やすように消し去ってしまうのだ。

 だからこそ奴らの魔術が軒並み消失したという顛末だ。


「しかし薄く魔力を出したのみで消える術式とは。家の名前を出すならもう少しまともな魔術師になるんだな」


「貴様、言わせておけば……!」


 と、熱くなった生徒がこちらに食ってかかろうとした時、ナーシャがお忍び用の気配隠しのローブを脱ぎ捨て「そこまでです!」と大急ぎで割って入ってきた。

 様子からして「これ以上俺に食ってかかれば、生徒の方が危ない」と判断したのだろう。

 ナーシャの生徒である以上、しっかりと手加減はするつもりだったが……まあいい。


「一部始終は見せてもらいました。学園内での無断決闘は重大な校則違反です。全員、直ちに私の部屋に来るように」


「くっ……‼」


 生徒の一人が反抗の意思を見せたのか魔力を高めるが、それをナーシャが冷たく一瞥する。


「仮にも私は水の覇王。敵うとでも?」


 その一言で、生徒は全員押し黙った。

 そうしてその場で決闘を起こしていた生徒計五名は、ナーシャに連れて行かれてしまった。


「仮にも所属組織の長に食ってかかるとは。五百年前ならその場で斬り捨てられても文句は言えんがな」


 平和ボケも行き過ぎればこうなるのかと、一周回って俺はどこか微笑ましさすら覚えていた。

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