第2話 転生の儀
……暗い。
真っ暗だ、何も見えない。
何も聞こえない。
けれど俺には、それが心地よかった。
今までずっと戦い続けてきた。
故郷がソトガミに滅ぼされ、孤児となり、各国を転々としながら生きる日々はまさに戦いそのものだった。
飢えに苦しんで腐りかけの食い物を得るために、ソトガミと戦うことすらあった。
何日もソトガミに追われて、草原どころか固い地面にすら寝ころべない日々もあった。
覇王になったら覇王になったで、終わりもなく迫りくるソトガミ討伐のループ。
……そんな日々が終わりを告げたのだから、この暗さも静けさも、心地いいのだ。
それにこの心地よさに浸る資格くらいはあるだろう。
だって俺はあの化け物、大ソトガミの封印に成功したんだから……ん?
──待て、おかしいぞ。
あらゆるものの「停滞」が「持続」する封印術の中で、何で俺は思考できる?
まさか封印が破られつつあるのか?
馬鹿な、六覇王の力を束ねた至上最強の術式だぞ……!
「……っ!」
思わずガバリと跳ね起きた。
嫌な汗が全身を伝っている。
背に氷塊が触れている気分だ。
「……こうやって俺が封印の外にいて、体を動かせること自体が異常だよな」
見回せば、俺はどこかの部屋のベッドの上にいた。
それも戦場の際にあるような小汚いシーツではなく、清潔で真っ白なものを使わせてもらっている。
窓から刺す光は明るく、太陽が眩しい。
ソトガミ共が吐き出す紫の重たい瘴気のせいで、俺が覇王になった時点では太陽は地表から拝めるものではなかった。
生きている間、二度と地表から陽光など見られはしないと思っていたものだが。
「……ってなると、ここは天国か……?」
「間違いなく現世ですよ」
「……!」
聞き覚えのある声。
優しく、鈴の音のような。
思わず振り向けば、そこにはプラチナのような銀髪を腰まで伸ばした、ハイエルフの女がいた。
純白を基調とし、各所に空色の水飛沫の意匠が施された衣装は、代々水の覇王が統治するウォスタリア国の伝統的な衣服だ。
また、こちらを見つめる女の碧眼には、慈愛の色が見えた。
「ナーシャ、なのか?」
水の覇王、白夜の魔女ナーシャ・ダイヤ本人で間違いないと、俺の魂が告げている。
個人ごとに異なる魔力の質も一緒、覇王である俺が今更魔力感知を誤るはずもない。
……しかし彼女の顔立ちはどこか大人びていた。
俺が知っているナーシャは少女というか、可愛らしい女の子、といった雰囲気だった。
けれど目の前のナーシャはどちらかと言えば、綺麗な大人の女、と表して相違ない。
ハイエルフは人間の俺より成長がずっと遅く、その分長寿な種族だ。
だからこそ、俺が生きている間にナーシャが大人になることはないと思っていたが……。
「こりゃあ一体、どういう……うおっ!?」
いきなり飛びついてきたナーシャ。
俺はベッドに倒れ込まないよう彼女を抱きしめ返した。
するとナーシャは嗚咽交じりに呟いた。
「グレン……! 本当にグレンなんですね……!! よく戻ってきてくれました、魂だけでも……よかった……!!」
「……? 魂だけだと?」
なんだ、どういう話だ。
こうしてナーシャを抱きしめているのに、俺が霊体、幽鬼であるとでも言うのか。
混乱の中、ナーシャが渡してきた手鏡で自分の顔を見る。
……するとそこには、十五、十六歳くらいの自分の姿が映っていた。
「……は?」
「驚いているようですね。全く、大変でしたよ。あなたの魂を封印術の結界から取り出し、新たな肉体になじませるのは」
「新たな肉体? 魂を……ってなると転生の儀をやったのか? あれ、机上の空論で終わってたよな」
「ええ、五百年前はそうです。しかし私が四百と四十九年かけて編み出したのです! 全てはあなたに、もう一度会うために……」
「五百年……あれからそんなに経過したのか」
ハイエルフのナーシャが大人になるほどの月日だ、何十年どころではないと薄々勘づいてはいた。
まさか五百年とは思いもしなかったが……。
それに転生の儀は五百年前、あらゆる大魔導が執り行おうとして失敗続きだった儀式だ。
そもそも魂を別の肉体に移し替えて蘇生するなんて裏技、そう簡単に上手くいく訳もない。
魔力は魂と肉体を繋ぐ役割も持っているが、新たな肉体に別の魂を入れようとすれば、肉体側と魂側の魔力が反発してしまうのだ。
そうなったら脆い魂はそれだけで霧散し、消失してしまう。
……だが、ナーシャは成し遂げたのだ。
かつて誰もが成しえなかった大魔導術式、転生の儀を。
長寿なハイエルフと言えど、決して短くない時間を消費して俺のために。
まずそのことについて、礼を言わなければならなかった。
「ナーシャ、ありがとうな。お前が頑張ってくれたお陰で、俺はこうして復活できたらしい」
「ええ、本当に頑張りましたよ……何度くじけそうになったか分かりません。この恩は今後一生かけて返してもらいますから」
「四百と四十九年分の恩は、人間である俺の寿命で返すのは難しそうだな」
するとナーシャは、あっけらかんとこう言った。
「いえ、大丈夫ですよ? だって現状のグレンの肉体はハイエルフ、古竜、人間の三種族の情報で構成されていますから。寿命も相当に伸びています」
「そんな高度な掛け合わせまで……流石は魔術研究では随一とされた水の覇王だな」
俺は好かない術式だったが、複数種の魔導生物を合成するキメラでさえ、五百年前は人間のように精緻な形を保ったままの生成は難しかった。
