24. 重すぎるハンディキャップ(1)
「自由エネルギーの摂取に突き動かされているわけさ。ヒトの意志と、ミドリムシを捕食するミジンコのそれとは、由来が共通だからね。美や倫理に最適化されているなら、我々の社会はこんな場所になっていないだろう。もし我々が真善美に最適化されていれば、真善美は『飯食ってクソして寝る』と同じくらい俗っぽい印象を持つ言葉になるだろうね。飯食ってクソして寝る自分から目を背けたいのさ。ヒトという種に特別な地位を与えたい連中には本当に反吐がでるよ。彼らのマインドセットは、人種差別主義者そのものだ。自分たちは特別だ、自分たちが真理だ、自分たちが美だと信じたいのさ。信じるためには何が必要か?権威さ。権威だけが彼らに平安をもたらす。古代日本の政治家が仏教という権威にすがったように、彼らは信じられる権威が無いと不安でたまらないんだ。彼らは自分のことをホモ・サピエンス=賢い者と呼ぶ。なんておこがましいんだろう。不安で未来に怯えることが『賢い』の定義というなら受け入れるけどね。彼らのことは、不安な者とでも呼ぶべきさ。いや、彼らは不安を持つ弱い自分を認めようとすらしない。不安を覆い隠すために、自分たちに都合よく世界に意味付けをする。そんな彼らは意味を付与する者とでも呼ぶにふさわしいね。ええと・・、ラテン語だと、ホモ・アド・センサムか」
(落ち着けよ。八つ当たりは良くないよ。サラと仲良くなれなかったからって)
「それを言うなよ。落ち込んでいるんだから」
(権威主義者の特徴は、権威付けるということだ。君も権威主義者なんだよ)
「わかっているよ、そんなこと」
(ビルさんなら何と言うだろうね?)
「ニヤニヤしながら、合気道のように、相手の不安から生じるエネルギーを利用して投げ飛ばしそうだな。権威という錯覚が実在していることを彼は理解しているはずだから」
(権威とは何でしょうか?)とそいつがビルさんと話していたぼくを真似した。
ぼくはむしゃくしゃとした気分で「権威とやらは、いったい何のことだい?」とビルさんの口真似を返した。
さっきからむずむずしている胸をさすってから、両手を頭の後ろに当ててのけぞった。ペールブルーの空を背景にオレンジの葉が揺れている。
「ぼくは不安だ」
(それは良かった。きみは不自由な自由人だよ、ホモ・アド・センサムさん)
空を眺めながら深く息を吸い込むと、キュッと締まった冷たい空気が肺を満たした。ゆるく目を閉じて、枝によって束ねられたオレンジの葉だけが視界に入るようにした。そして、ゆっくりと深呼吸を繰り返して秋の冷たい空気にもう一度身体を馴染ませていった。そうしているうちに、結局のところ自分は公園の一部なのだったし、公園は自分がいて初めて公園になるんだったともう一度実感することができた。
それは意味付けを越えているとも思えたし、意味そのものであるとも感じられた。
スマートフォンのアラームが、約束の時間の三十分前であることを告げた。ぼくはベンチから立ち上がり、大きく伸びをして、レストランに向かって歩き始めた。さっきまで溌剌としていた芝生は、夕暮れの太陽に照らされていて、一日を振り返りながら眠る準備を始めているように見えた。陸地のほうから吹く乾いた風はいよいよ冷たくなってきていたが、長く歩くには少し肌寒いくらいがちょうどよいだろうと思った。
*
15. 重すぎるハンディキャップ
レストランに向かって歩いているうちに、太陽の明るさは失われ、それまでのペールブルーの空は、黒い空にその座を譲った。通りには、一日の仕事を終えた人々の姿が増えていった。朝は時計を気にしながら早足で仕事場に向かっていた人たちが、今は賑やかな通りをゆっくりとした足取りで歩いていた。
時間ぴったりにレストランに到着すると、先に到着していたダニエルさんが「こっちだよ」と言って手を振った。彼は「友人の鈴木さんだよ」と隣に座っているジャケットを着た男性を紹介してくれた。ぼくは思わず声をあげそうになった。ケルベロスのマイクのご主人だったからだ。たしかに、鈴木さんの足元には、マイクが伏せの姿勢で目を閉じていた。マイクは、顔を上げてぼくを一瞥し「奇遇ですね」と言って、また目を閉じた。鈴木さんは立ち上がり、微笑みながら手を広げて歓迎してくれた。
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