26. 父「違和感を言語化できずに苦しいか?」

16.父が母を目覚めさせたのか?


初めて通る夜間出入り口から建物の中に入ると、照明が落とされて、父のオフィスに通じる廊下は足元が見えないほど薄暗かった。昼間は使われていないその狭い廊下を恐る恐る歩いていると、遠くに煌々と灯りがついている部屋が見えてきた。父のオフィスだ。

オフィスのドアをノックして「父さん」と呼びかけると、父は「すまんな」と言いながらドアを開けてくれた。

「時間を作ってくれてありがとう」

「元気そうだな」

「父さん」

「なんだ」

「日本に帰ってきてよ」

「どうしたいきなり。寂しいのか?」

「違うよ」

「また金持ち相手のホストをやれと言うのか?」

父はよく通るが、しかし表情の読み取れない声で言った。その声は、躁状態の上ずった早口ではなく、腹の奥から鳴っているような深みのある低音が、黒塗りの巨大な高級車のような重々しさをともなって、オフィスの硬い壁に反響した。

母の四十九日の夜に、カウンセリングについて早口でまくし立てた父とは別人のような口調だった。風貌も変化した。無造作だった髪の毛は流行のスタイルにセットされ、顎髭は短く整えられていた。スーツのシルエットは父の身体に完璧にフィットしていた。かつてのアナーキーさは消え失せ、逞しい野性味と落ち着きのある自信を父はまとっていた。


ぼくを見下ろすように立ったままの父は、その重々しく響きわたる声で静かに話し始めた。

「ボストンにきてわかったことがある。自分がここでまともな仕事を得られたのは、運が良かっただけなんだと」

「それは極端だ」

「そうだな。では、実力は十分条件ではないと、そう言い直せば満足か?」

ぼくは黙って父を見る。

「理解していると思うが、研究とは本来、評価の対象ではない。スポーツ競技とは違う。その成果を学びたい者は学び、使いたい者は使えばいい。

ではなぜ、現代では評価が当然視されるようになったのか。

それは、研究が制度化されたからだ。ギリシャの牧歌的なアカデメイアから始まり、中世の大学設立とその勃興、近代以降の学会の肥大化、国民国家による軍事転用の発見、資本家の絶え間ないイノベーションへの欲求。研究はこうしたものによって時間をかけて制度化されていった。

研究制度の根幹は富の獲得と分配からなる。生存に必要な富を獲得する仕組みと、その富を構成員に分配する際に参照される規範だ。

研究は生活の糧を生まない。外に開かれている生産活動とは違う。にもかかわらず、膨大な時間を投下せねば成果は生まれない。膨大な資本投下に対して期待収益はゼロということだ。この点では、砂場の砂粒を数える作業と変わらない。

それなのに、研究はしぶとくテリトリーを拡大し続けてきた。生存に必要な資源を自ら生みだせない者が、生存し拡大すらしている。生産活動を一切行わない者たちが、王国を築いてしまった。どうすればそんなことができるのか?

生態系にも、同じ生存戦略をとっている種がいる。寄生者たちだ。自ら生産できなければ、他の誰かから生産物を得ればいい。その関係を安定に維持するには、共生関係を築くことだ。この共生関係を維持するために、研究は制度化されている。

制度化された研究は、近現代の職業のほとんどすべてと同じ構造だと思わなかったか?その通りだ。生産しないかわりに、知識を生活の糧と交換する。体が弱いものが、狩猟をしないかわりに弓矢を作って、獲物と交換する。まったく同じ構造だ。それなのに、なぜ研究が特別視されるのか?


