第2章 歪んだ均衡(4)
4
聖竜歴1248年10の月10の日――――。
メイシュトリンド王国、商業都市キリルド東の草原地帯――――。
メイシュトリンド王国軍の先発隊3千と、ゲインズカーリ王国軍1万5千が町の東に流れるクルシュ川を挟んで、睨み合った状態で陣を張っている。
ゲインズカーリ軍の向こうに見えるキリルドの町からは白煙が立ち上っており、いまだ襲撃の後の傷跡を色濃く残している。
はやく、奪い返さなければ、犠牲者は増える一方だろう。
しかし、この戦力差では、おそらくひとたまりもないだろう。
この先発隊の指揮官、名はキリング・メルキュリオと言った。王国軍の中でも古参に入る彼は、永らく戦場で前線を生き抜いてきた老将でもある。
今自分の隊にできることは、これ以上ゲインズカーリ軍を進めさせないことと、敵軍の状況を逐一王都へ報告することぐらいだ。
8の日にキリルドに入った敵軍は、彼の軍の目前で、町を焼き、略奪を行った。眼前で繰り広げられた凄惨な出来事を、彼は黙って見守ることしかできなかった。あまりにも、多勢に無勢。この数で突入したところで、町を救うどころかこちらが全滅するだろう。敵軍の行軍を阻むものがなくなれば、むしろ、王都への進軍を早めるだけである。
キリング将軍はやむを得ず、キリルドを見捨て、クルシュ川に架かる大橋を落として、川に斥候を残し、軍を東のヌイハールまで後退させた。
これで少しは時間が稼げる。
敵軍の行動は迅速であった。1日休息をとったつぎの10の日には橋の再建工事に取り掛かっているとの知らせを受けた。
これを妨害するにも、数で劣るわが軍はつり出されて、さらに兵力差を広げられるのがオチである。ここは黙って静観するしかない。
キリング将軍は王都からの指令をいまかいまかと待ち詫びていた。
翌11の日、夕刻には橋はほぼ修復が完成されていた。さすがにこの手際は敵ながらあっぱれと言うほかない。当初4日はかかるだろうと踏んでいた橋の修復を、半分の二日でやり遂げたことになる。
未だ王都からの連絡はない。
キリング将軍は意を決し、明日行われるであろう敵軍の渡河を、玉砕覚悟で迎え撃ち、少しでも時間稼ぎするほかあるまいと夜中のうちに行軍し、川の東に陣を敷いた。
「我が身も、戦場の
キリングは、傍に控える、こちらも結構な年齢の老将にそう漏らした。
「将軍、長い間お
「ふ、お前は最後まで飲んだくれだったのう」
「何を申されます。将軍もやっておるではございませぬか。私は将軍にお付き合いしているだけでございますよ」
そう言って、キリングの右手の大盃を指さす。
「ふはは、これがあれば、百人力じゃ。死も怖くないというものよ」
キリングもさすがに可笑しくなって笑う。
「ですな。明日は人生最後の花を咲かせましょうぞ」
そう言って二人は盃を打ち鳴らした。
翌朝、12の日。
両軍は、クルシュ川に架かった新しい橋を挟んで対峙した。
戦端は、午前10時ごろ開かれた。
キリング将軍の合図で弓隊800の一斉斉射を橋向に仕掛けた。さすがに川を挟んでいるため、陣の方までは届かなかったが、それでも橋に先手をかける時間は充分に作れた。1000の軍勢を橋のこちら側の麓まで進め、出口をふさぐ。狭くなった橋の出口を押さえれば敵軍もこちらを包囲することは難しくなる。いかばかりか、時は稼げるはずだ。
今日の目的は、あくまでも時間稼ぎだ。勝利ではない。
先手を取られたゲインズカーリ軍であったが、そこは勇猛果敢で名の通った軍勢である。早速第一軍が一点突破を仕掛けてくる。
「さあ! わしの出番じゃあ!」
唸り声をあげて、橋に突入していく部隊があった。
老将ノールマン率いる部隊だった。
橋の中央付近で激しく激突。ノールマンはその大斧を縦横無尽に振りかざし、敵の第一軍を撃破した。
「ふははは! 今日の
ノールマンはいったん部隊を引かせ、橋の入り口付近まで後退した。
「よし! ノールマン、よくぞやってくれた! 皆のものぉぉ、今日は戦神レルガダの祝福はこちらにある! 次の突撃に備えよ!」
キリング将軍が先方隊の戦勝で勢いづけるがごとく、烈火の
その後敵軍は何度も突撃を繰り返した。第2軍、3軍、4軍……。
キリング将軍はその度に味方を鼓舞し、この突撃を粉砕してゆく。ただ、徐々に橋の上に両軍の死体の山が積もって行っている。
敵の作戦は明白、単純明快だ。
戦の素人でもわかる話だ。全ては「数」である。
突撃を迎え撃つたびにこちらの戦力が削がれてゆく。対して、敵方にはこちらの兵の5倍はいるのだ――いつかは、こちらの力が先に尽きる。
「へっ、将軍……。さすがにきつくなってきましたぜ……」
ノールマンがまわりに聞こえないように小さく囁いた。
「そうだな、次あたりが最後だな……。ノールマンよ。よくぞここまで付いてきてくれた」
そう言ったのち、くるりと
「この老将ぉ、キリング・マルキュリオぅ、この人生の最後の時にぃぃそなたらと共に戦えたことをぉぉぉ、心より――ほ、こ……、り……? ――――!!」
そこで口上は止まり、軍のさらに後方を凝視して、大きく目を見開いたまま硬直した――。
彼の目に映ったのは、砂塵を巻き上げながら迫りくる、漆黒の軍団だった――。
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