しかも人型種族と竜の掛け合わせはほぼ不可能と言われていたが……大人になったナーシャの技量は相当なものらしかった。
「ちなみに他の覇王は? 世界はどうなった?」
「それは順を追って説明します。ちょっとまとめるために紙とペンも持ってきますね……」
ナーシャはそう言い、紙とペンを手にしてから説明を始めた。
「まずグレンが大ソトガミを倒した年が旧暦最後の年。それから今に至るまでは新暦、紅蓮歴となっています」
「何、紅蓮歴だと?」
思わず聞き返せば、ナーシャは屈託のない笑顔で「はい」と答えた。
「他の覇王たちと相談して決めました。まず世界を救った英雄の名を讃えねばと思いまして、グレンの故郷である炎天ノ国の文字とあなたの名前を掛け合わせて紅蓮歴となりました。明るく赤々とした時代が続くようにと、そんな願いも込められています」
「……」
思わず顔を覆いたくなった……ナーシャの手前、覆いはしないが。
覇王や武人の中には、歴史に名を遺すことこそ誉れと考える奴も多い。
ああ、昔は俺もそう思っていた。
そんで俺が死んだ後なら、あの世で「俺の名前が紅蓮歴って形で残りやがった!」と戦友たちと酒の肴にでもできただろう。
だが……だが、俺は今、現に生きている。
つまり生きている間ずっとことあるごとに「紅蓮歴五百年!」とか聞かされなきゃいけない訳だ。
……流石にちょっとこっぱずかしい気がしてきた。
「あ、ちなみに世界各所にグレン像が建てられ始めたのも紅蓮歴元年からですね。光の覇王が推し進めた政策の一つです」
「あいつ、いつも真顔だったくせにやることが本当に読めねぇな」
物静かな女騎士だったあいつは何を思って俺の像を全世界に建て始めたのか。
俺自身の像、見たいような見たくないような、複雑な気分だ。
また、他の覇王共も俺の偉業を後世に伝えるべくグレン貨幣なる万国共通の通貨を作ったとか、歴史書も俺の記述は全覇王がチェックしてイメージダウンになる内容はことごとく消し去ったとか……って。
「これに関しては歴史の改ざんじゃねーか」
「いいえ、変えたのではなく見えにくくなっただけです。なので厳密には改ざんとは違いますし、虚偽は一切書かせていませんよ? 正確には、良いところを押し出しただけです」
「物は言いようって言葉、知ってるか?」
「存じませんね」
ナーシャがちょっと恐ろしく見えてきた。
昔はあんなに可愛かったのに、女ってのは成長すると美しくなりつつも恐ろしい一面まで育つらしい。
「……分かった、俺についての話は分かった。ついでに話の流れでこの五百年、大きな戦乱もなく平和続きなのも理解した。ちなみに他の覇王たちはまだ元気かよ?」
「ええ。皆、グレン以外は元から長寿な種族でしたから。地の覇王が少し老けたくらいで、全員現役です」
「闇の覇王に至っては元から骸骨だったしな。風の覇王もナーシャ並みに長寿な種族だし、光の覇王は天使だから寿命もないか」
ソトガミが現れる前の時代は、よく覇王同士で戦が起こり、何度か覇王の代替わりも起こっていたという。
だから俺は炎の覇王の三代目なのだ。
……もしかすれば五百年も全覇王が変わらなかった時代というのは、この紅蓮歴が初かもしれなかった。
「さて。一通りの説明が済んだところで……グレン。これからどうしますか? あなたの故郷は約束通りに再興しましたのでそちらに戻っても良いですし、このままずっとここ、私の居城に住み着いたって問題ありません。と言うより、転生したてですし、肉体に不具合が出ても困るのでしばらくここにいてもらった方が嬉しいのですが……」
ナーシャはそう言いつつ、どこか不安げに俺の服の裾を掴んだ。
再興したらしい炎天ノ国には、いつか行きたいと思う。
でも今は平和な時代、他国の侵攻やらソトガミの奇襲やらもない。
覇王による武の守りがなくとも話を聞く限りでは何も問題ないだろう。
寧ろ今更「俺が炎の覇王だ」と出て行っても、今国を上手く回している連中も迷惑に思うのではなかろうか。
……何より、俺を転生させるために長年心血を注いでくれたナーシャの元をさっさと去ってしまうのも、不義理な話だ。
「決めた。俺はしばらくここにいる。ナーシャのくれたこの体、寿命は長いんだろう? なら生き急ぐ必要もない」
「そうですか。それはよかった」
ナーシャは安堵した様子で吐息を漏らした。
そんなにどこかへ行ってほしくないのなら、最初からそう言えばいいものを。
もしくは俺の自由を妨げまいと、気を遣ってくれたのかもしれなかった。
「とはいえずっと城の中に籠っているのも暇で仕方ない。どこかへ出かけられないか?」
「そうですね。それなら今から街を案内しつつ……私が学園長を務める学園にも顔を出してみませんか?」
「学園? それに学園の長だと?」
水の覇王が作り出した学園、興味がないと言えば嘘になる。
それに……前世では立場上誰にも言えなかったが、俺にも「一度でいいから学び舎に行ってみたい」というささやかな願望はあった。
学び舎に安心して通えるというのは、世が安定していて、金と時間に余裕がある者の特権であるからだ。
世が安定しておらず、覇王になるまで金もなく、かといって覇王になってからはソトガミの討伐で時間がなかった俺には学園というものは遠い世界の存在だった。
「……よし。なら街を案内した後、学園に連れて行ってくれよ。期待しているぞ」
「ええ、私の学園は当然素敵なところですから。期待していてくださいね」
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