・・・俺にはわからない。研究が生み出す知識が、ダイヤモンドやプラチナのように希少であること、研究者のギルドが時代ごとにうまく立ち回ってきたこと、様々な要因があるだろう。だが、おそらくは、近世までは宗教への権威付けに、国民国家の形成以降は富国強兵の振興に忠誠を捧げ貢献してきたからだろう。油田をもつ国が外交でパワーを発揮できるのと同じ理屈ではないか。

いずれにせよ、制度化された研究は、共生関係の維持のために制度化された。だから、共生関係で得られる富の最大化と、共生関係の維持拡大のための富の最適配分が、制度の眼目になる。企業の経営とまったく同じだ。今ある商品で収益を最大化しつつ、得られた収益を成長のために再投資する。

さあ、こうして制度化されて研究者は満足か?するわけがない。ニーズに合わせた生産活動は退屈だからだ。宿主から吸える蜜でブクブクに肥えていれば満足な者は別だが、研究活動そのものから快を得たい者は、制度化によってむしろ不愉快さを覚えるだろう。宿主からの要求はエスカレートしていくのだから。

宿主の要求がエスカレートするのは、仕方がない面もある。宿主からの蜜を吸ってブクブクに肥えた研究者を見れば、何かがおかしいと宿主は思うだろう?なんで宿主よりも寄生者が肥えているのかと感じるのは自然なことだ。宿主が栄養不足で青白い顔をしているときは、特にだ。システムを維持するには節度が大事だ。アクセルを踏み続ければ破滅するし、アクセルを踏まなければエンジンは錆びついてしまう。

ほら、現代というのは近代以来の成長神話が根強いだろう?戦線を縮小するための撤退戦を戦った経験者が不足しているんだな。戦線の拡大は簡単だが、縮小するのは難しいんだ。最も難しいのは、時局に応じて最適な規模に調整し続けることだがね。ヤジロベーのように、右に左にフラフラしながらバランスをとって。これは評価の難しさとよく似た構造だ。評価とは資本投下の最適化のことさ。あちらを立てれば、こちらが立たない。


制度化された研究を支えるのが、この評価アルゴリズムだ。将来にわたって宿主を喜ばせ続けるには、どこに手元の富を投下すべきなのか。有史以来、人類は評価で苦悩してきた。皇帝に正直に諫言する正直者の行く末はたいてい決まっている。人は人の評価を最適化できないんだ。それは政治の世界だけだと思ったか?何を言うんだ。富の分配にかかる評価システムは政治システムそのものだ。政治とは利害調整だからな。人類は、利害調整のために政治以外の手段を見つけられていないのだよ。

いいだろう。現代の研究は、客観的に測定できる数値で評価がなされていると言いたいんだろう。和人、できることならお前にはそう信じて研究者のキャリアを歩んでほしい。そうなっている背景にある思惑なんて考えるな。その数値を指標にすることで誰がどうやって得をするのかなんてことは、無益な考えだ。ゲームのプレーヤーに、ゲームの設計を考える暇はないはずだ。ルールにしたがってなるべく多くゲームをこなして腕を上げればいい。制度化された研究の歴史は、国民国家の歴史よりも長い。革命家になろうなんてやめておくんだ。処世術に長けた政治家のように、周囲の様子に目を配り、自分を引き上げてくれる権力者を見つけろ。学会では、権力者に向かって話せ。閉鎖的なコミュニティでは、影響力の無いフォロワーを百万人集めた者よりも、一人の権力者に愛された者が生き延びることができる。

和人、俺のメッセージは、ゲームのルールに熟達しろということだ。制度とは社会規範の体系だ。複雑に絡み合ったルールを解きほぐして理解しろ。そして、メタ的にゲームを俯瞰してハックできればなお良いことだ。起業家が弁護士を雇って規制の隙間を狙うだろう?そうして得点を稼げばいいじゃないか」

父は、文字通り子供に言って聞かせるように、ゆっくりと誠実さのこもった口調で「制度化された研究」についてこのように説明した。


「でも、父さんは、そこから外れて今があるじゃないか。一年で大学の仕事を放り出し、誰とも関わらずに、ずっと家に引きこもっていた」

「その通りだ。やっと最初に言ったことがわかったようだな。ずっと引きこもっていた俺がいまここにいる。まことに俺は運が良い」

その父の議論は何かがおかしいと思ったが、父の言ったことのひとつひとつには説得力があった。隙が無かった。どこから切り込んでも、ぼくの反論を父が簡単に無力化する展開が想像できた。


「違和感を言語化できずに苦しいか、和人」

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