第2章 歪んだ均衡(3)

3

 聖竜歴1248年10の月11の日――――

緑土竜りょくどりゅうウルペトラ・保有国プレッジャーレダリメガルダ帝国首都レダリム国王執務室――。


「陛下、にわかに信じがたいことではありますが、北のゲインズカーリ王国軍が、東のヒューデラハイド王国同盟国であるメイシュトリンド王国へ侵攻を開始したとの報告が、たった今届きましてございます」

宰相コーウェル・マクダリオンはいささか驚きもあったのだが、これを表情には出さず、国王グレゴリオ・ヴァン・レダリメガルドに報告した。


「なんだと? 竜抑止力理論はどうなっている? それを無視したというのか?」

グレゴリオは椅子から転げ落ちんばかりに驚愕した。

「世界大戦がはじまるのか? 世界大戦ともなれば、聖竜を使わねば、我が国に勝ち目はないのだぞ……?」


 コーウェルは努めて冷静に、

「さようでございますなぁ。聖竜抜きの軍事力では、我が国は他国に遠く及びませぬ。もし仮に、世界大戦ともなれば、聖竜を使うしか方法はないでしょう。そうなれば、世界はおそらく復旧不可能なダメージを受け、人類はことごとく滅ぶでしょうな」


「お前っ!? そんなに落ち着いている場合かっ!? 世界が滅ぶかもしれんのだぞ――!」

グレゴリオは大声で怒りをあらわにした。狼狽を隠せずにいる小心者は時にこういう態度に出るものだ。


「陛下。ですが、おそらく早晩そうはならないでしょう。陛下はこの報を受けて、即刻北のゲインズカーリに聖竜を送られるでしょうか?」

コーウェルはこの王グレゴリオの扱いを心得ている。とくに何の考えもない小心者で愚かな王であるが、自尊心だけは人一倍高い。少し持ち上げてやれば、簡単になびく。

「賢明な陛下であれば、その様な世界滅亡に直結するような愚行はお考えにならぬはず――。おそらく、東のヒューデラハイドも後方支援まではしたとしても、聖竜を差し向けるということはしますまい。しばらくは、動向を伺いつつ、静観するのが妥当と思われます」


 グレゴリオは、当然のことだ、と言わんばかりに大きく頷いて見せた。

「わ、わしもそう思ってそのように命じるつもりであったわ! 皆までいうのは僭越口出ししすぎというものだぞ、コーウェル」 


「は、これは大変ご無礼をいたしました。どうか、お許しくださいませ」

ここで、火に油を注ぐコーウェルではない。しっかりと控えて、慇懃いんぎんな態度をとる。


「よい。お前も国を想ってのことだ。許す。しかし、急にきな臭くなってきたものだ。わしはもう戦争はこりごりなのじゃ」

そう言って、グレゴリオは右手を上げ、手の甲をこちらに向けて振った。


 コーウェルは執務室を辞し、表の廊下に出ると、チッと小さく舌打ちをする。

(この愚か者がこの国の王だという時点で、我が国に勝ち目はないのだ。なんとか方策を考えなければ、私の行く末も怪しいというものだ――)


 胸の中に渦巻くこらえているものが、さらに膨らんでいくのを感じていた。


――――――


 聖竜歴1248年10の月10の日――――

聖炎竜ウォルフレイム・『保有国プレッジャー』ヒューデラハイド王国国城謁見の間――――。


 コーウェルとグレゴリオの会話の一日前、メイシュトリンド王国から急使が到着したヒューデラハイド王国は騒然としていた。

 世界の『平和』が危機にさらされている。

 ゲインズカーリ王国の東征の報をうけたこの国の王城謁見の間はここに集まる者どもが互いに自身の持論を展開し、全くまとまらず、混沌としていた。


 ヒューデラハイド国王ルーク・ナイン・ジェラードはその様子を見て頭を抱えた。この国の高官の中には「壮士有能なもの」はいないのか。

 

(このままでは、我が国まであぶのうございます。即刻軍を送って、ゲインズカーリを追い払うべきでは――)

(いや、その様な行動は余計に逆効果です。この際、静観するのがよろしいかと――)

(それでは、同盟国を見捨てるようなものだ、他の同盟国も我が国のもとを去ってしまいかねない――)

(いっそ、炎竜を差し向けてはどうか、さすがに聖竜の前では相手も退くしかあるまい――)

(なんと浅はかな、それでは相手も聖竜をくりだすであろう。そうなれば、世界は滅ぶぞ?)


 堂々巡りでいっこうに答えは出なかった。


「う、うるさい! だまれ、この愚か者どもが! 我が高潔なる王国の高官たる誇りを少しは持たぬか! 騒々しく思い思いにしゃべりおって。答えも出せぬのなら黙っておれ!」

国王ルークは一喝した。

「誰か、はっきりと意見を申して見よ!」


「恐れながら、陛下。僭越せんえつながら申し上げまする」

そう言って進み出たのは、この場の状況を冷ややかに見ていた男だ。

 執政ネル・カインリヒであった。


「聖竜を差し向けるのは最悪の手であるかと思われます。この方法は世界滅亡への端緒となりますでしょう。それだけは絶対に避けなければなりませぬ。こうなっては、我が国ができることは一つしかございませぬ」

ネルはここで、王を見やり、続けてよいかという確認の間をとった。


「よい、申して見よ」

王が許可の意を伝える。


 ネルは軽く頷き後をつづけた。

「はい――。ただちに軍を編成し、メイシュトリンド王国国境付近まで進めるのです。ただし、ゆっくりで構いません。メイシュトリンドへ到着する必要はないのです。本軍はあくまでも時間をかけて進軍させましょう。そのうえで先遣隊に兵糧と武器を持たせてメイシュトリンドへ向かわせましょう。これで時間を稼ぎつつ、動向を見定めればよいかと思います」


「お、おう、それがよい」「私もそう思っていたのだ」「先に言われてしまったわ」などという共感の声がまわりの高官連中から聞こえてきたが、そんなもの、方便に過ぎない。皆、自分の責を恐れて、進言しなかっただけだ。


「ネル、良い案だ。そうするとしよう。そのほうに一任する」

ルークの決定が下された。


 こうしてヒューデラハイド王国は、形ばかりの援軍を構成し、国境へ向かわせることになった。


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