第3章 山が動く(2)
2
聖竜暦1260年10の月9の日――
ゲインズカーリ―ウィアトリクセン国境付近山あいの小屋。
アクエリアスは小屋の窓から色づき始めた木々を見やっていた。
「ケラヴナシス。ウォルフレイムはどこにいっちゃんだろうね――」
赤炎竜ウォルフレイムは11年前に姿を消したきり、全く居所が不明のままだ。
「さあね、彼女のことだから消滅したりはしてないでしょうけど、ただ10年以上も補給をせずに存在するには雌伏するしかないから、どこかで眠っているのでしょう。もしくは人型で過ごしているか――」
「ああ、確かに人型でいれば通常の食事で充分生きながらえられるから、そうかもしれないね。でも、その間素粒子力は低下するから、竜としての覚醒には相当の時間がかかるけどね」
聖竜は素粒子の顕現である。その戦闘力はいわゆる「神」たる存在と言っても過言ではない。ただ、無から何かを生み出すようなそんな都合のいい能力は持ち合わせていない。
膨大な素粒子力を結集し、竜変化すれば空を駆け大地を焼き尽くすほどの力を発揮するが、それには相応の素粒子力が必要になる。その素粒子力を補うための晩餐なのだ。
事実、赤炎竜以外の3頭の聖竜、
聖竜の晩餐を行わねば、竜の姿を保つことができないのだ。
人型として人類の世界に溶け込むことはそれほど難しくはない。実際、人の形になった彼ら聖竜は普通の人類たちと区別などつかない。
いずれにしても、
「ところで――、東のグランアルマリアはどんな様子? あなたのところの女王と王は相変わらず小競り合いを続けているようだけど、何か情報は入ってるの?」
ケラヴナシスが恋人に質問する。
「僕の契約主はそういうところが面白いところだからね。
東の新しい国家体系を持つグランアルマリア民主国の登場は青氷竜も黒雷竜も予想の範囲を超えていた。
その結果、赤炎竜は姿を消した。彼女が姿を消している理由はいまだ不明だが、ヒューデラハイドの滅亡が引き金になっていることは間違いない。
グランアルマリアは民主主義という新しい国家の形を打ち出した。人民自らが選挙という方法で人民の中から代表を選び、合議制をもとに国家を運営するなど、これまでの専制君主制もしくは絶対王政からは飛躍しすぎていて理解が追い付かない。西の亜人族の国ウィアトリクセンですら共和国制であり、その実は首長制国家の共同体であり、今のところ方向性を共にして動いているにすぎず、それぞれの亜人族によってばらばらになる可能性をはらんでいる。たまたま人族に追いやられた結果、共同して戦力を保持したに過ぎないのだ。
グランアルマリアはこれまでの人族の好戦性を一つの方向へ導き、新しい国家体系を生み出した。そしてそれ以上の内戦は無意味であるという理念で国家の人民を統一意識へと導いた。その後内政に重点を置き、すでに食料基盤を構築し終わっていると言える。今後は産業振興が活発化するだろう。おそらくその先には流通経済社会への転換が待っている。
さすがにそこまで行くにはもうしばらく時間が必要だろうが、すでに産業振興の段階に足を踏み入れていると言ってもよかった。
各農場地主たちによる農業協同組合がそのうち誕生するだろう。そうなれば商業組合も生まれる。
「ケラヴナシス、君の言う“人類発展加速計画”は、君の想定の範囲で進んでいるのかい?」
アクエリアスは核心をつく質問を恋人に問うた。
「いえ、私の想定をはるかに超える速度での発展を始めていると言っていいわね――」
ケラヴナシスはすこし考え込むような様子で質問に回答した。
「このまま――。このまま順調に進んでいってくれれば、私の目指すところにたどり着くまでそう時間はかからないだろうけど――」
そこまで言ったケラヴナシスはそこで言葉を途切れさせた。
「ケラヴナシス?」
アクエリアスはそんな彼女を少し気遣うように声をかける。
「そう簡単に事が運ぶんだったら、これまでにもっと早い段階で安寧が訪れていたはずだし、私たち聖竜が人類に干渉する必要なんてなかったと思うのよね――。まだ、そう易々と人類はその境地に至ることができるような気がしないのは事実なのよ」
「そうかい。君がそう言うんだからそうなのだろうさ。殊に、
ケラヴナシスはアクエリアスの表情を見て何を考えてるのか推察できなかった。
青氷竜アクエリアス。
純心の化身ともいわれるこの冷酷で非情な聖竜は、自然の成り行き、人類の行動心理を観察することにこそ興味を持っているところがある。基本的に自ら関与することをよしとはしない。その人間がどのように考え行動しどのような結果を生み出すのかをただただ観察している。
その彼が今、ロザリアという一人の女王を注視しているのだ。
(やはり、このまま、というわけにはいかないだろう――)
ケラヴナシスはそのように心内で確信していた。
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