第9章 仮想現実

息抜きに話した内容の割には、やはり息抜きになってない面倒くさい話の前章でしたが、愛だの死だの話してると、どうしても重くなりがちです。だから、愛だの死だのから少しずつシフトしていくためにこんな話をします。


生まれてきただけで丸儲け。なんとなく耳にしたことがあるかと思います。儲けかどうかは分かりませんが、私の脳という構造ができちゃった事実は仕方ありません。しかし、磁石好き、に始まり、世界の仕組みを考えるうちに、愛や霊の存在までつながるとは、昔の私では信じられませんでした。科学者は最後には、宗教に行き着く、というのはやはりありがちなんでしょうかね。


あ、私、科学者じゃないんですけどねw


で、当然、哲学者でも宗教家でもなんでもありません、むしろ科学信者です。頭ごなしに念仏を唱えろと言われても、その行為に何の意味があるのか、理解できなければ反発すらする方です。7章で話した霊や輪廻の可能性も本気で信じていますが、宗教のそれとは違い、もっと科学的な論理的思考よりの捉え方をしています。


死や愛、輪廻や霊とかそういう、私にとって胡散臭いと思ってた話は、誰しも一度くらい本気で考えたことが有ると思うんですが、そうして、人間や、宇宙や、世界の仕組みに気がつき(気がついたつもりになり)そのイメージが腑に落ちた時、やはり思ってしまった事があります。


この世の中は映画マトリックスの様に、仮想の世界なのではないか


これも霊の話と同じくただの空想でしかありませんが、高次元の世界に存在するのパソコンで動いてるネットワークRPGなのではないかという感覚、時々ありますよね?


例えばデジャブみたいな現象や、明晰夢みたいな現象を考えると、ひょっとしたら・・・って思ってしまいます。これは人間の脳が浅はかだからなのか、高度だからなのか分かりませんが、想像力や好奇心、探究心のなせる技なのは間違いありません。きっと宇宙人も同じことを考えることもあるでしょう。


私は長いこと重い睡眠障害に悩まされており、今もなお普通の睡眠がほぼ取れません。日中に眠くてぼーっとしながら買い物に出かけると、自分がそこに居ないような錯覚があります。錯覚が錯覚なのか、それともこの世が錯覚なのか現在のところ証明するすべが有りません。だから、仮説を立て想像してみます。


私の見えてるこの世界は仮想現実なんじゃないか


ただ漠然とそう思えてしまう事はどんな人でも人生の中で時々訪れると思います。でも、入り口がそこだから具体的に考える事が出来ないのかもしれません、だとしたら私の中のこの世界を使って、別の角度から考えてみましょう。


私の中の世界のイメージ像でも、この世が仮想現実という可能性はあるのだろうか?


この世界は場に存在するプールの中のボールの内部でしかありません。そしてそのプールの中の物は全てがただのエネルギーの一形態の集合です、世界は非常に単純な構造をしているということで腑に落ちました。


まぁ、いくら単純な構造とはいえ、宇宙以上の大きさですし、想像を絶する体積のドットでできてる世界ですので簡単には行きませんが、例えば世界が、1立法ナノメートルの、1兆分の1の、1兆分の1の、さらに1兆分の1の、1兆分の1の・・(好きなだけ繰り返す)くらいの小さなものだとしましょう。世界と同じ仕組みで動く、想像を絶するほど小さな世界ということです。そこに起きるエネルギーの形態はこの世界と同じように世界の法則に従って、変化し続けているとします。


このくらいの規模であれば、ひょっとして現存するスーパーコンピュータくらいでも、処理できるんじゃないかな?とか思っちゃうわけです。世界は非常に単純な構造をしていますからね。


エネルギーの振る舞いや、それが物質になる条件など、世界定数とでも言うんでしょうか。それらを入力し、小さな小さな世界の全ての事象を完璧にシミュレーションすることは、もしかしたら近い将来可能になるのかもしれません。


先日プレイステーション4が発売され、より一層綺麗になったゲーム画面を見て思います。私の生きてるこの世界は、このゲーム画面とどこが違うのだろう。

とあるゲームのデモ映像を見ました。そのゲームは主人公を操作して、街の中を移動できます。街の中ではNPCと呼ばれるAIが操作する人が居て、普通に電話したりものを食べてたりします。プレステ4程度ではまだまだ処理速度が乏しく、彼らは限られたプログラム通りに動くしかなく、到底意思があるとは思えません。


先ほど考えた世界を完璧にシミュレーションした小さな世界が、もし想像を絶するほど強力なコンピュータで、もっと大きい世界をシミュレーション出来るようになった場合、例えば世界ほど大きくなくても、プレステ4のゲームの中の世界程度の広さ(例えば町1つ程度)だった場合、NPCが意思を持ち生命として活動する。その生命は、たとえ私が操作しても、操作されてるとは気づかないまま生活する。なんてことが、ありえるのかもしれない、と思うわけです。


世界が単純な構造で作られているのであればプログラムは難しくありません。人類が知り得た世界のプロトコル(約束事)はまだ僅かしかありませんが、そういった構造やパターンの入力のほうがよっぽど大事業になると思います。


動きを生み出すプログラム自体は信じられないほど単純な仕組みで、それこそ人間が作ることだって可能だと思います

ともすれば世界の規模に応じて強力なコンピュータさえ作る事ができれば、あながちありえないことではありません。


現時点で既に、小さな世界でのシミュレーションは人類に欠かせないものになっています。例えば気象シミュレーションや、原子分子といったミクロの世界の振る舞いを再現してみたり、タンパク質の構造解析や、星同士が衝突した際の詳細なシミュレーションの事です。フォーミュラカーの性能がどんどん上がるのも、ロケットが目的の場所へ予想された軌道で正しく飛んで行くのも、シミュレーションの結果を役立てて実際に動かしてるのは事実です。


近年のゲームにおいては流体演算や物理演算が可能になり、コンピュータの中で地球上での物質の振る舞いが計算で導き出せるようになっています。今はそれぞれ計算させたいシミュレーションの内容ごとに個々のプログラムを作る必要がありますが、コンピュータがどんどん強力になり、この世界の仕組み、その物をシミュレーション可能になれば個別のプログラムは必要無くなります。そうなれば、稼働させているだけで世界を丸ごとシミュレーション可能になります。コンピュータのパワーにより世界の大きさの制約は出来てしまいますが、想像をはるかに超えた処理速度、同時複数に並列処理を行い、空間や物質、はてはエネルギーの振る舞いその物を完璧にシミュレート可能なのだとしたら。


これはこのまま私の現実に跳ね返ってきます


この世界は予想以上に単純な構造のようですからもっともっと高次元の存在でのシミュレーションであることすら否定できるものでは無いと思うのです。


一言で言うと「神々に大ヒット中のオンラインゲームかも知れない」


こうなるとただの想像に過ぎませんが、事実世界は単純な仕組みなのです。


プレイステーション4の中にいる彼らや、シムシティの街で生きる彼ら、ネットゲームで操作されているキャラクターらは、たぶん自我がありませんが、自我があったとしても、意識では「操作されている」と気が付けないでしょう。ポーションを飲むのはHPが減ったからであり、私が飲ませているにもかかわらず、自分の意志で飲んだと思っているかもしれません。


もしかしたら我々も・・・・?


周りを見渡したら隠れたセーブポイントが有るかもしれませんよ?w


ただし、プログラムが自然界の法則の範囲内、ということですから、映画マトリックスの主人公ネオのように空を飛んだり弾丸を止めたりといった、物理法則の壁を超ることは不可能なんだと思います。それでも、この世界はこの世界のままでもシミュレーションになりうる、と思うのです。


こういう考え方を「本当にひょっとしたらそうかも」と思えるようになったのは、やはり、世界の構造を想像して腑に落ちてしまったからです。予想以上に簡単な仕組みで簡潔だからこそ腑に落ちたんです。


私はプログラマーですから、つい、どういうアルゴリズムなのかを考えてしまいます。おそらく、規模の問題こそあれ初期データの入力さえしてしまえばこの世界のシミュレーションは間違いなく可能でしょう。


そう考えると、余計に、色即是空なのです。いろ、それすなわち、くう、ですよね。鮮やかに見えているものも実は空虚なもので、大した価値は無い、といった感じでしょうか。本当に世界の仕組みを想像すればするほど空虚なものに感じられるようになりました。


だから、嫌なことがあっても「まぁええか」「どうでもいいや」で片付くようになり、頭にくるような事がとても少なくなりました。


そのおかげで近年では、誰かを嫌いになったりすることは、皆無です。自分の事での不満はいっぱいありますが、それですら「しゃーないよね」で片付きます。時々あまりに複雑に「見える」この世界に混乱し、目の前に起きたトラブルに囚われ、大人げない、というか、しなくてもいい行動を取ったりします。後になって結構、後悔したりしますが、しばらくどっぷり落ち込んだあと数日すると、それすら「まぁいいか」と思えるようになりました。


これは、間違いなく、この世界の仕組みが腑に落ちたからでそのおかげでとても生きるのが楽になりました。


ですが、悪いことも起きてます


以前のように必死に情熱を注いだ生き方ができなくなったかもしれません。歌や音楽、異性や仕事に関しても、以前よりずっと淡白になった気がします。まぁ、私は真面目すぎなので、そのくらいがちょうどいいのかもしれませんが、なんにせよ、この世界が単純で、だからこそ仮想現実かもしれない、だったら別に、必死にならなくてもなるようになる、という結論で十分なんだと思ってます。


とりあえず、私の中のこの世界のイメージに沿った形で想像しても、この世界そのものが仮想現実という可能性が有る、という結論で腑に落ちました。


まぁ、この世界が、仮想現実でも、そうじゃなくても、別にどっちでもいいんです。



だって、今日の晩飯は寿司に決めましたしw

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